2016.05.09 貴音～序～さらん

2016 再開祭｜貴音～序・迂達赤弐～（終）

「何かありましたか」
「ああ」
「まさか王様に何か」
「いや、安心しろ」

光の射し込む私室の中。卓前の椅子へ腰を下ろした俺の前。
直立不動で控えたチュンソクは、訝し気に顎を捻った。
「ならば警備ですか」
「いや」
「兵の鍛錬ですか」
「いや」
「弛んだ奴でもいましたか」
「･･･いや」
「では」

どう切り出す。どう伝えれば良い。
人一倍役目に、王様に、そして俺に忠義の厚い目の前のこいつに。
そして明るい窓外、手を伸ばせば届く枝の上。
不安げに耳をすませ、この気配を必死に追っているあいつに。

まず立ち上がり、窓を大きく開く。
「テマナ」
「はい大護軍」
「来い」
「は、はい！！」

奴は枝伝いに器用に腕を伸ばすと、開いたままの窓から音も立てずに部屋内へ飛び込んで来た。
テマン。チュンソク。まずは此処からだ。
絶対に俺を裏切らん、そして吹聴せん二人。
俺の前に雁首揃えて立ち尽くし、この声を待つこいつらに。

「･･･これから、慌ただしくなる」
奴らの顔を等分に見、真直ぐな目にそれだけ伝える。

テマンの眉がぴくりと上がり、その口が大きく笑みの形に開く。
何か判ったか。感じるか。眸で問うと奴は幾度も大きく頷いた。
そしてその拍子に浮かんだ涙を、その腕貫で強く乱暴に拭う。

チュンソクは俺の顔とそんなテマンの様子を見比べつつも、まだテマン程には判らんらしい。
しきりに首を捻り、この肚裡を読もうと、俺の眸を真直ぐ見つめたままだ。
「大護軍」
「おう」
「戦、ではないですよね」
「･･･戦か」

戦。言って言えん事も無い。但し命を奪うものではない。
新たな命を迎えて下さるあの方の戦だ。高麗の戦女神を護る。
策を練り、万一にも道を違えず、細心の注意で。
そして必ず勝つ。あの方に負け戦は似合わない。

その最上の策は、いつでも単純に出来ている。

「子が出来た」

その瞬間のチュンソクの顔。テマンの顔。
俺は、忘れないだろう。

「･･･大護軍！！！」

そう叫んだチュンソクの、今迄見た中の最高の笑顔を。
堪え切れずに俯いたテマンの、小さく丸めた鎧の背を。

俺に最も忠義なこの二人に伝えただけでこれだ。
この後他の奴らに伝えたら一体どれほど騒がれるのか。
そして王様、王妃媽媽。
ご自身の御子をお待ちの御二人があの方の今回の懐妊を知れば。

望みは唯一つ。
何事もなく、これ以上の騒ぎなく収まって欲しい。
「判ってるな」

チュンソクが顔を締めて頷き、テマンが顔を上げる。
「いつ、どのように」
「あの方と話し合う」
「漏れませんか」
「今は典医寺だけだ。漏れるとしても先だろう」
「迂達赤には」
「まだ言うな」
「皆、喜ぶでしょうに」
「だからだ」

喜び勇んで先走り、口の滑らん奴もいないとは限らん。
開京の酒処で勝手に祝杯をあげ、酔って大声で何か言ってみろ。
その噂がどれ程早く広まる事か。その時火消しに走っても遅い。

「まずはお前らだ。但し王様には早急にお伝えせねばならん。
役目に穴をあけるつもりはないが」
「ご心配でしょう」
したり顔で頷くチュンソクに声を返す事も出来ん。
「大護軍」
泣き笑いで、目を真赤にしたテマンが俺を見る。
「お、俺、典医寺に。医仙の守りに」
「･･･いや、今日は良い」
「でも医仙が」
「侍医とトギがいる」

諌める声にそれでもこいつの目が窓の外、典医寺の方をじっと見る。
「御子息か、御息女か」
「気が早い」
「お俺は、元気なややならどっちでも」
「･･･そうだな」

誰が考えた。俺があの日赤い月の帯を巻き、この部屋のあの窓下にごろりと寝転がった時。
誰が考えた。あの時あの方が鎧姿で、扉を開けた俺の向いの窓前で小さな手で敬礼した時。
誰が考えた。大切な仲間を次々と亡くし、剣すらも握れぬ震える手で絶望の淵に立った時。

誰も考えなかった。
あの方が命賭けで毒を飲み、寝台に横たわり、長い夜を戦い抜いてくれるなど。
信じていても怖かった。何もかも失ってもこの方だけはと乞うた。
考える事など無かった。
いつかこの同じ部屋で、長い時の後で額を突き合わせ、息子か娘か談義する時が来るなど。

そんな時を共にして来た懐かしい顔。
今ある顔も、そして次に次に会えるのを待つ顔も。
共にいた奴らの笑顔だけが、ただ幾度も蘇る。
隊長、隊長と呼んでいる。
ヨンアと呼んで下さる人もいる。

その皆こそ大喜びしているだろう。今は何の憂いも無く。
皆を信じている。一足先にそこで酒盛りでもしてくれ。
どれだけ酔おうと構わない。喜んでくれれば何より嬉しい。

絶対に忘れないだろう。そして必ず伝えるだろう。
次の春の日に、縁側で腕に小さなお前を抱いて。

お前の父が、どれ程良い家族に囲まれているか。
お前がどれ程愛されてこの世に生まれて来たか。
此処でお前を見守る家族にも、天でお前を見守る家族にも。

俺は忘れない。そして必ず伝えるだろう。
父が家族と共にお前を、そしてお前の母上をどれ程愛しているか。
いつでも此処が最高だ、そう思う倖せを与えて下さりながら、
次により大きな驚きと倖せを下さる母上を、どれ程愛しているか。

必ず伝える。お前の父高麗武者チェ・ヨンの、名を懸けた約束だ。

【再開祭｜貴音～序～ fin 】

72 件のコメント

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さらんさん、ありがとうございます(^^)ずっと、待っていたお話でした。嬉しくて、ヨンの気持ちに涙です♡
これこらのお話の続きを、また楽しみに待ってます♡
赤ちゃんを抱っこするヨンを楽しみに待ってます♡

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