不倶戴天 | 柒

 

 

テマンが先導する一行が、雪を踏み近寄って来る。
中央にあの鼠を据え、前後左右は禁軍の監視が付く。

殿の入口、真正面から進む一行をじっと眺める。

近寄る毎に大きくなる雪中の足音に、横に佇む侍医に眼を向ける。
その眸の意味を汲んだか、侍医は此方に頷き返す。

これ程に足が弱っていたか。
既に踏みしめる事も儘ならず、半ば両脇の禁軍の兵に引き摺られるように雪を進む這うような音。
同情の余地などまるで無い。
しかし気に掛かるのはこれ程弱った足腰で、本当に手助けが不要かどうかという点だ。

江華島で最後にお会いした慶昌君媽媽の謫居の粗末な御居所。
病を得ながらも、碌に御食事さえ取れなかった御姿が浮かぶ。
それに比べれば貴様の獄など極楽浄土に等しい。
何の咎も無いまま、ただ若いというだけで皇宮を追われたあの時の慶昌君媽媽に比べれば。

元にとっての手駒でなくば、お前などとうに弑している。
そうして生きて兵に引き摺ってもらえるだけ有難いと思え。

「大護軍」
「ご苦労」
テマンが頭を下げ、さも厭そうにその背を肩越しに目で確かめ、この眸の前から半歩脇へと除けた。
テマンの背後の禁軍の兵がそれに倣って脇へ除けた影から覗く、久々に見る鼠の姿。

侍医は見慣れているのだろう。
今こうして立つ冬の空気より余程冷たい目つきで、その男を睥睨する。

腕を落として以来の邂逅に、奴は毒々しい目で此方を睨む。

「チェ・ヨン」
消え入りそうな掠れ声、白い息の雲も明らかに小さく細い。
「ナウリ」
既に王族としての敬称などつけん。
唾棄に似たこの声に、奴は蒼白な顔を不満げに歪める。

そうだ、悔しかろう。 しかしお前は既に俺に毒を盛れぬ。
さぞ腹立たしかろう。 しかし俺を弑す奸計は立てられぬ。

あの時、爆薬で木っ端微塵に吹き飛ばすべきだった。
あの時、あの方ではなくこの俺に毒を盛るべきだった。
あの時、王妃媽媽でなくこの俺を攫って弑すべきだった。
あの時、王様でなく俺を跪かせて懇願させるべきだった。

お前は間違えた。的を誤ったのだ。
己の欲のまま突走り、全てを手中に収めたと勘違いし、奸計に溺れ、奇轍の力は永遠だと信じた。
挙句の果てにこの期に及んで李 子春の口車に乗り、双城総管府に身を潜めるような愚挙に出た。

愚かな鼠は何処までも愚かなままだったのだ。

「散歩を楽しまれましたか」
唇の端を歪めて薄笑みを浮かべ、奴へと尋ねる。
「・・・ふざけているのか」
「滅相も無い」

わざとらしく眸を瞠り、小さく首を振ってやる。
「この後仁徳殿にて身柄を預かります。部屋より外には一歩たりとも出られない。
この冬景色を憶えておかれよ。これより二度と外の景色を眺める事は出来ません」

この声が本気と判るのだろう。
慇懃無礼な物言いに、奴は寒さに強張る面を引き攣らせた。

「中へ連れて行け」
「はい、大護軍!」
これ以上話す事など無い。
顎で殿の入口を示すと奴の両脇を抱えた禁軍の兵と前後の監視、そしてテマンが一斉に頷いて殿の入口へと進んだ。

殿の入口の頑丈な鋼格子。
取り付けられた、容易には破れそうも無い鋼の閂。
巻かれた太い鋼の鎖と錠前の物々しさ。

そこを抜ければ鋼格子の所為で、薄暗い 窓の並ぶ廊下。

そしてその突き当りに待つ分厚い石壁に囲われた私室。

進む程に、禁軍に引き摺られる鼠の息遣いが浅くなる。

最後に私室の一面の鋼格子の一角に切った扉から中へと入り、奴の両脇を抱えた禁軍の兵に向け石壁を眸で示す。
「壁際に立たせろ」
「はい、大護軍!」

両脇の兵に引き摺られ、鼠が壁に体を凭れ肩で息を繰り返す。
「ナウリ」
俺の呼び掛けに、その眼だけが此方へ動く。
「手摺の高さを決めます。姿勢を正して下さい」
「そんな、もの、要らぬ」

息を切らしつつ言う鼠に顎を振り
「あなたの為ではない。周りの為に必要なのです」
鼻で哂って言い放ち奴の立つ壁際へと寄ると、両脇の禁軍が両脇から手を離し左右へ割れた。

そのまま壁に凭れる奴の耳元へと、口を近付け低く告げる。
「蹴飛ばされ無様に床に転がる前に、背を伸ばせ」

そのまま静かに二歩下がると壁に身を預けたまま、鼠はどうにか曲がった背を伸ばした。
壁を這う蛞蝓のような動きを見つつ、侍医が奴の脇へ寄る。

「・・・この高さで良いでしょう。丁度身の丈の半分ほどです」
侍医が確かめる声に繕工府の男が頷き、部屋の壁に石灰石で目印を書きつけた。
「ば・・・訓練用の手摺も同じ高さで良いのか」

ばーと言いかけ口を噤み、言葉を改めた俺に侍医の目が当たる。
出来る限りあの方の気配を、薄汚い鼠の周囲に漂わせたくない。

どれ程惨めな姿だろうと、両腕を失おうと。
それでも言葉の毒が、人心を操ろうとする卑しい声が、何より腐った性根が残っている。
例え役に立たずとも、衰え切った両の足は残っている。
そして今は弑すなとの王命が残っている。

万に一つでも再びあの方へと毒牙を向ければ迷いは無い。
元も、王命も、手駒も関係無い。必ず殺してやる。

確かめる声に侍医が奴から離れる。
「はい、チェ・ヨン殿」
「遅れず終わらせろ」
繕工府の男に声を掛けると、男は確り頷いた。
「畏まりました、大護軍」

手摺の高さが決まればお前に用は無い。
部屋の下見が出来ただけでも喜ぶが良い。
「連れて戻れ」
「はい、大護軍!」
掛けた声に禁軍の兵達が、奴の両脇を再び掴んだ。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    さぞ 悔しいでしょうね… 鼠男
    外の景色 もう拝めないと知ったあとの
    動揺…(゜ロ゜) え? まだなんとかなると
    思っていたのかしら…
    おわりよ、おわり!
    自分がやらかしたこと 反省しなきゃ

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    ヨンが憎しみに満ちて話す
    一言、一言が凄くて読んでる私まで
    背筋が寒くなってます。
    流石さらんさんです❤
    やっぱり凄いなぁ~と感激です(^^)
    慶昌君の粗末な部屋を、見たときの
    せつないヨンの顔を思い出しました。
    本当にあの居所に比べたら
    極楽浄土だと、言うヨンの気持ちが
    良くわかります。
    さらんさん❤
    此度のお話。
    サスペンス小説を読んでるようで
    毎回ドキドキしながら読ませて
    いただいてます。
    ありがとうございます♪

  • SECRET: 0
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    さらんさん
    緊迫感あふれるお話をありがとうございます。
    ウンスの解毒薬を受け取りに行った際のヨンを思い出しました。
    長い脚で徳興君を蹴り上げたヨン、かっこよかったなあ~♥
    徳興君の耳元で低く脅し文句を吐きつけるヨンも、たまりません!
    不自由な身体になっても、卑劣な徳興君には足も頭も口もありますからね…。
    ああ…ドキドキです|д゚)。

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