どう伝えるか。例え疫病や飢饉の恐れがあるとしても。
ウンスが無理をせぬように。我武者羅に走り出さぬように。
第一ひと月に二度の満月が何故、天変地異と関わりがあるのか。
大雨が洪水を呼ぶ、これは自明の理だ。
雨は河川へ流れ込む。河川は水量が増せば溢れる。
その溢れた水で田畑の作物が駄目になる。
駄目になるから飢饉が起きる。飢饉が起き、弱い者が犠牲になる。
体力の落ちた者では犠牲者を満足に弔えぬ。粗末な弔いが原因で疫病が起きる。
この負の連鎖は容易に想像がつく。
逆も然り。 酷暑少雨が旱魃を生む。
旱魃で作物が育たぬから飢饉が起きる。
酷暑で多雨ならば、湿邪と暑邪で疫病が。
熱春でも寒夏でも、降雪が多すぎても少なすぎても。
暖冬には凍死者は少なくとも、春が過ぎ疫病が多い。
全て一つの輪の中にある。天候、作物、人。それは腑に落ちる。
腑に落ちぬのは、それに二度の満月がどう関わるかだ。
腕を組み、眸を閉じているヨンを見詰め、ウンスは首を傾げた。
「どうしたの?難しい顔して」
その声にヨンはふと眸を開けると、視線を上げぬまま息を吐く。
「・・・考えておりました」
「何を?」
その声にようやく上がった黒い眸が、ウンスを真直ぐに捉える。
「蒼月について」
「蒼、月?」
ヨンは扉を背にウンスの声に頷き、其処から大きな歩幅で卓の椅子へと寄り腰を下ろす。
「王様への謁見時に、書雲観正と会いました」
「書雲観正?」
「はい」
「書雲観・・・」
繰り返すウンスに向かい、ヨンが小さく頷く。
「空や雲や、月星や陽を読む者たちです」
「ああ、天文学ね」
「てんもんがく」
此度はヨンが繰る番だ。聞き慣れぬその言の葉を。
「うん。高麗時代には、元から伝わった基礎天文学があったはずよ」
「星読みが、てんもんがくなのですか」
「先の世界ではそう言うんだけど。それよりどうして天文学者があなたと会ったりするの?」
「・・・イムジャに教えて頂きたい」
ウンスの問いには答えず、ヨンは声を繋ぐ。
「なあに?」
「先の世界では、空模様で天変地異を占う事はありますか」
「うーん、難しいなあ」
ウンスは卓に両肘をつき、小さな顎を両掌で支えた。
「もともと私は、天門が開いたのもウォルフ黒点が関係してるって思ったくらいだし。
全くないとは言えないわ。磁場の狂いなんかもある程度は予測できるのかもしれない。
潮流にも関係するらしいし、でも空模様だけで占えるかって訊かれたら、それはないだろうし」
言葉を切ったウンスは、頬杖で黙ったままヨンをじっと見た。
「その書雲観さんが、何か言ったの?天変地異が起きるって?」
「・・・かもしれぬ、と言ったのみです」
「可能性はあるって事ね?」
「古来より蒼月はその徴だと」
「蒼、月・・・・・・ブルー、ムーン」
「・・・は」
「ブルー、ムーン」
「ぶるー、むーん」
「・・・ねえ、ヨンア」
「はい」
「不思議よねえ」
「・・・何が不思議ですか」
「うん、あのね」
ウンスはそう言って、にこりと笑んだ。
これから天変地異の話を、 そして疫病の話をしようかという、暗澹たる心持ちのヨンに向け。
呆気に取られ、笑み顔を見詰めるヨンに
「あのねえ。先の世界では、ブルームーンって幸運の印なの」
その突拍子もない明るい声に、ヨンが眸を瞠る。
「幸運」
「そうよ。だって月齢は29・5日。2月には満月はない時がある。だからブルームーンだってあるんだし。
結局は時間調整なのよね、閏年だって、ブルームーンだって。カレンダーって感覚がなきゃそもそも発生しないものだし」
全く訳の分からない言葉の羅列に、ヨンは眸を眇める。
判るのはぶるーむーんが、先の世界では幸運の証という事だ。
「もしもその蒼月が、私の知ってるブルームーンと同じなら」
「ひと月に起きる、二度目の満月と言っていましたが」
ヨンの言葉に、ウンスが一層嬉し気に声を上げた。
「じゃあ、同じよ。幸運のブルームーン」
ああ、この方はやはり月よりも陽だ。
その笑みに吸い込まれるようにヨンは目許を緩める。
冷たくも、静かでも無い。夜毎形を変える事も無い。
照らし、温め、刻を報せる。育て、慈しみ、時には枯らす。
無ければ誰も、生きてはいけぬ。
「同じよ。それも毎年じゃない。先の世界では2、3年に一度しか 起きない。珍しいし、第一ロマンティックだし」
嬉し気に亜麻色の髪を揺らし頬杖を解くと、ウンスは椅子から腰を上げ、ヨンの後ろに回り込む。
「ヨンアと見られるなら、すごく嬉しい」
背から抱き、ウンスの細い手が胸へ回される。
ヨンが肩越しに首を振り向けその顔を見ると、ウンスは少しの間考えるよう目を細めながら
「ブルームーンが発生するのは、2月、5月、8月、11月。 考えて、ヨンア。
季節の変わり目なのよ。大気が不安定になるわ。
異常気象の起こりやすい時期よね。大雪、大雨、台風、初雪。
天文学者を疑うわけじゃないけど、後付けの気がしちゃうなあ。
じゃあ蒼月のない年は、そんなに毎年安定してる?豊作?」
己の気鬱を軽くする為、こうして腕を回している。
この背に隠れ、不安げな顔を見せまいとしている。
柔らかく抱かれた背とウンスの言葉の冷静さの落差に、ヨンは己の胸の前、交叉した細い二本の手首を片手で掴む。
宥めるよう、安堵させるよう、細い手首を親指でそっと撫でつつ考える。
確かにウンスの言うとおりだ。こうして蓋然性を説かれる方が余程腑に落ちる。
にがつ、ごがつが何かは判らずとも。
「無論、天変地異もありますが」
指の心地良さに目を細めたウンスを横目で認め、静かに腕を解く。
後ろに回っていたウンスへ体ごと振り向き、瞳を覗き込んでヨンは真直ぐに言った。
「書雲観正の言った疫病が気になります。王様より、それについては医仙にお任せするよりないと」
「疫病?」
真直ぐ覗き込むヨンの眸に、ウンスの瞳が丸くなる。
「ええ。蒼月の年は、疫病や飢饉が起こると」
「絶対に起きるの?前回は、2、3年前よね。思い出して。ヨンア。私がいない間何か一度でも、大きな疫病は発生した?」
そう言われても思い当たる事はない。確かにそうだ。
蒼月がその周期で起きるならば、疫病とて起きるはずだ。
「・・・いえ」
「でしょう?帰って来てから聞いた記憶もない。典医寺にも記録は残ってない。何かあれば残ってるわ」
「書雲観正も、必ず起きるとは言えぬと言っておりました。但し備えあれば憂い無しと」
「ああ、その考えは私も賛成よ。そもそも漢方医学の基本は未病、起きる前に予防しようってところだし」
「・・・は」
これは、やはりまずい方向へ流れそうだ。
ウンスの輝き出した目に、ヨンは言葉を濁す。

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さらんさん、理路整然とした説が散りばめられたお話、さすが、さらんさん❤︎と、わくわくしながら拝読させて頂きました。
ヨンの予想や思いを遥かに超えるウンスの活躍ぶり?が、またまた楽しみです。
さらんさん、今夜は肌寒いですが、風邪などひかれませんように。
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陽の気をもつ医仙様(^w^)