「隊長」
典医寺に立たせたトクマンが、戻った兵舎で珍しく俺の部屋へと駆け込んできた。
声と共に大きく開いた扉に眸を当てる。
勢い良く駆けこんできた奴は俺のひと睨みを見るなり、驚いたように歩を止める。
そして手だけを忙しなく動かし、飛び込んだ言訳をするように痞えながら言った。
「う、医仙が、典医寺でまた妙なことを」
「・・・・・・」
またか。
トクマンの報せに息を吐き、部屋の框から腰を上げる。
扉から外へと歩きつつ後へ従いたトクマンに、振り向かぬまま背越しに尋ねる。
「妙な事」
「はい」
「此度は何だ」
「窓を、作っておいでです」
「窓」
「はい。それも嵌めようとしているのは硝子でなく、蚊帳で・・・」
「蚊帳」
あの虫除けの蚊帳を、どう窓に嵌めると言うのだ。
確かにトクマンが妙と申し立てるのも無理はない。
典医寺へと歩きつつ、漏れるのは嘆息ばかり。
あの方を連れて来て以来、気の休まる暇がない。
あの赤い髪、小さな頭の中はどうなっている。
騒ぐな、大人しくしろ、目立たず帰るまで息を顰めていろ。
一体幾度繰り返せば意味を理解するのか。
これ以上皇宮で目立てば、只でさえ目に余る奇轍がどう出るか。
御自身を守る為にそうしろと言っているのが、一体どうすれば伝わるのか。
お手上げだ。つけた衛のトクマンは天界の客人に遠慮して勝手な振舞を見過ごす始末。
一体何の為に衛を付けているのか、誰一人として判っていない。
早い処、あの方の望む天界へと帰す。
其処まで思い立ち、ふと歩を止める。
だから天界へと。あの方の望む通り。
仰ぐ空、まだ十分に残る青を眺める。
あの蒼の、またその上に在る天界なら、二度と会う事も無い。
帰れば良い、二度とこの眸の届かぬ場所へ。手の届かぬ処へ。
帰ってしまわれるまでは、こうして走るだけだ。
守る為でも、止める為でも、教える為でも、叱る為でも。
止まった足をもう一度進めるには、思ったよりも力が要る。
走るほどに離れ、遠くに逃げそうなあの方の許へ行くには。
*****
「医仙」
「・・・え、チェ・ヨンさん?」
「此度は何を」
何故この方は、蚊帳に絡まって団子のように丸まっているのだ。
西空に傾いて来た陽射しの中、典医寺の木々に囲まれた部屋内。
椅子も卓も部屋隅へ寄せ、中央の大きく開いた床の上に、木切れが散らばっている。
その横に佇むチャン侍医が、開けたままの扉から飛び込んだ俺へ向けて首を傾げる。
「隊長」
「侍医までついていて、何の騒ぎだ」
「医仙が網戸を作ろうとおっしゃるので」
「・・・壊すの間違いではないのか」
思わず漏れた呟きに蚊帳の塊の中で医仙は頬を膨らませ、侍医は俯いて口元を拳で抑えて言うた。
「いえ、作ろうとされてはいるのです。ただ・・・」
「ただ」
「やはり素人には限界があり」
当然だろう。
簡単に窓が作れるなら、何の為に繕工監が在るというのだ。
そう怒鳴りつけたいのを堪えて首を振る。
トクマンだけではない、侍医までこの方を此処まで自由に振舞わせる。
「こんな事をして、また奇轍共が騒ぎ出せばどうする」
「蚊帳自体は天界の知恵ではありません。旧くからあるものですから、特に騒がれぬかと」
「だからと言って、窓に仕立てるなど」
「隊長」
言い募る俺に呆れたように、侍医は此方を眺めた。
「度を越せば私も見過ごしません。ただ窓に蚊帳を張るだけでも、お止めせねばなりませんか」
「目立つことはさせるなと言っているだけだ」
「勝手な事ばっかり言わないで!目立ったりしないわよ!」
俺と侍医との言い合いに、蚊帳の団子の中から声がする。
「蚊帳ってこの時代、すごい貴重品でしょ!それをリユース、再利用するだけよ、誰だってする事じゃないの」
「・・・まずは、蚊帳から出ては如何です」
「あなたが来るから驚いただけじゃない。すぐ出るわよ」
そう言いながらその団子を解こうと、医仙が床で手足を振り回す。
典医寺の蚊帳は、見慣れたものより大きいようだ。
その重さと厚みに絡みつかれたこの方の小さい体を見兼ねたように、侍医がそっと手を伸ばす。
「暴れては余計に絡みます。失礼」
そう言って奴の長い指が丁寧に蚊帳の縺れを解いていく。
その指が掠める赤い髪を見ぬように、俺は目を背ける。
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