信義【三乃巻】~壱~ 迫られた選択・7

 

 

「それで」

豪華な邸内の回廊を歩き続ける舎兄の後ろをついて、私は昨日の様子を話して聞かせた。
あの目の綺麗な男チェ・ヨンに、鼻先でまんまと逃げられた捕り物劇を。
仕方ないじゃない。雨が降ったら私の火功は使えない。

「だって、鼠みたいにちょろちょろと素早しこいし、雨も降って来たし」
「それで!」
明らかに不機嫌な舎兄に従いながら仕方なく言う。
「・・・逃がしちゃった」

舎兄の足がぴたりと止まる。これ以上怒られたりしたら嫌だわ。
面倒な上に鬱憤がたまって、また誰かを焼き殺したくなっちゃうかも。

私は拗ねたままその場で止まり、舎兄から目を離して体を揺らす。
「よくやった」
「え?」

信じられない言葉に私もユチョンも良師も、思わずぎょっとする。
いつもなら氷みたいに冷たく鋭い邪気を纏って、こっちを凍りつかせる嫌味の百や二百言うのに。

「まだまだ、楽しめる」
そう言って前に向き直り歩き出した舎兄に、良師だけが従っていく。
「ねえ、それって本当に褒めてる?」
その声に舎兄は振り向かなかった。

「ああ、舎兄はほんとに良く判んない」
横に残ったユチョンだけが私の声を聞いている。
「絶対あの腹に毒蛇を飼ってるんだわ、それも陰険でいやらしい・・・」

 

俺の前で拗ねたように体を揺らして自分の失敗に苛つくモビリョンが悔しげに言い募った。
その赤い唇で言葉の毒を吐く。
それでも心が揺れていたのか。その唇の紅がほんの僅かだけずれている。
そしてその言葉の毒が、万一にでも舎兄に聞かれるのが俺には怖いから。

俺は手にした袱紗でその赤い唇を静かにそっと抑える。

お前の唇を、他の男への罵り言葉に使うな。
大概の男なら焼き殺せば済んでも、相手が舎兄では耳に入れば厄介だ。

突然当てられた俺の袱紗にモビリョンは振り返り、俺の手の上から熱い手を当てる。
目で訴え首を傾げる俺を見て、悔しそうに
「いらつく!」

そう言って小さい女の子のように、その絹の袱紗を握り締めた。

 

******

 

「郡守がおっしゃいました」

荒れた庵の中。
前王である慶昌君媽媽が横臥された寝台の脇。
俺と同行の男、そしてようやく再会できた隊長はこれまでの経緯を話し合っていた。

「迂達赤隊長より、事情を聞く」
弓を下ろし装備を外しながら、男がそう隊長に告げる。
「罠に嵌められたか否か、判断すると」

事情を聞くための捜索。そういう事だったのか。
故に隊長を探し出し、連れて来いとの命を受けていたのか。

男の言葉を聞きながら、俺の不安に固まった胸が安堵で溶けていく。
「良かった、信じてくれる人がいて」

しかし隊長の表情に溶けた様子はなし。
逆に一層、固くなったようにも見える。

「罠であれば願ったり叶ったりだが、これが万一、本当に謀反ならば」
何を言い出すのだ、急に隊長は。ようやく話が収まりかけたというのに。
「隊長!」

どこまで本気なのかを判じかね、半ば訴えるような声になる。
「連れて行くか?」
俺を一切見ることなく、男に向かい問う隊長に
「反逆者なら俺になんかついてきません。違いますか」
そう返答し、男は庵の外へ出た。

チュソクと共に現れた突然の訪問者。
あの男の言う事、信用できん。

言い分は分かる。筋も通っている。
それでも信用できぬものは仕方ない。

何故だと問われれば勘としか言えん。
それでも俺はその勘で、今まで死地を抜けてきた。

目下只今の最大の問題は、このままでは反逆者に成り下がる事。
反逆者として媽媽を危険に晒す事。医仙を巻き込み約束が果たせぬ事。

どうする。考える暇はない。

ようやく静かに眠られた媽媽の様子を見ていた医仙も、
「またいつ、痛みだすか。 長く揺られるのは避けたいけど」
と、慶昌君媽媽の病態を心配している。

まずは慶昌君媽媽に適切な手当のできる環境を。
そして無事に帰すと約束した医仙の身の安全を。
最後に謀反の濡れ衣を着せられた俺の潔白を。

これを一挙に得るには考えるまでもなく、罠と思っても飛び込むよりない。

医仙の声を聞きながら、チュソクが俺に僅かに寄って訊ねる。
「江華郡守と面識は。信用なりますか」

正直に首を振り、立ち上がる。
「面識も信用もないが、今はそれを頼るしかない。逃げ続ける訳にもいかん」

今静かに横臥されていらっしゃる慶昌君媽媽。
その寝台の足元に腰掛け、俺はご様子を拝した。

媽媽。俺を、信じて下さいますか。
此処よりは幾らか安全な場所で、お辛い御体を僅かでも癒せるよう、チェ・ヨンがどうにかして見せます。

「ではどこか他に移りますか」
信用ならんと言った江華郡守の元に、俺が出向くのが納得いかんのだろう。
チュソクはそう言って、俺に移動を打診する。
「お前は戻れ」

俺の言葉に奴は膝をつく。
そうだ、常に退路を確保する。
戦の時にはそれが重要だ。

俺の肚の中の勘がそう言う。
虎穴に入る。
入る以上媽媽と医仙を逃がす退路は、必ず確保しておかねばならん。

「王に伝えてくれ」
俺のその言葉に、チュソクは言いづらそうに淀む。
「王様は最近ご機嫌が悪く・・・今回の隊長への遣いは、副隊長の密命です。
王様がもし、俺が隊長のところへ来たことを知れば」

そうだったか。
若き新王、何処かの誰かに耳元で吹き込まれた数々の戯言に、またも惑うておるのだろう。

チュソクの心配げに途切れた言葉を俺は継ぐ。
「伝言くらいで殺しはせん」
チュソクがそれでも不安げに、俺を見上げる。
「本当に」
そう訊かれればただの勘だ。
それで幾度も死地を抜けてきた。

「自信はないがな」
「隊長」
チュソクが膝をついたまま、俺に一歩寄る。

「御咎めを受けず生き延びたら、王の返事を知らせに戻れ。待ってるぞ」
チュソクが太い息を吐く。
「王様がお返事を下さいますか」
「言ったろ、俺も自信はない」

俺はとんでもない状況に置かれているのか。今更ながら、肚に震えが来る。

反逆者の汚名を着て逃げる隊長。
是が非でも隊長を皇宮に呼び戻せと、厳しく命じた副隊長。
俺達迂達赤の直訴すら跳ね返し、隊長への協力は 絶対にならんと断を下した王様。

そして王様の命に背き、隊長を皇宮へも連れ帰れず。
全ての約束も命も、守れそうにない。八方塞がりだ。

そして隊長は俺に、 王様に対し隊長の事を話せと言う。その返答を持ち帰れと。

「では・・・」
王様のご機嫌と話次第では、俺もそこまでかもしれん。
そう言い淀む俺に寄り、肩に手を載せ、俺の目をまっすぐ覗き込み隊長は言った。

「俺のせいで、命を落とすかもしれん」

真っすぐに見返せない俺が、もう一度 隊長に目を合わせるまで待ってから。
隊長は再度、はっきりと言った。

「すまない」

 

 

 

ミアナダ、これ書くのも何度目か・・・
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11 件のコメント

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    チュソクのためらいに、こんな思いがあったんですね。
    部下たちが死なないように鍛えてきたチェヨンくん。王様への言付けは、退路を考えてのことだった。その命令で、こいつを死なせるかもしれない、どんな心ですまないと言ったのか。チェヨンくんの、決断しなくてはならない状況、罠でも行くしかない。うー
    キッチョル、楽しんでます。人の心を弄ぶやな奴。ユチョンは、ほとんど喋らないけど、キッチョルのこと恐れていたのですね。納得しました。(^^)

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    退路を確保、その為にチュソクが危険になるかもしれない。直ぐに返事出来ないチュソクが顔をあげるのを待つヨン。その時の顔がいいですね。ビビッてるチュソクの気持ちをわかりつつ、お前に頼むしかない、お前なら出来る、大丈夫だみたいな。ヨンの気持ちを受け止めれるのはチュソクだからと信じて。次々起こる展開の早さに、ヨンも自分の勘を信じるしかなく、苦悩しつつ、突き進んでいたのですね。

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    こんにちは!さらん様。
    連日の更新お疲れさまです。
    ヨン、チュソク、千音子、さらには
    ファスインからの目線で、
    「あぁ、そうだったんだろうな」と
    ドラマでは聞こえてこなかった様々な声を
    聞かせて頂けるのが嬉しいです。
    でましたね~♪「ミアナダ」
    何度みてもヨンのあの表情♡♡です。
    余談ですが…
    「目の綺麗な男」 昔から妊娠中にアワビを
    食べると目の綺麗な子が産まれるといわれて
    います。イ・ミンホさんのお母様は済州産の
    それは立派なアワビを召し上がったのでしょうね

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    この時、チュソクが一番難しい任務に当たる事になったんですね。もう何も考えず、与えられた任務を遂行するのみ。
    後に、ヨンの 「すまない」 が大きな意味をもう事を、この時誰が想像できたでしょうか。

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    >ポチッとなさん
    こんばんは❤コメありがとうございます
    この後の~弐~では、それはもう
    大葛藤し、珠の汗を流します・・・
    それでも揺るがぬ信頼と忠誠、さすがチュソク!
    実はユチョンは、舎兄奇轍を恐れてというより
    もう単なるジェラシー?(w
    詳細は【絡新婦】にて、ちらりと。
    ポチっとなさまが読めると嬉しいのですが・・・(゚ー゚;

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    >チェヨン1さん
    こんばんは❤コメありがとうございます
    もうこの辺りは、一晩でえらく事が動き、
    ヨンもさぞや気苦労が絶えなかったと・・・
    そこにLOVE要素まで絡み、ううう、ご苦労様です・・・でした。
    そうですね、今でこそうちの話では
    牌まで用い、戦況を読み、一手二手先を計じる
    そんな大護軍と成長したヨンではありますが
    この当時はまだ覚醒前夜。面倒くさいが基本ですw
    変わらぬのは肚を読む力、そして戦場で鍛えた勘のみ。
    ここから、大きく広がっていく(はずの)
    ヨンの力、楽しみでありません
    (おまけにこの回は雷功も使いますし❤)

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    >わいやーさん
    こんばんは❤コメありがとうございます
    もう、チュンソクチュソクのチュチュコンビ、
    そしてもちろんヨンウンスのイムジャカポー、
    そこに王様媽媽のロイヤルカポー、
    てんこ盛り過ぎ嬉しい悲鳴。
    幸せです、もうこうやって書けることが。
    そしてこの後に、また二次に戻り、
    消化不良点をすべてクリアにした上で、あの世界を
    続いて紡げることも。ああ、どうしようと
    思わずうぃんぱち君の前で叫びたくなるほど。
    この後も、続々です。
    ところで済州のあわびでミノ氏が生まれるならば
    (いえ、生まれませんよねww)
    いっそ済州に引っ越しますが、どうでしょうか?
    ああ、でも・・・きっと私の赤ちゃんは、あんな綺麗な黒い目ではないです、
    いくら名産済州のあわびでも・・・くすん(ノ_-。)

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    >ままちゃんさん
    こんばんは❤コメありがとうございます
    そうなのです。この壱、弐のチュソクの言葉が
    蒼天につながっていたりして
    書きながらも切なく胸が痛く、でもこれならば
    チュソクにとってはあの最期でも、きっと悔いはないのではと
    そう自己満足に浸ってみたり・・・です( p_q)
    みあなだ、何度書いてももう・・・
    どこで句読点を打つか、どれくらい行間を空けるか
    どの角度からのヨンを書くかでも全く違ってくる魔法のシーン。
    さすが、信義。思わず唸ります。

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    さらん様、こんばんは❤︎
    ヨンの様に、己の思いだけで行動出来る訳も無いチュソクは、本当に困ったでしょう。
    王と副隊長、そして今また、ヨンの命令を受け、どれほどパニックになっていたことか?
    ですが、隊長は、あの顔で、あの声で続けるのです。
    「俺のために命をおとすかも知れん。すまない…」
    あんな表情で、ヨンに「ミアナダ」と言われたチュソクは、決死の覚悟で皇宮へ…。
    ヨンとウンスに、これから何が起きるか知っているだけに、この先は辛い内容を覚悟せねばなりませんね。
    さらん様が泣きながら書いたお話を私も泣きながら読む覚悟です。(T . T)

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    >夢夢さん
    こんばんは❤コメありがとうございます
    もう、はあああです。しかし今回は、今まで避けてきて
    最終的に捩じれたトルベのシーンや、慶昌君媽媽のシーン
    書かないと、紅蓮以降に進めず。
    しっかり書き切る所存です。
    まず今書いている8話で、王様がどえらい熱い男になっている!と
    少しばかりタネ明かしを( ´艸`)

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    お早う御座います。自分の意思が、全く無い言われたら。その通りに、言う事しか出来無い王なのよ!テレビの王は、嫌いでしたね。

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