「落ち着いた?」
部屋の裏扉からの声に振り向くと、茶碗の乗る盆を持ち
あの方が爪先で扉を開け、部屋へと入って来るところだった。
肩から織物を纏ったまま部屋を大きく横切ると、危うく腕に抱える盆をこの手で奪い取る。
その刹那、触れ合った指先にこの方の目許が厳しくなる。
「ヨンア」
「・・・はい」
受けた盆を手に歩き、部屋の卓の上へと据えて振り向く。
その瞬間、思っても見ぬ程の近くにいたこの方の温かい手が、額へ素早く伸びて来る。
熱を確かめて頬、そして頸へと移り、最後に手首の血脈。
落ち着いた指先を感じつつ、鳶色の瞳から眸を逸らす。
唯でさえ濃藍の下衣だけで冷えた体が、その瞳に見つめられた気まずさで尚更冷える。
「ねえ、火鉢で温まってって言ったわよね?」
「はい」
「ちゃんと温まってた?」
「・・・外を、見ておりました」
「外」
「はい」
「毛布だけ羽織って、寒い窓の側にいたわけね?」
「・・・はい」
「もう遠慮しないわ。ヨンア」
「は」
「今すぐベッドに入って。お茶はベッドで飲む事」
「寒くは」
「ふぅーん」
何故この方がお怒りかは判る。
確かに額に当たった小さな掌、手首の血脈に触れた指先はいつもよりも温かかった。
この方が熱があるのではない。
そんな熱さではなく、己の体が冷えているのだと判る。
「じゃあ、帰りましょう」
この方は唐突に切り出す。
「・・・は」
「私もびしょ濡れになるけど。帰りましょ、チュホンに乗って。
こんな冷たい雨に濡れて、冷え切った体で馬に乗って帰ったら明日は確実に風邪ひくけど、帰ろうヨンア。着物取って来るから」
「イムジャ」
どうやら本気で怒っていらっしゃる。
いつもなら此方を笑わせようと三日月に笑む瞳が、怒りを露にこの眸を睨む。
「あなたがこんなに冷えるなんて珍しい。今、季節の変わり目で典医寺にも風邪の患者さんがたくさん来てるわ。
迂達赤は兵舎で集団生活が基本だから、感染も集団で出やすいの。責任者のあなたが、自分の体調に無頓着じゃダメでしょ?」
おっしゃる事は至極尤もだ。
声に詰まった此方に畳み掛けるように、少し怒りの収まった瞳でこの方が続ける。
「紺色なんだし、別に普通の薄着じゃない。先の世界で言えばTシャツとスウェットパンツって感じ。別に普通よ。考え過ぎ」
相手がどう見るかではなく、己が居心地悪いのだ。
伝えたくともようやく怒りを収めたこの方に言う気になれず、俺は無言で頷いた。
「春の雨宿りだと思って。ロマンティックでしょ?外は雨だし、2人っきりだし、お茶でも飲んで雨が上がるまで」
「・・・はい」
この烈しい雷雨の中、下衣姿で二人きりも無い。
鬼剣の柄を握り締め、渋々この方の寝台へと重い足取りで向かう。
その背の後、小さく笑いながらこの方がゆっくり添うて来た。
何処からともなく入り込む風が、寝台の枕元の油灯を揺らす。
「春の雨っていうより、これじゃ春の嵐ね。雷がすごい」
二人並んで身を預ける寝台、頭板に半身を凭れこの方が俺を見る。
「ええ」
「風も雨もひどくなる一方。これじゃ今晩、帰れるか」
「はい」
確かに雨音は典医寺へ来てから強まるばかりだ。
そして並んで茶を飲む間に暗い空に稲妻が走るようになった。
低く吠える雷音が響く度、細い肩を竦めてこの方が胸に寄る。
それでも乾いた音ではない。ほんの僅か距離がある。
しかし皇宮の真上に雷雲が被さるのは時間の問題だ。
この方は俺を見ていた瞳をそのまま窓の外へ移し、不安そうに雲行きを確かめる。
「そろそろ乾いたかもね、あなたの着物。ちょっと見て来る」
そうおっしゃると寝台から腰をずらし、細い両の足を床へとつける。
その瞬間に感じた掌が痺れるような、髪が逆立つような気配。
小さな体を両腕で引き、その上に覆い被さる。
目の前で火が爆ぜるような閃光と共に襲った突き上げる衝撃。
体の下でこの方が声にならぬ悲鳴を上げる。
空が落ちたような乾いた轟音と共に、典医寺全体が軋んで揺れた。
この方へ覆い被さったまま窓外へ眸を投げる。
雨のお蔭で火が出る事は免れたが、すぐ間近に落ちた。
この方は細かく体を震わせ、声も出せぬ様子でじっとしている。
「イムジャ」
被さったまま呼ぶと、震えた体で柔らかい髪が動く。
恐らくどうにか頷いているのだろう。
「大丈夫ですか」
やはり声は返らぬままで、髪だけがふわふわと動く。
頷いた体をこの腕の中へ抱き、その上から確り毛織物で包む。
心配だという事もある。そして半分は己の下衣姿を隠す為に。
「掴まって下さい」
そのまま寝台を立つと空いた指先で鬼剣の柄を握り、俺は部屋の裏扉から飛び出した。

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やっ~と ヨンを寝台に追い込んだのに
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まって~
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ウンスに叱られるヨンが
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ヨンに守って欲しいです~(笑)
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