盂蘭盆【終章】| 2015 summer request・盆踊り

 

 

「満足ですか」
盂蘭盆会の朝。
掌楽院から訪れた楽員たちの筝や鍾、笙の音色が皇庭を流れる中で横のこの方に問うてみる。

夏の朝、まだ熱を持たぬ透明な日差しの中、楽員たちの新調した官服の刺繍が光る。
さすが王様の御前での演奏に相当に緊張しておるのだろう。
どの顔にも音を楽しむ笑みよりも、むしろ突然集められた緊張と戸惑いの色が濃い。
祭というよりこれでは戦のようだ。
かつて催した事のない、皇宮での盂蘭盆会の踊り。
掌楽院の方でもさぞ驚いた事は察して余りある。

問い掛けにこの方が驚いたよう、庭を眺めていた丸い瞳を上げた。
「え?」
「これで満足ですか」
「うーん、実際どんなものかよく分からないから、何とも」
「これ程に雅でないのは確かです」

皇庭で楽を演奏するようなものではない。
民の過ごす盂蘭盆会はより猥雑で、それ故に力もある。
「でも目標は媽媽と王様が素敵な夜が過ごせればいいな、ってことだし。それで未来が変わるのか知りたいとも思うしね」
「未来が」
「ああ、えーっとね。本来はご懐妊される予定じゃない媽媽の未来が変われば、そこから何か変わってくかなって」
「・・・・・・」

思い上がりかもしれん。
それでもこの方は俺の先を、あの李 成桂に殺される筈のこの先の世界を変える為、また何か小さな企みの石を足許へ置いたのか。
それに躓いた運命がそれまでと違った方へ転がるように。
「あなたは」
「え?」
盂蘭盆会の歌垣も判らぬこの方へ送ろうと、無駄な事だ。
「遙隔相思涙不乾」
「・・・は?」
「いえ」

こうしてようやく逢えたのに隔てられ、あなたを想えばこれから涙が乾くことはないだろう。
いつでもあの扉の向こうから、想って下さるあなたを想えば。

父上にあの頃受けた漢詩の教えも、伝わらねば意味はない。
俺は息を吐き、庭を後に兵舎へ戻る回廊へ足を向けた。
「ちょっと待って隊長、なんて言ったの?」
慌てたように背を追うあの方の声を聞きながら。

 

*****

 

「これは・・・」
チュンソクが目の前の掌楽院の奏に目を瞠る。
「・・・・・・風流ですね」
トルベはそれ以上は言葉がないかのよう唸る。
「しかし、市井のあの勢いが・・・」
「期待するな」
「隊長、しかしあの楽しみあっての」
「歩哨の後、外で楽しめ」
「良いんですか!」
「・・・ああ」

巳の刻から始まった演奏は眩い陽の下、暑い空気を揺らし皇庭を流れて行く。
庭に設えた玉座の上の御前には、盂蘭盆会に相応しい彩の大小の皿が並ぶ。
そこで楽し気に微笑み、御顔を見合わせる王様と王妃媽媽を玉座下から拝し、安堵の息を漏らす。

何事も無く済んでくれればそれで良い。
あの方の目論見とは異なるかもしれん。
設えた舞台で歌舞を供しているのも、王様や王妃媽媽ご本人ではない。
尊い御二人が、臣下の前で舞うなど有り得ない。

市井の踊りとは余りに様相を異にするその盂蘭盆会。
トルベは何処か不満気に、そして多少なりとも民の様子を知る者たちは一様に首を傾げ舞台の板上を眺めている。
知った事か。
あの方さえ面倒に巻き込まれず、思いが遂げられれば良い。
舞台の板を挟む向かい。
侍医と共に立つ頼りない小さな鎧姿を、夏の光と音の中に俺はじっと見つめる。

「ねえ、チャン先生?」
「はい」
典医寺を出て、あの人のいる迂達赤兵舎に潜り込んでからほんの何日かなのに。
すごく久しぶりに会った気がするチャン先生の横で、私は目の前の踊りと演奏を見ながら、先生に声を掛けてみた。
これって国楽よね?これでみんな盛り上がれるものなの?
媽媽と王様が楽しそうに笑い合ってるのは何よりだけど。

「町では本当に、これで盛り上がってるの?隊長は風紀が乱れるくらい盛り上がってるって言ってたけど」
それが心配なのよね。何しろ今回起きて欲しいのは媽媽のご懐妊だもの。
チャン先生は少し俯いて、私を見ながら首を振った。
「市井での盂蘭盆会は、これとは全く違います」
「・・・やっぱり、そうなのね」
「あれを皇宮で再現するのは無理です」

先生の小さい呆れたような声に、私はがっかりして俯いた。
そうよね、何しろ王様と媽媽だもの。
町みたいに踊って騒いで、ってわけにはいかないわよ。
「ねえ、先生」
「はい」
「でも、もしね。もし媽媽がご懐妊されたら、私がいなくてもその時は先生が助けてくれるわよね?」
「医仙」
「必ず、助けてくれるわよね?」
「・・・力を尽くします」

穏やかに言ってくれるチャン先生を信じるしかないわ。
どこかで歴史が変わるように。
私が帰ってもあの人がこの世界で、無事に元気に生きて行ってくれるように。

舞台の向こう側で媽媽と王様のお席の下に立つ大きな鎧姿。
まっすぐ背を伸ばしたあの人を、私はじっと見つめる。

 

*****

 

夏の陽がすっかり傾き、夜の帳が下りる頃。
こうして盂蘭盆会の演奏を終えても昼の楽しさの名残が、その美しい音色が耳の中に残る。

この方を部屋へと訪い、開いた窓からの涼しい風が寝台を隠す薄物を揺らす刻になっているのに。
「王様」
「どうされた」
愛しい方は遠慮がちに声を掛けた後、二の句を継がずこの身の横にそっと腰を下ろした。
「医仙が、教えてくださいました」

近頃何かというとその御口から上がるのは、医仙の御名だな。
天界の教えは、姫であるこの方の心すら捉えて離さぬらしい。

思わずこの口端を上げながら、その澄んだ瞳を覗き込む。
その目に恥じるよう顔を紅くされ、消え入るように細い声がようやく囁いた。
「民は盂蘭盆会に、愛しい方と、歌を交わすのだと」
「歌ですか」
「・・・はい」

民がそれ程高尚な楽しみ方をしておるとは、全く知らなかった。
寡人が故郷を離れている間に、ずいぶんと変わったという事か。
今も耳奥に残る音色を思い出し
「錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華君」

仲の良い妻の奏でる、その錦瑟を見るだけであなたを思い出す。
戯れにそう詠んでみると、王妃の白い頬の赤みが増す。
「・・・此情可待成追憶、只是當時已惘然」

この方の細い声が、返歌を謳う。
切ないのは、今こうして思い出すからなのでしょうか。
そうではなく、あの頃いつも切ない思いをしていましたと。

あなたにそれ程までに哀しい思いをさせていた。
そして寡人は己の気持ちに精一杯で、それには気付かなんだ。
こうして詠まれるだけで、申し訳なさにいたたまれぬ思いで横にある柔らかな手を握る。
「問余何意棲碧山、笑而不答心自閑」

あなたに問おう、何故私から離れた青山に身を隠されていた。
お答えは頂けないが、それでも今こうして心は穏やかだ。
あなたは笑んで、返歌を詠む。
「紅花流水窅然去、別有天地非人間」
紅い花の流れて行く水、それを辿って下されば、其処には他の者たちの気付かぬ別天地が在ったでしょう。

柔らかい手を握ったこの手の上から、もう一つの柔らかい手がそっと重ねられる。
向き合った寝台の上、この方が長い睫毛を伏せられる。
窓からの夏の風が、皇庭に開く名も知らぬ花の香を運ぶ。

それを辿れば、確かに寡人とあなた以外は誰も知らぬ別天地が在るのだろう。

 

「うーん」
兵舎の開いた窓、夏の夜風が抜ける。
その涼風に紅い髪を揺らし、この方は小さく唸る。
「どうされました」
「よくわかんなかった。成功、したのかしら」

盂蘭盆会の一件をおっしゃっているのだとすぐに判る。
そればかりは此方にも計り知れない。
「どうでしょう」

ゆるりと笑んで伝えるとこの方は窓際から振り向き、此方へと困り顔を見せる。
「それじゃダメなの。どうにかして未来を変えないと」
「・・・無理をして、変わるのですか」
「分かんない、でもやれるだけの事をやらなきゃ」

どうという事はない。
この方を喪った後に死のうが生きようが。
この方の無事さえ判れば、あとはどうでも良いのだ。
しかし告げる事はない。
告げればこの方がどれ程悲しむか、翻心の為にどれ程無茶をやらかすか、判ったものではない。

盂蘭盆会は己にしてみれば成功だ。
王様は王妃媽媽とお楽しみ頂けた。
この方に歌垣を詠む 馬鹿な命要らずも現れなかった。
楽しみ足りぬ奴らは、歌舞が終わって早々に市井へと出て行った。
皇宮の中はいつもの夏の宵。

まだ虫が鳴き始めるには早い時節。
まるで宵闇が全ての音を吸い込むような静けさの中、この方の声だけが響く。
これ程に頭を痛めている様子でも、その声はまだ明るさが残る。
天賦の才だな。
そう思いつつ窓辺へと寄る。

すっかり黒い窓の外。盂蘭盆会に相応しい丸い月が昇る空。
返歌など期待せず小さな背に向かい、静かに謳う。
「邂逅相逢慰此生」

こうして巡り逢い、あなたはこの生を慰めてくれる。

あなたに逢えて、生きる力を頂いた。思い出させてくれた。
生きるとは、護るとは、俺がしたかった事とは何なのか。
離したくはない、それでも帰す事が約束だ。
心は痛む、それでもあなたには幸せになってほしい。
それこそが、俺があなたの生を慰められる唯一つの道だ。
「ねえ、隊長。さっきからそれ、何?」

その不思議そうな丸い目に、無言で首を振る。
返歌の戻らぬ歌垣も良いだろう。
返ってしまえば共にしたくなる。例え一夜の枕でも。
それを心に抱いて、残りの生を過ごすなど真平だ。
それ程易いなら早々とそうしていた。
「盂蘭盆会の、戯れです」

俺の声に返るのは、歌ではなく丸い瞳だけだ。
それでも見つけてしまったこの方を、俺はじっと見つめ返した。

 

 

【 盂蘭盆 | 2015 summer request・盆踊り ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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