2014-15 リクエスト | 碧河・3

 

 

薬房が見えて来た、その店先に辿り着く直前に隊長がぴたりと足を止めた。
「聞こえたか」
問いかけの意味が分からず、首を振る。
「いえ、な・・・」
そう答えかけた時。確かにこの耳にも届いた声に首を回す。

男女の争うような声が、船着場から薬房へ向かう大通りの脇道から聞こえてくる。
次の瞬間、隊長は横にいらした医仙の手を掴み
「侍医」
そう言って声のする方へ向かい駆け出した。
私は懐に納めた鉄扇を確かめると、医仙を挟んで隊長の横を走りだす。

 

脇道への角に踏み入った瞬間、その光景は目に飛び込んできた。
あの女人だ。深碧の目。抑えた声で何か低く言い募っている。
周囲には大食国人の男たちが三人。彼女を少し遠巻きにし何かを懸命に伝えている。

彼女たちが話しているのは大食国の言葉なのだろう。私には全く理解ができない。
男たちは乱暴に対する様子は全く見受けられない。
しかし彼女は髪を振り立て怒りの篭った目で男たちを見、何かしきりに言っている。

このままにしておいても良いものか。
言葉が分からぬ故に、揉め事なのかすら判断がつかない。
しかし次の瞬間、彼女が懐から取り出した小さな刃物が朝の光を受けて光った時。
この身は勝手に男たちと、その刃物を構えた碧の瞳の間に割って入った。

 

「皇女」
懐かしい名で呼ばれ異国の市の往来で足を止めた。
見つからぬはずはないと予想はしていた。兄上にも覚悟はしておけと言われていた。
それでも強引に連れ帰ることはせぬよう碧瀾渡の市の大食国の元締に連絡はしておくからと。
それを信じ、薬園で栽培した薬草を運ぶことを口実にようやく宮殿を出てきたというのに。

「リディア皇女ではないですか」
足を止めたまま振り向かぬ私に後ろの声が大きくなる。
人違いだと押し通すか。そんな事を考えながら、声が近寄った瞬間に振り返る。

「皇女、何故こんなところに」
振り向いた私に追手の一人が即座に目を伏せ、小声で尋ねた。
「お前たちには関係ない」
こんなところで押し問答をし人目を集めて目立ちたくはない。
かといって見つかった以上、逃げだせば騒ぎは大きくなろう。

「知っていて追いかけたのではないのか」
追手たちは本当に知らなかった様子でそれぞれに首を振った。
「このようなところにいらしてはなりません。兄上様や皇太子殿下はご存じなのですか」
「皇太子さまは知らぬ筈だ、兄上にはお伝えしてここへ来た。
お前たちが気を揉むことではない。さっさと立ち去れ。二度と声を掛けるな」

低い声で伝えると男の一人が首を振った。
「それはできません、皇女。
皇太子殿下がご存じないならば、私達は殿下にお伝えする義務がございます。
どうかこのまま元締の館までご同行ください」

私は唸るように拒絶の声をあげる。
「兄上から元締に私を無理に連れ戻すなと伝達が行っておる。
疑うなら確認するが良い。行け」
「そうは参りません」
俯いたまま、しかし確かに私の行く手を塞いだ男を認めた瞬間に、私は低く叫んだ。

「私を誰と心得る。どこかへ連れ出すならば駱駝三十頭で隊列を組んで出迎えに来い」
「皇女、どうかお静まりください」
「では女だからと愚弄するのか」
「そんなつもりはありません」
「砂漠の民は行きたいところへ行く。止めるなら覚悟しろ」

私は胸元から護り刀を抜いた。
目の前の男を斬ろうとした瞬間に、飛び出して来た別の男が護り刀と目前の男との動線に割って入った。
私が驚いて刃を止めようとした瞬間には間に合わず、手にした刃はその飛び込んできた男の腕を斬った。

そして次の瞬間、女の悲鳴が脇道に響いた。
大通りに出る道の角から赤い髪の女が、それを振り乱しながら、腕から血を流す男に向かって駆け寄る。
そして黒い髪黒い目の男が、無言で赤い髪の女と共に駆けつけた。

「侍医」
黒い目の男が短く呼びかける。
「チャン先生、大丈夫?」
赤い髪の女が声を上げ、斬られた腕を上から強く抑える。

チャン先生、この間薬房で聞いた名前だ。
私は目の前の道に倒れた男の乱れた長い髪の、その奥の顔にまじまじと目を当てた。
あの時の顔だと思いあたり、思わずぞっとする。
全く無関係の者を斬りつけてしまうなど。

「何て無茶するの!」
女は辺り構わず大声で叫びながら、チャン・ビンと先日名乗った男の腕に脱ぎ捨てた自分の上衣を巻いていく。
黒い目の男がそれを上げ、私たちをじっと見る。
「・・・済まない」
私が高麗語でそう言うと、男は
「この先に薬房がある。済まぬと思うなら店主を呼んで来い」
怒った声で吐き捨てるとチャン・ビンと呼ばれた男に肩を貸し
「歩けるか。行くぞ」
そう言って彼を立ちあがらせた。

「皇女」
それでもしつこく食い下がる男たちを鋭い一瞥で黙らせると、私は黙したまま薬房へと駆けだした。
あの店主を呼ぶために。
息を弾ませ薬房へ駆け込むと店主が驚いたように目を向ける。
「あなたは」
「今からこの間の男が運ばれてきます。薬を」
「リディア殿でしたね、この間の男とはチャン先生ですか」
「そうです」

私の顔色は尋常でなく悪いのだろう、薬房の店主は
「なぜチャン先生が。何の薬を用意すれば良いのです」
短く問いながら席を立ち、薬房の薬棚へと急いで寄る。
「刀傷です。私が」
「店主」

その時チャン・ビンがあの黒い目の男に半ば担がれ、赤い髪の女と共に薬房へと入って来た。
「チャン先生!」
腕に巻いた赤い髪の女の上衣が傷口からの出血で斑に染まっているのを見て、店主が慌ててチャン・ビンへ走る。
「どうなさいました」
店主に向かいチャン・ビンは首を振ると
「小さな諍いに巻き込まれ、つい」
「それなら市の衛士に伝えねば。相手の人相を覚えていますか」
「いえ、余りの痛みに忘れました」
「先生」

この男が庇っているのだと分かり、私は声を上げる。
他人である異国のこの男に庇われる理由などない。
しかしチャン・ビンは静かな目でじっと私を見つめ、次に微かに首を振った。
その目に圧されて、私は口を噤んだ。

その私にはまるで気づかぬ様子で、薬房の店主はチャン・ビンの腕に巻いていた女の上着を静かに解く。
女は横から黙ったまま、その傷を覗き込む。
「それほど深くはないみたい」
そう呟いて、次に
「チャン先生、ちょっとごめんね」
そう告げると手を掴み、肘を屈伸させ、腕を軽く捻る。
「動きは?」

チャン・ビンは顔を微かに歪ませながらも
「いえ、骨や筋には問題はないでしょう」
そう言いつつ自力で拳を握り、その後傷口を己でも確かめる。
「見た目の出血が少々派手なだけです。縫えば問題はない」
女は頷き、店主に顔を向け直すと
「止血薬と、消毒薬はありますか」
そう言って赤い長い髪を後ろに回した。
「はい」

頷く店主を見ながら女は胸元から出した紐で長い髪を結び
「出来ればすぐ傷を縫いたいんですけど。熱湯と針と糸、ありますか」
店主に向けて続けて訊ねた。店主は心得た様子で薬を女に渡すと、
棚から針と糸を入れたらしき小さな箱を取り出し、店の裏へと駆けて行った。

私はチャン・ビンに向かい、今一度頭を下げた。
「チャン先生、本当に済まない」
チャン・ビンはその謝罪に首を振る。
「私が勝手に入ったのです。気にせずに。しかし医者は人に刃物を向けてはならない。あの彼らにこそ詫びなさい」
厳しい顔で私にそう告げた。

チャン・ビンが止めなければ、私はあの男たちを刺していた。
医者だ何だと言いながら、他人の命は自分の矜持に比べられるような大切なものではなかったということだ。
この男のように庇う為に、迷いなく相手の刃の前に立ちはだかる覚悟などない。

私を見つめ続けるそのチャン・ビンの腕に、あの赤い髪の女が消毒薬をたっぷりと垂らす。
チャン・ビンはそれにも顔色を変えない。
「針と糸を煮ています」
奥から店主が女に向けて大きな声を掛ける。
女はその手首に巻いていた不思議な形の腕輪に目をやると
「分かりました。伝えるまで煮ていて下さい」
そう言って店内の卓、先日チャン・ビンが腰掛けていたのと同じ椅子を引き、そこにチャン・ビンを座らせた。

「イムジャ」
あの黒い目の男が、静かに女に声を掛ける。
「大丈夫そう。出血が多かったから心配したけど」
女の声に男は小さく頷く。そして私に黒い目を向け、そのままその目をチャン・ビンへと戻す。
「お前たち、知り合いか」

そう尋ねる黒い目の男を見遣り、チャン・ビンは頷く。
「こちらはリディア殿です。この方が大食国から薬草を運んだ折、この薬房で会いました。
リディア殿、こちらは高麗の近衛隊、迂達赤の隊長と、医仙・・・現在の高麗の医官の最高位の御方です」
「リディアさん」
医仙と呼ばれた赤い髪の女が、私に目を移した。
「じゃあ、あなたも医者なの?」

私は医者なのだろうか。
その医仙と言う女の問いかけに、私は言葉に詰まる。
ただ宮殿を逃げ出す手段として、医を学んだだけだ。

黙っている私に、目の前の三人の目が当てられる。
「私は」

目の前の三人をじっと見る。
国王の侍医であるチャン・ビン。
医仙と呼ばれる、赤い髪の女。
近衛の隊長という、黒い目の男。

その時女がもう一度その手首の腕輪に目を遣り、店の奥に向けて大きく声を上げた。
「もう大丈夫です。針と糸を冷ましてください。あとすみませんが、手を洗わせてください」
そう言いながら勝手に店の奥へと入っていく。

店主が運んできた針と糸を手元に用意している間に、奥から戻って来た女が
「チャン先生、傷が広範囲だから麻酔がないとちょっと危ないかもしれないわよ、かなり痛いと思うし」
チャン・ビンに向かい、心配そうに眉を寄せて告げる。

チャン・ビンは少し考えた後、店主に声を掛ける。
「申し訳ないが、鍼を見せて頂けますか」
店主が慌てて用意した鍼からチャン・ビンは数本を選び取ると、横の黒い目の男に振り向いた。
「隊長」
呼ばれた黒い目の男は心得たよう頷いた。
チャン・ビンは鍼を指先で持つとその先を確認した後、己で腕の点穴へ的確に刺した。

掌を広げた黒い目の男が静かに針の上へ翳すと、その掌から小さい蒼白い光が鍼の頭へと伝った。
暫しの後、チャン・ビンはその鍼を静かに抜いていく。
それを見た医仙が、丁寧に傷口を縫合していく。
その途中でチャン・ビンに言うとも黒い目の男に言うとも、どちらともつかない口調で
「全く馬鹿なんだから」
「こんなになっちゃって」
「だいたいこの男たちときたら」
などと、ぶつぶつと呟きながら。

 

「さて出来ました。相変らずきれいすぎる、私の手術跡」
そう言いながらチャン・ビンを見て微笑んだあと、黒い目の男を見た。
そして傷に止血薬をしみこませた綿布を乗せ、上から包帯を巻いていく。
黒い目の男は、その声に僅かに目許を緩ませる。
「ありがとうございました」
チャン・ビンが、笑いながら頭を下げる。

「お礼はいいから、もう無茶はやめてよ。こっちの方が寿命が縮んじゃう」
女はそう言うと店主に向かい
「すいません、最後にもう一度、手を洗わせて」
そう言って席を立ちあがった。
「では私もお茶を入れましょう」
二人が奥へ歩いていく。ようやく薬房の中に静寂が訪れる。

「侍医」
黒い目の男が、チャン・ビンに声を掛ける。
「帰途、馬は問題ないか」
チャン・ビンは首を傾げ
「あまり速度は出せないかもしれません。傷は痛みませんが感覚がないので、手綱を握るのは」
「そうか、馬は置いていくか」
黒い目の男はふと考え込むよう口を閉じた。
「・・・私が」
この声に黒い髪と長い髪、その二人の目がこちらを向いた。

「私が送ります」

 

 

 

 

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