紅蓮 | 序・10

 

 

前方で突然起こった雷光と地響き、続いて吹きつけた風。
握奇隊の陣中央で馬に跨った俺は、鞍上で可能な限り首を伸ばした。

チェ・ヨンが、撃ちやがった。

瞬時にそう判じた。

次の瞬間、前方に二つ並ぶ豆よりも小さい影のうちの一つが、飛ぶようにこちらへ向かって動くのが見えた。

 

大護軍の真後ろ。
その背を正面に見ていた虎隊の俺たち全員が、息を呑み無言で互いを見た。
目の錯覚か?
大護軍が鬼剣を振り下ろす卵ほどの小さな影が、確かに見えた。

次の瞬間、天空から堕ちたあの稲妻と轟音。
これだけ離れているのに足元を突き上げる、この感触は落雷か。

落雷。そして雷功使いの俺の大護軍。
昔に一度だけ見せてくれた、指先から放たれた小さな青白い光。

「・・・ウォンチョル!」
俺は虎隊の副長を呼ぶ。
「はい!」
「しばらく離れる、ここを頼む。すぐ戻る。
まだ敵が川を超えて上陸する可能性がある。いいか、気を抜くな。陣を崩すな」
「はい!」

頷く顔を確認してから、俺は大護軍に向けそのまま馬を駆った。
次の瞬間、大護軍の横から飛び出したテマンの馬の影を見て俺は馬を戻し、その横を並走し始める。

「何故持ち場を離れる!戻れ!大護軍は離れろと言ってない!!」
横についた俺を見て、テマンが全速の馬上から怒鳴る。
「隊は副長に預けてきた。俺は隊の奴らに知らせる義務がある!」
そう怒鳴り返すと、テマンが僅かにこちらを見る。

「残り五千、しばし待機!」
「それじゃ判らん!」
「判れ馬鹿野郎!!」

俺はそこでテマンから離れ、隊へと全速で馬を戻す。
虎隊に着くと、奴らに向かい声を張る。
「残りの敵は五千。 俺達は暫し武装隊形で待機!!」
「はい!!」
返って来る隊の奴らの声を聞く。

 

蛇、鳥、左右龍、そして衡隊の長を回り、俺は大護軍の伝言を伝える。
最後に握奇隊の、アン・ジェ隊長の陣に行く。

「お前の大護軍は、雷功を撃ったんだな」
アン・ジェ隊長の問いに俺は黙って頷く。
「分かった」
そう言うアン・ジェ隊長に一礼し、大護軍の元に全速で馬を戻す。

大護軍の伝言を聞いた時のそれぞれの驚いた顔、見開いた目。
気持ちは分かる。俺だって医仙を抱いた大護軍があの時、初めて雷を落としたのを見た時は、腰が抜けるほど驚いた。

山にいた頃は思ってた。
この世には、人じゃあどうしようもない領分がある。
生まれたり死んだりと同じように、天気も季節も、人には止められない。
そこに触れれば、必ず障りが起きる。

川には神がいる。森や山にも神がいる。
天にも地にも神がいるように。

俺の大護軍は雷神だ。人の形をした神様だ。

 

テマンを早馬に出す間、鬼剣を下げたまま鴨緑江の対岸を見つめる。
奴らに信仰心の欠片でも残っていれば、こうした天の啓示のようなものに反応するだろう。

今回の反乱隊の上層部は私欲に駆られ、元王朝の転覆を狙っておろう。だが、所詮は雑魚。

先般受け取り懐にしまったままの、密偵の伝書鳩の文に書かれた一通め。
文の言葉を思い出す。

「母体は白蓮教なるも、実態は盗賊流民の寄せ集め」

この読み、的を射るか外れるか。
其処からこの後の動きが決まる。

仲間の体で埋め尽くされた鴨緑江。
前方の指揮官たちはとうにおらぬ。
対岸の残党が瀬を渡るには、相当の時間が掛かる。

遺された五千の烏合の衆たちよ。
お前たちはどう出る。
屍を超えて、来るなら来い。
高麗精鋭部隊七千が、手ぐすね引いて待っている。

先程まで人波に埋め尽くされた鴨緑江の対岸は、既にその奥の林が透けるほど人が減っている。

明らかに動揺する対岸の動きから眸を離さず、そのまま見つめ続ける。

鴨緑江を挟んでの睨み合いにすらならぬ。
対岸の誰一人、馬上の俺を見る気配はない。

テマンの早馬が駆け戻る。
「大護軍!」
「どうだった」
対岸を見たまま問えば、
「皆、呆然としてました」
「口をぽかんと開けてたか」
テマンが俺の軽口に笑う。
「はい、口も、目も」
「重畳。味方が呆気に取られるほどなら、敵も少しは恐れよう。
それでも渡ってくれば総攻撃だ」

判っている。
今回の雷功は虚仮脅しにすぎぬ。

これほど弱体化した国内の不満分子。
衰弱しきった国、庇護を受けられぬ盗賊や流民のような民が、最も肚内に不満を溜めている。
食うに困り、住まうに困る民の力。
理屈も説得も聞かず、一番厄介だ。
その民の勢いが国の風向きを変えるのは、過去にとて幾度も例はある。

今日ここで退けようと、奇皇后とトゴン・テムルが政を放棄している以上、元の荒廃と弱体化は進む。
進めば不満を抱く民が増える。不満が高まれば凶暴にもなる。

凶暴になった民が増え、今よりも勢いを増し再度大群で高麗を襲う日。
遠くはない。

その為に一人でも多くの兵の温存を。
一振、一矢でも多くの武器の節約を。
少しでも奴らを更に鍛錬する時間を。
それらを稼ぎ出すが、此度得られる最良の戦果。

是が非でも自陣の士気を高めたまま、かつ戦わずに勝たねばならん。

そして密偵の二通め、燃やした文の言葉。
掌ほどの紙片、そこに書かれた墨の文字。

「毒使い、生死不明、音信不通」

鴨緑江向こう岸の毒遣い、徳興君よ。
宿主だった奇皇后を喪い、鼠のように物陰に身を隠しているだろう。

王様への最後の手駒として、何処かで生かされているはずだ。
死んではおらぬ。俺には判る。
お前は遠からず担ぎ出される。
この眸にはその日が来るのが見える。

次に相見える時、俺の手で息の根を止める。

鬼剣の柄を握る手に力が入る。
拳の関節が、白く盛り上がる。

鴨緑江の川向う、紅巾族たちの動きがいよいよ乱れ始めた。
岸をうろつく姿が三々五々、対岸の林の奥へと消えていく。

決めたというわけだ。
一先ず俺の読みが的を射たか。

「大護軍」
「再度後方に知らせろ。各隊の長と副長を呼べ」
「は、はい!」

テマンの馬が再び駆けていく。

やっと己の拳を緩め、鬼剣を鞘に納める。

 

 

 

 

二通目の手紙、明るみに。

「某は、執念深い性質でして」

直接対面、遠くない日に・・・

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