除虫菊【終章】 | 2015 summer request・蚊取り線香

 

 

「隊長、そちらを上げて下さい」
「・・・・・・」
「傾いでいます。もう少し右に」
「・・・・・・」

広げた蚊帳を挟み、向き合った侍医が静かに言う。
無言のままで腕を僅かに持ち上げると満足したのか。
侍医は此方から目を外し、横の医仙へ向けて尋ねる。
「さて、医仙。どのような網戸を」

俺の方は全く見向きもせず、医仙が侍医の手許だけを見詰め、紅い髪の小さな頭を傾げる。
「うーん。まず形を決めなきゃね。いろんな形があるんだけど」
指で蚊帳を示しながらの声に、侍医が深く頷く。
「そうですか」
「固定していいと思うのよ、それが一番楽だと思う。要は内窓が開けばいいだけだから」
「光は遮りませんか」
「ああ、そうか・・・じゃあ、ロールスクリーンにする?」
「ろーる」
「ああ、えっとね、巻き上げ式の網戸にする?そうすれば必要ない時は上げておけるから」
「その方が使い勝手が良いかもしれません」
「でもそうすると、巻いた分の厚みが出来るわよ?上げ下げする摩擦で網が傷みやすいし」

此方を全く無視し話込む二人の姿に、網を持たされたまま呟く。
「・・・罾を立てれば良い」
「え?」

侍医にのみ目を当てて真剣に話していた医仙が、俺の介入に驚いたように振り向いた。
「何て言ったの?」
「罾を立てれば良いのです」
「そう?って何?」
「敷網です。魚取りの」
「知ってる?」

一々そうして侍医に確かめる必要などあるのか。
奴を見返し問う医仙に、侍医が小さく首を振る。
網を持って立たされたまま、対面の侍医に声を掛ける。
「来い」

 

窓の外、大の男が二人ぼさっと網を持って突っ立って。
傍から見ればさぞ間抜けな姿だろう。
「侍医、そっちの窓脇に立て」
指示すると侍医が向かいの窓端へ蚊帳を持ったまま進み、窓の端で足を止めた。

互いの距離を目測し、一先ず余りの蚊帳を手繰って幅を決める。
高さを決めると脛から小刀を抜き、迷いなく蚊帳を一気に裂く。
薄布を裂く音が、夕暮れの庭に響く。
「ちょ、ちょっとチェ・ヨンさん!」
「お黙り下さい」

驚いた声を上げる医仙を脇目に、大きさの決まった網を持ち、残りの蚊帳を丸めて脇へ抱える。
「竹をくれ。太いのを四本。細いものを一本」

手の空いた侍医へ声を掛けると、侍医は頷いてその場から歩み去っていく。
部屋へと戻り余りの蚊帳を丸めて、脇へ寄せられた卓上へ乗せる。
この小さい体がまた絡まって団子になるのを見るのは御免だ。
ましてやあの長い指がそれを助けるのを見せつけられるなど。

大きさの決まった蚊帳の端切れだけを床に広げ、医仙へ声を掛ける。
「針と麻糸はないですか。出来れば火熨斗も」
医仙の答の前に、竹を一抱えにして部屋へと戻った侍医が扉から声を掛ける。
「繍房へ行けば、お借り出来ますが」
「繍房か」
「ええ、借りてきましょう。それだけで良いですか」
「ああ」
「では暫し」

竹をその場へ立て掛けて、奴は扉の影から庭へと、滑るように出て行った。
「何なの、チェ・ヨンさん、いきなり来て蚊帳まで切って」
「網戸を作りたいのでしょう」
「そりゃ、そうだけど」
「邪魔な時は動かしたい、厚みが出るのは困る」
「確かにそうだけど」

侍医の残して行った竹を持ち、再び外へと回る。
蚊帳のように頼りないものとは違う。丈を決めるのは易い。

窓の高さに決めた竹を、そのまま軒下の柔らかい土へと突き刺す。
鬼剣を抜くと、遅れて扉から出て来た医仙が息を呑んだ。
「何する気なの!」

その声に答えず一刀で竹を斬る。 同じ高さでもう二本。
そして次に窓幅で二本。其々の竹を抱え、室内へと戻る。
「チェ・ヨンさん?ねえ、偉い大将軍になるのは知ってるけど、下々の問いに答えてくれてもいいじゃない」
「戯言は結構です。そういう未来の予言はお止めくださいと、何度言ったらお判りに」
「答えないあなたが悪いんでしょ!」

ああ言えばこう言う。それも大声で。
それが己の首を絞めると 何度言っても判らない。
「良いですか。目立つのは困る。本当に困るのです。
お帰りになるまで静かにしているのが、それ程難しいですか」

この方が不満げに、ようやく此方を真直ぐに見る。
「だから目立とうなんてしてないってば!」
「あなたの言動の一つ一つが、人目を引くと言っているんだ」
そうだ、だから不安で仕方がない。頼りないトクマンの衛と、好き放題をさせる侍医の甘やかしと。
「そんなの知らないわよ、私は普通に暮らしてるつもりよ。
ただ不便だから、ここにいる間少しでも暮らしやすいように」

ここに、居る間。
そうだ。帰れば良いのだ。帰してやるまでの辛抱だ。
この声が聞こえなくなれば、顔が見えなくなれば。
「それなら自分で動かず、頼めば良い」
「いちいちそんな事で、あなたを呼び出す訳に行かないでしょ!」
「侍医は良くて、俺は駄目という事ですか」
「チャン先生はいっつもここに一緒にいるんだもの。何かを最初に頼むなら、先生に決まってるじゃない!」

先生に、決まっている。
勝手に決めているのはそっちだろうと、怒鳴りたいのを堪える。
「あなたを連れて来たのは俺だ。責は俺にある。何かするなら俺に」
「止めてよ、そういうやきもちみたいなこと言うの!」

やき、もち。

思わず目を丸くしてこの方を見つめる。
この方も御自分の言葉に、呆気に取られたような顔で此方を見る。

「ま、まさかね」
「・・・・・・ええ」
「ごめん、ちょっと言い過ぎよね、いっくら私を好きだからって」
「ですからそれは、奇轍への方便で」
「そうそう、そういうことにしといてあげる」

そうだ。方便だった。
俺が傷と熱に倒れていた間に奇轍の屋敷へと攫われたこの方を取り戻すために用いた、方便だった。

まさか俺もが預言したなど。己の未来を預言したなど。
ましてや声を大にして、それを公言したなど。
己の首を絞めるなとこの方に繰り返し諫言してきた事を、己がするなど有り得ない。

有り得ない。俺の心には、この奥底には。
運気調息で息を整え、眸を閉じ心を無にするその瞬間には。

その瞬間に過る顔は。
白い横顔、かかる髪、優しい眼差し、笑顔、息遣い、その面影は
「持って参りました」

沈黙を破る声に、弾かれたように眸を上げる。
声を掛けたは良いものの、俺達を見て明らかに気まずそうな顔をした侍医に向けて。

 

真四角に切った蚊帳を、火熨斗でしっかり伸ばす。
弛みがあってはうまくない。
横に渡す竹の二本を丁度真中で切り落とし、其処へ細い竹を咬ませる。
其々の合わせを木切れで補強し要を打つ。
延ばした蚊帳を渡し、四隅を竹の支えへ巻き込み、内側で縫い止めて。

丁度窓の大きさに出来上がった敷網を持ち、薄暗くなった窓外へ回る。
「普段はこうして、窓の外へ取り付けて置けば良い。
繕工監に言って、掛け釘でも打ってもらえ。
錐で竹に穴を開け、其処へ挿し込めば良い」

あの方の顔を見るなど、気まずくてできん。
不自然な程侍医だけを見詰め、声を続ける。
「成程」
「邪魔になれば」

中央に咬ませた細い竹に向けて、蚊帳を半分に折る。
「こうすれば厚みは少なくて済む。それでも暗ければ網ごと掛け釘から抜けば良い」
「ねえ、チェ・ヨンさん」

夕の帳が覆い始めた軒先で、丸い瞳がこの眸を低い処から見上げる。
先刻の気まずさなどまるで何もないように。
「・・・何ですか」
「あなたって、実はものすごーく頭の切れる人?」
「医仙」
侍医が慌てたように医仙の声を止める。
「隊長の戦術は天下一。愚かでは軍を率いるなど無理です」
「ううん、それは分かるけど。あくまで戦法でしょ? 私はこの網戸が、あまりに理に適ってたから驚いたの。
すごいわ。半分に折って調節するなんて、考えもつかなかった。
私が考えたのはブラインドか、ロールスクリーンだったもの」

そう言いながら何度も頷くと、この方は大きく笑んだ。
「これ、作ってもらおう。チャン先生、これが一番いいわ」
「ええ。早速頼んでみます」

侍医はそう言って、出来上がった網を見て頷いた。
「さすがですね、隊長。これなら見た目は魚網にも見えます。特段に人目も引かない」
「褒めても何も出ん」
俺はその網を、侍医へと押し付けるように渡す。
「では」
「あ、ねえ、待って待って!」

頭を下げ辞そうとした俺に、慌てたような高い声が掛かる。
振り向くと部屋へ駆け込んだあの方が、小さい手にころころとした塊をいくつか握り、慌てたように飛び出して来る。
唯でさえ幼子のような覚束ない足取りで、転んだらどうするのだ。
そんな此方の気も知らず、小さな手が握った塊をこの掌へ落とす。

「これね、除草菊で作ったお香。網戸が出来るまで、あなたも使って?私の世界でもあったのよ、蚊取り線香。
これは丸いけど私のは渦巻きだったの。作り方考えるから、うまく作れたらまたあげる。それまではこれどうぞ」
「・・・俺は」
「網戸のお礼。今度は私が、蚊取り線香を作るから」
「ですから、目立つなと」
「蚊取り線香で目立ったりしないわよ、心配し過ぎだってば」

笑うこの方に諫言など出来ん。俺自身が未来を予言したのだから。
それも選りによって、あの奇轍に向け公言したのだから。
今宵は大人しく引き下がるしかない。
「・・・ありがとうございます」
「却って、御手間を取らせました」

頭を下げた侍医へと大きく一歩寄り、長い髪の耳元許で最後に低く告げる。
「甘やかすな」
寄った俺へと目だけを流し、横顔の侍医が涼し気に笑む。
「・・・心致します」

その何もかも見透かしたような穏やかな目が気に喰わん。
─── いっつも一緒にいるから。
湧き上がるあの方の声と、黒い想いに蓋をして踵を返す。

敢えて言われるまでもない。
この黒い想いが何なのか、あの方に指摘を受けるまでも無く、己が一番知っている。

「またね、チェ・ヨンさん。出来上がったら教える!」
迫る夕闇の中、あの方の声が追い駆けて来る。
振り向かずに庭の薬木の下を抜けながら、小さく丸い香の塊を指先で転がす。

窓も、香も、早く出来上がれば良い。
出来上がればまた逢える。木陰に隠れて確かめるのではなく、正面から。

この除虫香ほど簡単に、寄る虫を退治できれば楽だがな。
己の想いに呆れた息を吐きながら、兵舎への途を戻る。

今宵はこの香を焚いて、部屋の虫を追い払うとしよう。
同じ除草菊の香の中で、あの方も眠るかもしれぬから。

 

 

【 除虫菊 | 2015 summer request・蚊取り線香 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です