行水【前篇】| 2015 summer request・行水

 

 

【 行水 】

 

 

「ヨンさん」
帰宅後の門で手綱を委ね、小さな体を支え鞍から降ろしつつ、物思わし気に掛けられたコムの声に眸で問い返す。

今まで俺以外にはテマンにしか懐かなかったチュホンもコムには心を許し、体を触られて嫌がる事も無い。
コムは大きな手で丁寧にチュホンの後脚の蹄を確かめつつ、俺に向かい小さく首を振った。
「明日の朝は、別の馬を借りてきます」
「・・・どうした」

小さな足が地に着いたのを確かめて、コムに続きチュホンの後脚を覗き込む。
そこの蹄の溝に小さな石が入り込み、僅かに罅入り欠けている。
「判った」
頷いてチュホンの鼻面へと回り込み、そこを撫でてやる。
「済まなかったな」
詫びる俺に首を預け、チュホンはこの腕をごく軽く愛咬した。

一先ず大切な方を宅の玄関まで送り届け、返す足のまま厩へ戻る。
そこでチュホンの蹄を手当てしていたコムが、驚いたように目を上げた。
「ヨンさん、お休みに」
「代わる」
そう言うと横へ中腰になった俺に頷き、コムが其処から一歩退く。
「鐙も手綱もつけずに、走る事は出来るか」

チュホンの蹄を均すよう少しずつ削りながら、コムへ尋ねてみる。
「鞍以外は、何もですか」
「ああ」

只でさえ体のでかい俺が、重い鎧を纏って乗ることがある。
重くなる程チュホンの脚へ負担が掛かろう。どれだけ僅かでも軽くしてやりたい。
「チュホンは賢いし、ヨンさんを信じていますから」
コムはそう言うと小さく首を傾げる。

「ただ、戦の時はどうでしょう。ヨンさんが怪我してはチュホンも立つ瀬がない」
優しい声で諭されて、俺は頷いた。
「・・・そうか」

鎧を軽くするわけにはいかん。とすれば自身が減量するか。
俺は考えながら、チュホンの蹄底を丁寧に削り取って行った。
「こいつの蹄が良くなるまでは、歩く」
そう伝えると、髭面のコムの目が穏やかに笑んだ。

 

*****

 

「ヨンア」
夕餉の後、居間で差し向いになったこの方が俺をじっと見る。
「はい」
「ちょっと脈診してもいい?」
「・・・ええ」

その声に燭台の灯の揺れる卓向かい、この方へと素直に腕を伸ばす。
「・・・んー」
この手首へ細い指を当て首を捻ると解せぬ様子で、この方が難しい顔で首を捻る。
「何か」
「う~~ん」
「・・・イムジャ」

誰よりこの息も心の臓も、この血脈も知り尽くした方だ。
時にはこの脈を知るのと同じだけこの心裡を知ってほしいと、腹が立つほどに。
その方にこれ程不思議そうな顔をされ、俄に不安が過る。
病を得る辛さはどうという事はない。運気調息で抑えも出来る。
ただその事で、俺のこの方が心を痛めるのだけは我慢が出来ん。
「病ですか」
「ううん、まさか。健康そのものの実脈よ」
「では何故、そんな顔を」
「実脈だから不思議なの」

この方は手首から指を離すと俺の掌に小さな掌を合わせ、細い指をこの指の隙間に潜り込ませ、優しく握りしめた。
この指に嵌めた誓いの金の輪ごと、包み込むように。
「今晩、いつもより食べなかったでしょ?」
「・・・ああ」
ようやく合点が行った。
俺は宥めるよう、細い指を握り締め直す。

「減量を」
「ヨンアが、ダイエット?」
「・・・だいえっと」
「痩せようとする事。何で?それ以上痩せたいの?」
「ええ」
「それにしても食べないのは体に悪いわ。それは絶対ダメ」
「・・・はい」
真剣な眼差しで諭すこの方に、苦笑して頷き返す。
食わずにいれば見る間に軽くはなるが、この方に心配をかけてはどうしようもない。

「運動の方がいいわ。あなたなら基礎代謝もよさそうだし」
「丁度良い。明日から歩きます」
「チュホンの足、そんなに悪いの?」
「いえ。人で言えば爪が小さく欠けた程度ですが」

小さな掌を包み込んでいた指を一本立て、左右に振って見せる。
「膿んだりすると厄介なので、蹄が伸びるまで三、四日は」
「じゃあ、2人で歩いて出勤ね?」
「ええ。宜しいですか」
「もちろんよ!」
何故か嬉し気に言って、この方が大きく笑う。
「夏だもの。私も歩いて痩せれば水着も着れちゃうしね?」
水着の意味が判らず首を捻りながら、俺は曖昧に頷いた。

翌朝チュホンに跨らず、門の横をこの方と二人出ようとする段で。
厩から聞こえてくる小さな物音に足を止める。
「・・・何の音?」

止まった俺の足に気付いたこの方が暫し耳を澄ませた後、此方を見上げて首を傾げる。
「見て参ります」
「待って、一緒に」

二人で足早に厩へ進むと、いつもなら牽かれるはずの刻。
一人きり厩へ入れられているチュホンが鼻面で厩の横木を懸命に押し上げ、表へ出ようとしている。
「チュホン」
静かに声を掛けると首を俺へと伸ばし、置いて行くなとばかり甘えるようにこの肩に頭を乗せて来る。
その鼻面に横木での傷が無い事を触れて確かめ、そのまま撫でると
「今日は留守を頼む」

伝えると機嫌を損ねたか。
肩からふいと頭を退け、チュホンは厩の中、くるりと後ろを向いて尾を緩やかに振る。
しかしその耳だけは俺の方を向いているのを見れば、拗ねているのだとすぐに判る。

俺が微かに笑う息を吐くと、それを追うように耳が動く。
我儘さ頑固さでは、横のこの方にも引けを取らん。
「ではな」
チュホンへ向けてそう残し金の輪の光る小さな手を握ると、俺は厩から門へと歩き始めた。

 

*****

 

「大護軍」
「おう」
兵舎での鍛錬の後、兵舎へ戻りかけた背から掛かるチュンソクの呼び声に歩を止める。

「今日の未の刻から新兵の鍛錬があるのですが」
「出る」
「今日は大護軍は、早めにお帰りの方が良いかと」
「何故」
「徒歩でのご出仕でしたから。医仙もいらっしゃいますし」
「構わん」

チュンソクの配慮に首を振る。新兵の鍛錬なら、まずは迂達赤の流儀を叩き込まねばならん。
死なぬ程度に鍛えられると、体に覚え込ませる必要がある。
「テマナ」
「はい、大護軍!!」
この声に応えて駆けて来たテマンに向かい、
「いつもの刻にあの方を宅まで送ってくれ」
「はい!」

テマンは確りと俺の眸に頷いた後、ふと声を落とす。
「チュホン、大丈夫ですか」
心配げに首を傾げ、此方へとそう問うた。
「ああ、お前の顔を見れば安心するかもな」
「じゃあ医仙を送った後、少し見てやってもいいですか」
「頼む」
「はい!」

そう言って駆けて行くテマンを見届け、チュンソクと肩を並べ、兵舎への途を俺達は歩き始めた。

「・・・なかなか良いな」
「ええ、此度は即戦力として入れた甲斐がありました」
申の刻過ぎ。
ゆるりと腕を組み、一頻り鍛錬をつけ終えた鍛錬場を隅まで見渡す。
横のチュンソクも満足げに頷いた。

盛夏の兵舎の鍛錬場は、周囲の木々からの蝉声が止む事も無い。
その木々の葉を透かす夏の陽は、永遠に傾かぬとでも言いたげな力強さで白く熱く照りつける。
鍛錬場を転がされ、叩きのめされ、足腰を蹴られ土埃に塗れ、それでも新兵たちは歯を食い縛り立ち上がる。
奴らの間を廻ったこの髪にも土埃が舞い落ち、照り付ける陽で衣の下で背筋に沿って汗が一筋伝うのが判る。

眸でチュンソクへと合図を送ると、それを受けたチュンソクが
「止め!」
太くそう声を張る。

「全員水を飲め、飲まねば死ぬ」
チュンソクも其処まで言うようになったか。
喉奥で低く笑うと俺は鍛錬場の奴らに手を上げ、ぶらりとその場を後にした。

今日は兵舎で水を浴びる間も惜しい。
急いで戻らねば宅には手を焼く我儘な二人が待っている。
蟀谷から頬へ落ちる汗を指先で拭い、足は帰宅の途を急ぐ。

 

 

 

 

「行水」というのは如何でしょうか?
似たような単語が出ていましたら
すみません。

まだリク大丈夫かな……ドキドキ (まぐかっぷさま)

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です