堅香子 | 1

 

 

【 堅香子 】

 

 

「これ、知ってる」
典医寺の薬房、上がる声に目を向ける。
「どれでしょうか、医仙」
「これこれ、これ片栗粉でしょ?」

乳鉢で粉にした片栗の粉を指で示し、医仙は嬉し気に笑まれた。
「確かに片栗、堅香子の地下茎の先にある鱗茎から取ります。
我々はすり傷や湿疹、風邪、下痢などの薬に用いますが」
「片栗って名前じゃないの?」
「片栗で良いのです。ただ漢方の書には堅香子と書かれることも多い」

ふうんと声を上げ、医仙がその粉を擂っていた乳棒を指先で撫で、撫でたその指先を次にお口に運ぶ。
「どうかなさいましたか」
「え?どうもしない、何で?」
「いえ、薬を舐めておられるので」
不思議に思いそう尋ねると、医仙はあはは、と笑いながら
「ううん、私の世界ではこれ、お料理に使うの。ソースのとろみを出したりね。中華でよくつか・・・あ」

今日はよくお話が止まる日だ。
その先を目で促すと
「ねえねえチャン先生、もしかして、片栗って中国・・・元でよく取れる?」
その問いに、私は首を振る。
「然程でも。北の方は分かりませんが、あまり暖かいところを好まぬ草です。
寧ろ高麗の方がよく採れるかと」
「そうなの?中華料理でよく使うから、元で有名なのかと思ってた」
「料理ですか」
「あれ、でも私たちの使うのはポテトスターチ?じゃが芋なのよ。これは違うよね?」
「じゃがいも、ですか」
「そうよね、高麗はまだじゃが芋ないもんね」
「別のものを使っているのに、片栗の名で呼ぶのですか」

不思議だ。
この方の話だけはどれだけ聞いても聞き飽きるということがない。
天文や計算の大きな話から、こんな料理のほんの小さな話まで。
「そうよね・・・」
うーんと唸り、堅香子の粉のついた指を舐め続ける医仙の姿を、苦笑しながら私は見守った。

 

******

 

徳成府院君から天の啓示が記された手帳を見せられ、医仙が半狂乱になって大泣きをされた日から数日。
静かな日が続いている。少なくとも、表面上は。

あの日、徳成府院君の突然の訪問を受けた医仙の部屋の外。
室内で話す医仙と府院君を残し、私は府院君の供の男と共にその扉のすぐ外で、室内の気配を伺っていた。
府院君もこの状態で皇宮にいらっしゃる医仙に手出しをするほど、愚かではあるまい。
医仙を奪還され、手下だった江華郡守が捕縛され、ただでさえ王様と隊長の目が光っている。
少なくとも府院君が医仙を欲しがっている間は安全だろう。

そう高を括っていた私は、突然響いた何かの割れる音に驚き、慌てて室内へと駆けこんだ。
私のすぐ後に府院君の供が室内へと続く。

室内には粉々に割れた青磁の破片が散らばり、医仙は新たな青磁の小さな器を手に府院君へ叫んでいた。
「あなたが持ってても仕方ないでしょう!内容を読んであげる、だから私に頂戴、お願いだから!!」
大粒の涙をぼろぼろと頬に落とし、医仙が必死の形相で府院君にそう懇願している。
そんなものを振り回して、医仙が怪我でもされれば一大事。
そして相手は腐っても徳成府院君、元の奇皇后の兄だ。万一怪我でも負わせれば医仙の首が刎ねられる。

私は慌てて府院君と医仙の間を分け、医仙の手に握られた器を取り上げつつ、その体を背後へと庇った。
それでも医仙は手を伸ばし、府院君が高く掲げる小さな帳面を懸命に奪おうとする。
そんな医仙の反応に満足するかのよう、府院君は帳面を大切そうに仕舞い込み、医仙の部屋を後にする。

府院君が出て行った後。
あれは何だったのだと確認する私に、焦点の合わぬ目で医仙が呟いた。
「私の名前だったのに、私の字にそっくりなのに、あの日記帳には覚えがない・・・」
どういう事なのだ、何が起こったのだ。

 

あのキチョルの持ってた日記に書いてあったのは何。
数字の羅列、ところどころ引かれていたマーカーの跡。
そんな最初の方しか見えなかった。あの後ろには、何が書いてあるの。

─── ウンスヘ ───

この時代にはあり得ないハングルで、私とそっくりな筆跡で、私と同じ名前が書かれたそのページの後ろに、何が隠されてたの。
知りたい。知りたくて知りたくて堪らない。だけど今頭を下げたって、どうせキチョルに利用されておしまいよ。
焦っちゃダメよ、ウンス。焦らないで、どうにか考えるの。あの日記帳を手に入れる方法を。

帰るための何かの手掛かりが、あの日記には隠れてる。
少なくともハングルの書ける人間が、いつかこの世界に紛れ込んでたことは間違いない。

私は書いた記憶どころか、見た記憶すらがない日記だもの、それなら別の人のはず。
どうにかして手に入れて読まなきゃ。帰らなきゃ。
誰にも迷惑をかけないうちに。歴史を変えたりしないうちに。

そんな事を気にしなくていいなら、キチョルのあの豪邸で美味しいものを食べて、綺麗な服を着て、のんびり過ごして、欲しがる情報を小出しにするのも、魅力的でいいけど。
そんなわけには絶対行かない。私は歴史を変えちゃいけない。だから一刻も早く、こんなところから帰らなきゃ。
これ以上誰かに迷惑かけないうちに。
偽のお芝居につき合わされるのも、嘘で政治の駆け引きするのも、凌遅刑だとか騙されるのも、もう全部まっぴらよ。

王妃媽媽の傷も良くなってるし、王様にこれ以上歴史を伝えると、あの時チェ・ヨンさんに刺した刀を無理矢理抜いたあのおじさんに情報を悪用されそうだし。

一刻も早くあの日記を回収して、一日も早く帰らなきゃ。
それなら今味方につけるべきなのは、皇宮にいる誰かじゃなくて、キチョルと、あの家の人たちだと思う。

どうにかしてまた会って、あの日記を手に入れなきゃ。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

8 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん、ハラハラの時期のお話をありがとうございます。
    あの卑怯者め…、本当に憎らしいヤツですね。
    でも、良いドラマや映画は、悪役が際立っているほど、印象深いのですよね。
    そう思うと、ヒール役はもう一人の主役とも言えますし、彼らの曲がった性格も、その原因や過程に興味がわきます。
    さらんさん、体調はいかがですか?
    少し曇ってきましたが、外の空気でも吸われてリフレッシュしてくださいね。

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん!さらんさん!あの場面は、シンイの中で一番好きなシーンです。きゃー‼︎チャン侍医ステキ!でも、堅香子が薬だなんて知りませんでした。日本最古の歌集の万葉集にたった一首だけ載ってますが、本当に可愛い花で、根っこからカタクリ粉が取れる事を知っている人は少ないです。さらんさんよくご存知ですね。凄い!

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらん嬢
    無事、退院されたとの事。
    良かったです。
    でも無理は禁物ですよ!!
    ここのところ感想を寄せる事が出来なくてごめんなさいね。
    でも欠かさずお話は拝読しておりますし、ますます筆が冴えわたっていらっしゃると感服しております♪
    これからも楽しみにしています♪

  • SECRET: 0
    PASS:
    現代にある物をこの高麗で見付けた時の嬉しさは一入でしょうね。
    でも、薬としての効用があるとは知りませんでした。
    あのキチョルが持っていた日記帳。何としても手に入れて現代に帰る。
    まだこの頃のウンスは、歴史に干渉してしまう恐怖の方が一番に立ってしまう、そんな時期でしたよね。

  • SECRET: 0
    PASS:
    >ままちゃんさん
    こんにちは。コメありがとうございます❤
    遅いコメ返、申し訳ありません・°・(ノД`)・°・
    これはリハブ~信義二次に戻る総仕上げで書いたころです・・・懐かしい!
    そうでしたね、丁度登場人物が出揃い、総キャストで
    後半へ続く、的な部分の。
    突発的に書くと、思わぬ空きスペースが言葉で埋まるのが好きなのですが
    何しろ我が家のヨンは依怙地で偏屈なので、
    その空きスペースにうまく収まって下さらずw
    本編と言う絶対的教本がないと、なかなか・・・(;´▽`A“です

  • SECRET: 0
    PASS:
    >まあもさん
    こんにちは。コメありがとうございます❤
    遅いコメ返、申し訳ありません・°・(ノД`)・°・
    いえいえ、とんでもないです。
    現に私のこの超遅コメ返といったらもう・・・!
    ぼちぼちお返ししつつ、この後を考えつつ、です。
    お返事をお返しできないにもかかわらず、まあもさまや皆さまに頂いた
    温かく優しい言葉身に沁みます・・・❤

  • SECRET: 0
    PASS:
    >サラナさん
    こんにちは。コメありがとうございます❤
    遅いコメ返、申し訳ありません・°・(ノД`)・°・
    カタクリは花言葉から選んだのですが、
    本当に微量しか取れないようですね、片栗粉・・・
    先人の知識と、あくなき食欲に敬意を表したい気持ちでいっぱいです!

  • SECRET: 0
    PASS:
    >muuさん
    こんにちは。コメありがとうございます❤
    遅いコメ返、申し訳ありません・°・(ノД`)・°・
    あははは、まさに「あいつめ!」
    さしづめチェ尚宮様なら「彼奴め!」とでも
    言って頂けそうです。
    しかし本編でしっかり意趣返しをされる、
    やはり我が家の【信義】は勧善懲悪、水戸*門テイストです(爆

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です