堅香子 | 9

 

 

歩き出したと同時に、道の先から迂達赤の兵士たちが駆けてくる。
今はもう見慣れたみんなの顔。
でも何も言えないまま、私はその体を避けて、ただふらふら歩く。
どうにかようやく、前へ、前へと。

歩き始めた瞬間、あの男が吹く笛の音が聞こえる。
キチョルの屋敷で見た、あの爆発する花瓶や壺を思い出す。
足を止めたら駄目、弱みを見せちゃ駄目。
それでも我慢できずに、今ようやく進んできた道を駆け戻る。

次の瞬間今までの笛の音は、不協和音みたいな甲高い、耳障りな音に代わる。
兵士たちが、耳を抑えて蹲る。
「もういいでしょ、やめてよ!!」
その声は、その不協和音の甲高い音に掻き消される。

そして私自身も。耳が痛い。頭も割れそうに痛い。
これがあの時あの花瓶や壺を割ったイヤな音だと気付く。

その瞬間1本の矢が降ってくる。
同時にあの笛の音が止まる。
大きなあの鎧姿が、みんなの前に駆けてくる。

あなたの姿を見た瞬間に、この人こそ今、私が守らなきゃいけない人だと気付く。
あなたを疑った分も。何度も守ってもらった分も。
あなたが大切な人だってあの女にも笛の男にも、絶対にばれる訳にはいかないの。

私の目の前に膝をつき、あなたの手がうずくった私を確かめるように伸ばされる。
耳を抑えたこの手をそっと外して、その大きな手が私の耳から流れる血を静かに拭ってくれる。
何も言わない。でもその黒い瞳が言ってる。
何処にいたんだ、勝手な事を。
こんな馬鹿な事をしやがって。
どれほど心配したと思ってる。

分かってる、分かってるからもういい。
あなたを、あいつらに殺させる訳に行かない。
あいつらは本気でやる。だから何も言えない。
あなたが大切だから、もうあなたを見れない。

 

シウルの放った援護の矢であの男の笛を止め、裏道の路地へ駈け込む。
矢を避けようと身を翻した男の笛の音が止むと同時に、チュソクら五人は立ち上がる。
最後に一人蹲った医仙へと寄り、耳を覆う手をそっと退かす。
其処に流れた赤い血をこの指で拭い、腕抜きで指先を拭き取る。

何処まで怒らせれば気が済む。本気で怒らせてみるか。
その上で何方かが死ぬまでとことん遣り合ってみるか。
「隊長、あいつらが医仙を」
そのチュソクの声を上げた右手で黙らせる。

「如何する。一戦交えるか、退くか」

俺の声に火女が楽し気に呼応する。
「そうねえ」
全くその口調、その態度、胸糞が悪くなるほど奇轍に瓜二つだ。
笛男が屋根の上のシウルを目で追って呟く。
「十分だろう」
「そうね、収穫はあったようだし」

火女は俺ではなく、俺の後ろのあの方へ声を掛ける。
「この男が最初の一人ね。いつもあなたを守ってる。影のように必ず傍にいる。じゃあね」
そう言って踵を返し、離れて行く火女と笛男の後ろ姿に
「このまま行かせていいんですか隊長!」
トルベが槍を構えて怒鳴る。
「お前らじゃ敵わん」
そう言って俺は踵を返し、あの方の元へ戻る。
「大丈夫ですか」

声を掛け伸ばしたこの腕は余りに呆気なく、冷たいその手で、振り払われた。
そして俺の目前、この方は余りに冷たい目で此方をを見る事もなく踵を返す。
そのまま其処から黙ったままで離れて、遠くへと歩き始めた。

構わないで。
あの言葉はまだ有効という事か。
触れられるのはあの方にとってそれほど厭か。
「医仙を典医寺へ無事に送り届け、次の指示を待て」

去ったあの方の背を確認し声を飛ばす。
俺の声に迂達赤五人が頭を下げた。

 

******

 

目の前でお守りする王様は徳成府院君奇轍と正面から対峙したまま、御声を交わし合う。
自分の懐から抜き取られた名簿のせいで。奇轍によって追い込まれたせいで。
「そなたの望みは余に何もするなという事だったな。王としての役目を果たすなと言うのだな」

王様のお声に奇轍が応じる。
「何故王様が窮地にあり、私が堂々としておるか。最大の理由はそこに御座います。
王様にはまだ未練がおありなのです。
最大の未練は善き王になろうという志です。 民に善良な王と見られたい」
「それが不満か」
「民草というものは大事にされたいなどと、そんな事は望んでおりません」
「望んでおらぬと」
「民草は此方が何をしてやっても文句を言うのです。
それゆえに適当にあしらい、締め付けて、餌さえやっておけば良いのです。
反乱を起こさぬ程度に適当に。腹八分目にしておけば」

隊長が戻るまで俺が王様をお守りする。
この緊張の中で一人立ち、奇轍の暴言に向かい合う王様をお守りせねばならん。

その時、殿の扉が静かに開く。

そして王様が、俺が、この殿の中の全ての人間が心から待ち望んだ姿が。
待ち続けた俺の隊長が辺りを払うような気を纏い、堂々と、殿内に大股で入って来た。

隊長は真直ぐ王様へと戻り一礼した。
「坤成殿の王妃媽媽に被害はなく、医仙は無事に典医寺へと戻りました」
「名簿の人士たちは、如何であった」
「五名が、命を奪われました。 遺体には書置きが残されておりました。
“知””過””必””改” 己の過ちを知り改めよ、そう書かれておりました」
「五名も」

王様の苦い御声、隊長の怒りを抑えた声。
その中で府院君が一人、笑顔のまま言葉を続ける。
「開京のみならず、国中への警告となりましょう」
「つまりこの先余につく者は、もはや出て来ぬと、そう言いたいのだな」
「見せしめには五人では足りませぬか」

隊長が、王様を振り返る。
その視線を受け、王様が顔を上げる。
「今月十五日、書筳が開かれる」

王様は奇轍に向け、躊躇うことなく宣言された。
書筳。
重臣、見識者たちが一堂に会し、王様と共に国の在り方、今後の政の向きを話し合い、そしてその志を一つにする、許された者のみの御膳会議。
それを開くという事はお前の物言いになど屈しはせぬ、お前の邪魔立てがあろうと何もせずに逃げはせぬとの、王様の何よりの御心情の発露だ。
「余の者らが、この余に王の徳目を説いてくれよう。そなたも膝を正し、拝聴せよ」

その王様の御声に、徳成府院君奇轍が露骨に顔を顰める。
そして堪え切れぬとばかり、その王様の玉座へ歩み寄る。
王様と奇轍を結ぶ動線、そこを断つよう隊長が入る。
奇轍の恐れ知らずの足がようやく止まる。

「今 ”余の者”とおっしゃいましたか」
王様は激する事も、怯える事もないまま、静かにお声を続けた。
「我が高麗には脅しに屈せず、適当な腹八分の食事に満足せず、国を思う王を望む民がいる事を、己で知るが良い」
その声に奇轍が再び歩を進める。
隊長はその道を塞ぐため今や完全に奇轍の目前へと飛び出し、そこへしっかりと立った。

奇轍の上げた右手が、隊長の右胸へと伸ばされる。
その右腕を、隊長の左手が握り返した。
そして隊長がわずかに膝を折り、ようやくと言った風情で振り払ったその腕を収め
「判りました。では今月十五日、誰がそこへ参られるのか楽しみにしております」

奇轍が蛇のような目を光らせ、無表情のまま口元だけを笑ませて見せた。
「ああ、楽しみにしておれ」
その王様の御言葉に顔を歪めた奇轍は踵を返すと、足音高く殿を抜け扉を出て行った。

 

 

 

 

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