堅香子 | 8

 

 

この指先を掠め、またその手であの方を攫ったこの男。
許さぬ。伸ばしたならばその手ごと叩き斬る。
「王様」
鬼剣を引かぬまま俺はお声を掛けた。
「ここで切り捨てた後に策を立てる方法もあります」

奇轍が愉快気な声でそれに応える。
「それが王座です。誰を取り誰を捨てるか。誰を犠牲にし誰を助けるか。その繰り返しです」
「王様」
伸ばしたその腕ごと叩き斬る。決めている。あとは王様の御声だけだ、それだけだから
「王様」
なにとぞ御声を。一言で良い、斬れと。
それだけ言って頂きたい。それだけで良い。
「・・・今日の処は、剣を下ろせ」

絶望の耳鳴りの中に響く王様のお声。
この剣腕は一瞬だけ惑い、そして鬼剣は鞘に戻る。

「賢明なご判断です」
鬼の首を取ったかのような得意げな顔に、嫌悪の冷たさと怒りの熱さとが肚裡で渦を巻く。
王様が烈しく吐き捨てる。
「性根の折れ曲がったその言い分、余はほとほと疲れ果てた。望みは何だ。はっきり申せ、どうして欲しい」
その御目を真直ぐ受け、奇轍は言い放った。
「いいえ、王様。何もせず。王様には何もせずにいて頂きたいのです」

その声に王様が呆れたように嗤われた。王様が嗤ったのは奇轍に対してではない。
曲がりなりにも臣下である男に足蹴にされ罠に嵌められ斬れとも言えぬそのご自身を。
今、王様は嗤っておられる。
この世の誰より、嗤っておられる。

王様。王様。
心の中でお名前を繰り返す。
民の真の心をお知り下さい。
金でなく権力でなく、恐怖や驕りの力でもなく。
その御気持ちで真直ぐぶつかり、その御心で何千、何万の心を掴む、真の王とお成り下さい。

在るべき国を、在るべき道の上に、在るべき姿で。
どうかお作り下さい、その為の王道をお進み下さい。
その為に俺は人を斬り、この手を血に染め続ける。
王様を選んだのは、民の最初の一人となったのは、この男の卑怯な言い分に屈する為ではありませぬ。

「畏れ多くも面と向かって、王である余にお飾りの王でおれと」
「いいえ、民を憂う王であって頂きたいだけです。名簿に名のある者たちは王様の民でございます。
王様が手を引けば、死なずに済みます」
「何と」

いよいよ吐いたこの男。あの名簿の者達に手を伸ばしていると。
部屋の隅のトクマンとテマンへと、僅かに顎を動かす。
それを受け奴らは静かに、殿を抜けて行く。
そしてトルベが、チュソクが。俺とチュンソクを残す他の迂達赤たちが。
殿の扉を護る兵以外の迂達赤たちが。

急がねばならん。これから何人死ぬか判らん。

医仙、あの方の行方が、そして第一の罠を掛けたという坤成殿の王妃媽媽が気掛かりだ。
それでも徳成府院君奇轍。伸ばしたその手は俺が必ずこの手で叩き斬る。
「王様、某が参ります」

王様の動揺した目が此方に向けられる。
「刻を稼いで頂きたく」

目の前の王様は余りに動揺しておられる。
それでも此処へお残しし行かねばならん。
俺のこの手はどれだけ血に塗れても構わない。
それでも王様、王様に正道を歩んで頂くために。
あの時師叔にご自身が問うた道を行って頂くために。
民に血を流させて安楽な道を行くのではなく、時間をかけ、己が痛みに耐えて正道を行く、そうした王様でいて頂くために。

一礼し、俺は殿を飛び出した。
飛び出した回廊の中、走り抜けながら声を張る。
「チェ尚宮へ報せろ」
その声に、回廊を守る歩哨の迂達赤が
「は!」
と頷き、走って姿を消す。

何処だ。何処なんだ。
何処にいるんだあなたは。

 

******

 

「この近くで、罪人の護送を見ませんでしたか」

手裏房と街中を走る。歩いて回れる距離にあの方の姿はない。
ないとすれば移動は馬車、もしくは馬。
馬で移動すれば面が割れる。
恐らく火女、笛吹と共に移動するあの方であれば、人目について仕方がないだろう。
中に乗る者を隠して怪しまれぬとすれば、罪人を運ぶ護送の馬車が最適だ。
縦しんば牢車を覆っても、高貴の者の護送とやり過ごされる。

走り回った末にようやく見つけた護送の馬車。
追いついた勢いで周囲の守りを峰打ちで倒し、牢車を覆う黒い布を思い切り引き開ける。

いてくれ。

次の瞬間、牢車の中から俺を見る若い男の幼い表情に、頭が混乱する。
「医仙を知っているか」
俺の声に若い男がようよう頷いた
「は、はい」
「何処へ行ったか判るか」

黙って首を振る男を見つめた瞬間。
大路の屋根上、テマンの指笛が空気を裂く。
屋根上を振り仰ぐと奴がその指でしきりに通りの逆側を指している。

俺は黙って再び走り始めた。

「ねえ、早く決めて頂戴。三人から選んで」
X-womanが、うんざりしたようにそう繰り返す。

典医寺から連れ去られ、何人もの人が目の前で斬られる姿。
ただ引き摺られるように現場に連れて行かれ、そんな光景を目の前で見せられた。
これは拷問だ。精神的な拷問だわ。
こいつらは見せつけている。次は誰をこうしようか。お前か、それとも。

最後にX-womanが私に言った。
「あなたの一番大切な人を殺せって言われてるの。舎兄は三人の中から選べって言ったわ。
坤成殿の王妃、典医寺のチャン御医、そして迂達赤隊長チェ・ヨン。
さあ決めて。誰を選ぶ?」

出来る事なら誰より先に、あんたを殺してやりたいわ。
許されるならふざけるなって、あんたの髪を掴んで怒鳴りたい。
でも実際目の前で人が死ぬのを見せつけられて、今の私には抵抗する力すら残ってない。
これが狙いのはず。
精神的に追い詰めて破壊して、その上で私を自分の意のままに操ることが。
分かってても私の常識じゃ計り知れない目の前の現実に、心の中のどこかが壊死してく。

言葉が出ない、考える事が出来ない。
でも駄目。このままじゃみんな遅かれ早かれ殺される。
今顔を上げて声を出さなきゃ、私一生このままになる。
「ああ、これだから嫌」

答えも出さず抜け殻のように道端に座り込む私に、X-womanがうんざりした声で呟いた。
「ねえ、この女も殺しちゃう?」
あの笛を持つ男が黙って首を振る気配がする。X-womanが声を重ねる。
「これで最後よ、答えないなら」
「何よ。誰か選んだらどうするつもり」

負けない。こんな女になんか負けない。笛の男になんか負けない。
キチョル、あんたなんか許さない。

徳成府院君を、甘く見てはなりません。
あの人に言われた声が蘇る。

徳成府院君は恐ろしい男です。
チャン先生の声が聞こえる。

そうね、2人の言うとおりだった。でもね、恐ろしいんじゃないの。
私すごく怒ってる。
命を粗末に扱うあの男。私を服従させるためだけに簡単に人を殺す男。
そしてそれを簡単に実行する目の前のX-womanと笛の男に、猛烈に腹を立ててるの。
怒らなければ、絶望を怒りに変えなければ 私の心はきっと死んじゃう。
だから怒ってウンス、自分を奮い立たせなきゃ駄目。
このままキチョルの、こいつらの言いなりになるなんて、私のプライドが許さない。

「だから一番大切な人を殺せって言われたの。そしてあなたが従順になるまで飼い馴らせってね」
「飼い馴らせですって?」
「そう、それが舎兄のやり方よ。欲しいものを手に入れるためにその周りの人を消していくの。
舎兄のとこへ行くしかないわよ」
周囲の人を、消していく。
「まさか」
その声に目の前の女が首を傾げる。
「まさか、慶昌君媽媽に毒を渡したのも・・・」
「もちろん舎兄よ、でも飲ませたのはチェ・ヨン。そんな事知ってたでしょ?」

違う。飲ませたのはあの人じゃない。
それを私は知ってる。あの人じゃない事を。
あの人がどれだけ苦しんで、媽媽の最期を看取ったか。
あの手を、あの大きな手を、あれ程大切にしていた媽媽の手で、真っ赤に染めて。
あの頬に、色を失くした頬に、媽媽の返り血を浴びて。

そして私に行くなと言った。その声を誤解した私は振り切った。
それなのに私を守って。何度も守って。何度も何度も、何度も守って。

「好きにしてよ」
そう言い捨てて私は立ち上がった。
「え?」
「そんな質問、私は絶対に答えない。勝手にすれば」
そう言って歩き出した行く手を、あの男の手の笛が遮る。
「あの患者は良いの?あんたのせいで死ぬわよ」
後ろから、あの女の声が追いかける。

あの患者。イ・ソンゲ。私が手術した、李氏朝鮮の建国者。
歴史通りなら、あんたたちが手を下すことなんてできない。
もし手を下したとすれば遠い遠い未来に、少なくともあの人が彼に殺されるのは避けられる。
「好きにすれば?」
私は吐き捨てる。
「どいて。私に手は出せないんでしょ。自分以外が死のうが生きようが、私には関係ない」

その声に、男が笛に仕込んだ刀を引き抜いて構える。
今は喉元に当たるその邪魔な刀をそのままに、私は一歩踏み出した。

首が落ちればそこまでよ。

その刀は私が踏み出すと同時に、この首を避けて道を開けた。
開いた道を、私は歩き始めた。

 

 

 

 

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