2014-15 リクエスト | 鸛・3

 

 

「・・・ウンスヤ」
その声が眠る私の意識を掬い上げる。
あの大好きな声。胸の奥から響くような深い、優しい声。

「・・・ウンスヤ」
心配いらない、私はここよ。
そう思いながら腕を伸ばしてあの人を掴まえようと、寝台に指を泳がせる。
眠くてまだ目が開かない。安心させたい。早く触れたい。

あの人の指が髪を撫でる。頬に落ちた髪を摘まんでそっと耳へ上げる。
そのまま頬に触れて、そして 鼻をなぞって、睫毛に触れて目の下を行ったり来たり。
いつもの指の通り道に安心して、目を閉じたまま私は笑う。
私はここよ、いつもここにいる。大丈夫、いつも一緒。

「典医寺へ」
もうそんな時刻なの?
あの人のその声に、驚いて一気に眠気が覚める。
ぱっと目を開けるとあの人はもう着替えも済ませて、スッキリした顔で寝台に腰掛けて、朝日の中、優しい目で私を覗き込んでいた。
「・・・おはよう、よく眠れた?」
私はその頬に手を伸ばす。

 

「・・・おはよう、よく眠れた?」
起き抜けの掠れ声で、この方が言った。
この頬へと手を伸ばしながら。

眠れるわけなどない。
眠気など昨夜この方に触れて吹き飛んだ。

それでもこの方を起こさぬようどうにか堪え、いつもの刻近くまで我慢をしたのだ。

耐えきれず気配を殺して寝台を出で、厨に降りて水を飲み。
それでも遅々として進まぬ刻に右往左往し、その度に寝屋の扉を静かに開けて、安らかな寝息を確認し。
思いついて、この方が召し上がれるよう朝餉を作る真似事をして。
それすら終えて身支度を整え、暇潰しに顔を三度洗い。

半刻程早く、堪え切れずに声を掛けた。
それでもどれ程深く眠って起きた朝よりも、今の頭はすっきりと晴れている。

「今から支度をすれば丁度良い。さあ、早く典医寺へ参りましょう」
「・・・今、何時?」
「卯の刻です」
「いつもより早くない?」
「・・・半刻程」
「やだぁ、もうちょっと寝かせて」
「侍医の診脈が終われば、好きなだけ寝てください。
頼むから、今は共に」
「まだ朝早いってば」
「早くなど。侍医は典医寺に詰めておりましょう」
「そりゃ、いるでしょうけど」

寝台の上の白い小さな顔をこの目でじっと見つめ続ける。
根負けしたこの方が息を大きく吐き出して、ようやくの事で頷いた。
「分かった。でもヨンア、本当にがっかりしないでね?」

 

馬に、乗せても良いものか。

身支度を整えるこの方の横。
寝屋に据え置いた卓の椅子に腰掛け腕を組み、じっと案じる。

腹の大きな女人が馬に乗るのを見た事などない。
では、歩く姿を見たかと言われれば記憶にない。
今までに、そんな女人がおった覚え自体がない。

「ウンスヤ」
「なあに」
「馬に乗っても良いものだろうか」
「誰が?」
「無論あなたが。他に誰がおるのです」
「私なら問題ないわよ?」
「いや、一つ身ならば構わぬかもしれんがもしも、もしもという事が」
「・・・ヨンア」

いよいよ痺れを切らしたように振り返ったこの方の眉間は、昨日よりも深く寄っている。
「言ったよね?まず違うと思う。私はあなたががっかりする顔を見るのが嫌なの。
それは分かってくれる?」

その真剣な眼差しに頷き返しつつ、この頭の半分はどうしても打ち消しきれぬ想いに揺れている。
馬に乗せても良いものか、それとも抱いて運ぶかと。

 

「さて、じゃあ行こうか」
身支度を終えたこの方が、此方を振り返りそう言った。
「いや、朝餉を取ってからだ」
「は?」
「朝餉を取らずに出かけるなどと無茶な。腹の子が泣く」
「・・・ヨンア」
「いや、万一だ。万一のことだから」
「だって、用意してないもの。急ぎたいんでしょ?」
「拵えてあるから」
「・・・は?」
「もう拵えてあるから、頼むから食べてからに」
「いつ」
「昨晩遅くに・・・いや、今朝方に」

先程まで寄っていた眉根は、今やもう寄ることもない。
この方はほとほと困り果てた様子で柳眉を下げた。
「じゃあ、あなた寝てないのね?」
「・・・はい」
「寝ないで朝ご飯を作ってたのね?」
「いや、それほど刻は掛からず」
「じゃあ、あとは何してたの」
「いろいろと・・・」
「いろいろ何?」
「それは良い、とにかく早く朝餉を。食後はゆるりと食休みを。
それから典医寺に向かえば良い」

居間の食卓で、この方が朝餉の用意の為に厨へ降りようとする足を慌てて止める。
「良い、俺が」
「何言ってるの」
「頼むから其処へ座っていてくれ、何もせずに」
そう言ってこの方の細い肩を押さえるよう手をかけ、卓の前へと座らせる。

「ねえ、ヨンア」
厨へ降りると同時に居間で聞こえたその声。
竈の前から慌てて腰を上げ、居間へ続く扉から顔を出す。
「どうした、何かあったか」
「ねえ、気になるんだけど」
「何だ、何が気になる。体か、腹か、何処か痛むか。気分でも悪いか、何か必要か」

呆れたように首を振り、この方がもう何度目か知れぬ溜息を吐いた。
「もし、よ、もし本当に私が妊娠してたらどうするの?」
「どうする、とは」
「そうやって、ずうっと家事もやるの?家事ならまだいい、誰かにお手伝いしてもらえる。
だけどあなたのお役目は?代わりはいないでしょ。
戦に出る時は?そこまで極端な事態じゃないにしろ、そうやって私に何もさせずに全部自分で背負い込むの?
1日2日じゃないのよ。もし妊娠なら約280日、正期産サイクルであと最長約273日。
いい?今からそんなじゃ、あなた疲れきっちゃう」

その言葉に驚いて、この方を見つめ返す。
「どういうことだ、力を貸すなと言う事か。
俺は何もせずに役目にのみ力を尽くせと言う事か。
あなたが俺達のアギをその腹の中で抱えている間、素知らぬ顔で出仕して、いつも通り過ごせと言う事か。
済まんがウンスヤ、あなたが望んでもそれはできん。約束も出来んしするつもりもない。
俺達二人のアギならば腹にいる時から、俺達二人で育てるのが道理ではないのか。
俺は男ゆえ腹には抱えられん、その分力を」

この方は息を吐き、俺を見つめ本当に心底何とも言えぬ目をした。
優しいような、悲しいような、包み込むような、泣きだしそうな。

この目を見たことがある。ずっと昔に。

「そんなに、欲しいのね?」
「は」
「そんなに赤ちゃんが、欲しいのね」

そう問われて、頭の中が白くなる。
欲しい、欲しくないと選べるものなのか。
考えたこともなかった。
この方を娶り、この方と契り、倖せに過ごし、その中に生まれ出ずると信じ込んでいた。

自身がそうして生を享けたように。

 

 

 

 

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