槍水仙 | 4

 

 

腹が痛くなった。
隊長に担がれて、医院へ行った。
台に寝かされて、腹を見られた。
苦い湯を飲んだら、眠くなった。

朝に目が覚めたら、一人だった。
部屋の中は、すごく明るかった。

俺は台の上でむっくりと起きた。

「起きたか、テマン」

開いた扉から声が掛かった。
俺は台から飛び降りて一足で部屋の隅へ走る。
そこから覗くと昨日俺の腹に触れた男が、静かに笑いながら扉から俺を見ていた。

「隊長は帰った。テマンも薬湯を飲んだら、もう今日は帰って大丈夫だ。
隊長のところに帰って良いぞ。飲めるか」

隊長のところに帰れる。良かった。
頷くと、男の後ろから茶碗を持った女の子が姿を見せる。
そのままその茶碗を持って、俺に近寄ってきた。

誰だ、こいつ。

出てきた新しい顔に驚いて、部屋の隅からその顔をじっと見る。

「この子の名は、トギだ」
あの男が笑ったまんま、その女の子を掌で示す。
「・・・・・・と、とぎ」
女の子は口をへの字に曲げたまま俺を見る。
「トギ、テマンだ」
それでもその子は頷くだけで、俺の名前を呼ばない。
俺は呼ぶ声を待ち、首を傾げてその子の顔を見る。

「トギは口がきけないのだ、テマン。
けれど大層賢くて、殊に薬草と毒草の事は本当に良く知っている」

その男の声に振り向いて、トギが嬉しそうに大きく笑う。

「そそ、そっか」
俺がそう言うと、トギはまたこっちに寄って来る。
じりと壁まで下がった俺の手に茶碗を押し付けて、そして俺の目を見て。
空になったその手で、自分が作った、だから安心して飲め、そう言った。

「賢いだろう、手で話すことも出来る。 今言ったの」
俺はトギの目に頷いて、茶碗の中身を飲んだ。

 

手話で伝えたトギの言葉を、あの若い患者テマンに伝えようとした時。
あれほど警戒心の強いテマンが疑いもなく薬湯の椀の中身を飲み干したのを見て、私は密かに笑い診察部屋を出た。

こうして、ほんの少しの事で癒される。

秋の始まりの秋夕の頃、まだ日差しは夏に近い。その残る熱い空気の中、私は大きく息を吸う。
行かなければならない。宣旨を受け取りに。
私をここに縛り付ける名分、それを受けに。

着替えの為に私は自分の部屋へ足を向けた。

 

**********

 

翌朝俺はチュンソク、そして他の迂達赤と共に、王様の警護として宣任殿へ呼び出しを受けた。

恐らく宣旨が下るのだろう。昨日のあのチャン侍医に。
そう思いながら宣任殿への回廊を足早に抜ける。

宣任殿の中。まだ十になるかの幼き王が座られた玉座を、チュンソクと共に左右より守る。

その前に昨日典医寺にて会ったあの丈高い姿が入口より進み出て、殿の床に膝をつく。

「医官チャン・ビン、本日典医寺医官の役を解き、同日、典医寺侍医として任命する」
宣旨を読み上げる枢密院執奏の声。
チャン侍医が膝をついたまま微かに眉を顰めて息を吐くのを、この目は、耳は逃さん。

胸の中で警笛の高い音が鳴る。

「今後は玉体を守る責任者として、心して役目を受けよ」
枢密院執奏の声はまだ続く。
こいつまさか此処で事を起こし、断ったりすまいな。
そんな面倒を起こすなと、習慣になった警戒姿勢で目前の男を眺める。

「・・・・・・・・・」

男の長すぎる沈黙に、枢密院執奏もチュンソクも、そして迂達赤も気づいたか。
王様も玉座よりじっとチャン侍医を見る。

 

「今後も玉体を守る責任者として、心して役目を受けよ」

その声を聞きながら頭に思い浮かべるのは、殿舎の中とは全く異なる風景だった。

幼い頃に旅した天竺の、海と見紛う程の大きな河で、父親と並んで見たあの夕日。
漢方を学んでいた頃、高名な師がいると聞き向かった元の外れで、馬上から見たあの草原。

あの頃世界は目の前に広がっていた。何でも出来ると思っていた。
自分が飛び出す勇気さえあれば。
他を捨ててもこれだけは守りたいと思う、そのただ一つの情熱さえあれば。

それが何の因果か、こうして狭い世界に捕えられ、今そこに足止めされようとしている。
王命という大きな名分の元。
学んだ医術の噂が故国の病弱な王様の耳に届き、そして私を珍しい虫の標本のように、狭い世界に貼り付け閉じ込めようとしている。

閉塞感に、息が詰まる。

もうあの河も草原も見られないのかと思うと、何も要らないから自由にしてくれと叫び出したくなる。
私を真に必要とする場所で、必要とする人に、必要な医術を思う存分差し出せるようにと。

詰まった息が返答を遅らせる。
私はようやく息をして
「はい」
とだけ答える。

これであの河が、草原が、また遠くなってしまうのだ。

ここにも私の力を尽くしたい何かが見つかる。この手で救いたいと心の底から熱望できる。
己の力を全て傾けたいと思える何かがある。いつか必ず私を必要としてくれる何かに会える。
そう信じるしかない。
人のいるところ必ず痛みはあり、その痛みを救うためだけに私はいるのだと。

それだけを信じ、この足で歩むよりないのだ。

 

この男、何だ。

何故あれほどまで息を詰めていた。
目の前で全てを諦めたように息を吐き、短くはい、と答えた横顔。
探るようにそれを眺める。

敵ではなさそうだ。
此処で面倒を起こさなければそれで良い。
役目が終われば後は知ったことではない。
そう判じ、俺は警戒姿勢を解いた。

指が触れたままの鬼剣の鞘。
その温みを指先で感じる。

この殿舎、あそこで、あの男が控えるもう少し左脇。
あの場所で隊長は、俺の師父は斬られた。

今、俺の立つこの辺りに立っていたのは誰だった。
そんな事は覚えていない。

あそこに隊長は立ち、あの王の振った剣を胸より深く突き刺され、それでも背後を護った。

メヒは、そうだ、あの場所に立っていた。
立って呆然と、己の前に飛び出した隊長を、胸に刺さった鬼剣をその目に映していた。
見ていたのではく、ただ映していた。

俺がいたのは右寄り。
そうだ、あのあたりに立っていた。
木偶の坊のように突立って。何も出来ずに。
腸の煮える怒り。己の無力感。
隊長から最期に預かった余りに大きい言葉、約束だけを頭に、肚に刻みながら。
為す術もなく目から滴をぼたぼたと落としていた。

全てが終わった今となっても、こうして何度も蘇り俺の息を止める。
この忌まわしい殿へ踏み込むたびに。
いつになったら逃げられる。
守らねばならぬ者はない。
契機さえあれば即座に捨てる。

またそう思う。何度も何度でも。
いつでも戻ってくるのは此処から始まった、あの全て失った日々。

今は忘れろ。今だけで良い。
心の中で呟き、チャン侍医へと無理に目の焦点を戻す。

 

 

 

 

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