或日、迂達赤 | 右手

 

 

【 右手 】

 

 

一日二十回。

あの日から二十回ずつ槍を突きながら、トルベは考えていた。

あの若い隊長。
迂達赤の兵舎の屋根裏部屋で寝込みを襲おうとしたところに木刀を投げられ、只者ではないと思ったが。

就任式の当日に実力試しと言って兵の武器あしらいを見た後は、また兵舎の屋根裏の私室で寝こけている。

恐らく剣の腕は相当なのだろう。
今までは迂達赤一の剣の腕を誇ったチュソクも
「隊長は凄い。俺では敵わん」
そう俺に言っていた。

俺は実際に槍を合わせたわけではないから何とも言えないが。
そんなにできる人と聞けば一度は手合わせしてみたいもんだ。

そんなある日、隊長が王様に呼ばれ宣任殿へ向かう時。
護衛として着いた俺は副隊長と共に、 隊長の一歩後ろに控え回廊を歩いていた。

「あら、トルベ。宣任殿に行くの?」

回廊の途中ですれ違った顔見知りの武閣氏に声を掛けられる。
俺はその武閣氏に頷くと、軽く手を振る。
彼女はにっこり微笑むと、他の武閣氏たちとくすくす笑いながらその場を去って行った。

副隊長がこっそり溜息を吐くと、小声で俺に向かい
「トルベ、お前相変わらずだな。 今はあの女人と懇ろなのか」
と呆れたように呟く。
「いや、俺は全ての女人が好きなんですよ」
真剣に副隊長にそう訴える。
「そういうもんか」
「そうですよ。可愛くて優しくてきれいな女人は全て好きです」
「・・・分からんなあ」

そんな副隊長に、つい熱が入る。
「どうしてですか!あったかくて柔らかくて、女人は良いですよ副隊長!」
大声を出した俺に慌てて、副隊長が声を抑えろと手振りをする。
前を歩く隊長は俺の声を聞いても、特に反応を示さない。

 

あったかくて、柔らかくて。
耳に入ったトルベの言葉に、ヨンは不思議な思いになる。
メヒ。あいつに温かく柔らかな事などあったか。

口づけをしたときは、確かに温かく柔らかかったはずだ。
それでも俺の中に最後に残ったあいつは、やはり固くて冷たかった。
それしか思い出せない。固くて冷たいあいつしか。

ヨンはそのまま無言で、宣任殿への回廊を進む。

 

「御前にて、迂達赤と武閣氏合同の武芸大会を開催する」

宣任殿の玉座に座られる若き王様の一段下に立った参理。
隊長の逆向こうに、武閣氏隊長であるチェ尚宮殿の横顔が見える。

その二人の後ろにそれぞれ武閣氏の隊員と、副隊長、俺が控える。

「日頃の鍛錬の成果を、王様の御前にて披露せよ」

ヨンは御前にて頭を下げ、参理の言葉を聞きながら口の中で欠伸を噛み殺す。

披露、何だそれは。見せてどうなる。
実戦に使えぬ派手な武芸など邪魔なだけだ。

開催日は一月ほど先。場所は康安殿の宮庭。
競技は手縛、弓、槍、剣と、続く言葉を右から左に聞き流し、ヨンの心はまた闇に戻って行く。

隊長なら、絶対にこんな馬鹿な大会になど参加しなかった。
第一隠密行動の俺達に、こんな大会への参加が許される訳も声が掛かるはずもなかったしな。
それで良かった。刀も握れない奴らに俺達の内功や武技を見せた処でどうなるでもない。
猿芝居などごめんだ。

宮廷の奴らに、そして当時の王に認められたい。
隊長の力を、仲間たちの命を賭した今までの尽力を認めて欲しいと思ったことが、そもそもの間違いだった。

「迂達赤隊長」
そう呼ばれ、咄嗟に反応が遅れる。

そうだ。俺はもう赤月隊の部隊長じゃない。
俺をそう呼ぶ人たちはもういない。
俺は参理の言葉に顔を上げる。
幕を下ろすように、全ての想いに蓋をする。

ヨンは目の前の参理に顔を向けた。
「大会の最後に、そなたの単独武技の披露を命ず」
「出来ませぬ」
参理が、即答したヨンに怒りの目を向ける。
「何故」
「某の役目は迂達赤隊長。王様の護衛以外の役目は仰せつかっておらず」
「貴様」

真赤な顔で自分を睨む参理を、ヨンは黒い、凍るような眸で静かに見つめ返す。
「・・・分かった。話は以上だ!」
自棄になったように叫んだ参理が、額に冷汗を浮かべてヨンから目を逸らす。

 

隊長の後をついて迂達赤兵舎に戻りながら、俺は小声で副隊長に声を掛ける。
「隊長、大丈夫ですかね。参理に逆らって」
副隊長はそれに曖昧に頷く。
「隊長が言った通りだ。隊長には名分がある」
俺はそれを聞いて少し安心する。
過去の迂達赤の隊長は己の名を高めるためならどんな小さいことも利用したもんだ。
だが新しいこの若い隊長は、御前披露の絶好の機会も全く意に介さないらしい。

俺が少し見直した気分で隊長の背中を眺めると
「副隊長」
前を行く隊長が振り返らず副隊長を呼ぶ。
「は」
「大会参加は、強制なんだろ」

副隊長は少し考えながら
「開催自体は王命ですから、選択権はないですね」
と返答する。
「誰を出す」
「手縛は俺、弓はトクス、槍はトルベ。剣は隊長が一番の実力ですが、披露を断った以上チュソクが今の迂達赤では最適と思います」
挙げられた名を聞いて、隊長は頷いた。
「それで行く」

大会の武芸披露に選ばれた俺はその後、隊長に命じられた一日二十回の突きの数を増やして、鍛錬していた。
何しろ武閣氏がいる。無様な姿を見せるのは御免だからな。

そうして数日が過ぎた頃。
手首に妙な痛みを感じた。
鍛錬のし過ぎと思いそのまま放置して、突きの鍛錬を続けていたある日。

兵舎の訓練場の脇を隊長が歩いてきたと思うと、俺の目前で足を止めた。
「見せろ」
いきなり言われた一言に、俺は手を止める。
「は?」
隊長はその問いかけを無視して、俺の槍を取る。
そのまま己の手で軽く数度振り、突いて回して。

「違うな」
そう言うと俺の手首を取った。一瞬触れて、そのまま離す。
そして
「来い」
とだけ言い、先に立って歩き始める。

何が起こったか分からずその場を動けない俺を隊長は数歩進んで振り返り
「早く来い」
そう言って、再度歩き出す。
俺は慌ててその背に従った。

隊長が歩を止めたのは、皇宮の中にある典医寺の前だった。
「診てほしい」

典医寺の診察室に入ると開口一番、側にいた医員に向かい隊長は言った。
医員が隊長を見ようとすると、
「こっちだ、右の手首を」
と俺を顎で指す。

医員が俺の腕貫の紐を素早く解き、手首を丹念に調べる。
そして頷くと
「骨に異常はなく。筋が腫れております」
そう俺と隊長に平等に聞こえるよう伝える。

それを言われて初めて、俺は隊長が此処に来た意味が分かる。
俺の診察に付き合ってくれたことを。

「トルベ」
俺は医員が点穴に鍼を刺すのを感じながら、隊長に返事をする。
「はい」
「四日前だ」
「は?」
この隊長の言葉はどうにも短すぎる。ついつい疑問符で返答せざるを得ない。

「突きの音が変わった」
「音ですか?」
「四日前から痛くないか」
「なりました!」

そうだ、言われてみればちょうどその頃から痛かった。
「槍だと思った」
隊長は、だから最初に槍を確かめたのか、さっき。
「早く診察を受けろ」
「す、すみません。治ると思って」
隊長は溜息を吐いた。
「平時は体に気を配れ」

鍼が終わると手首の痛みは嘘のように引いた。
俺は腕を振ると腕貫の紐を結び直し、隊長と典医寺を出た。

兵舎に戻ると俺は訓練場に置いてあった槍を取り上げ、大きく回し、突いてみる。
問題なく操れるようになっている。

「握りがずれて手首に負担がかかる」
隊長が俺に言う。
「一関節分、外に握れ」
そう言われて、右手をその通りずらしてみる。

もう一度そのまま振り、突いて回すと、先程よりも余程操りやすくなっていることに俺は驚いた。
「隊長」
「何だ」
「どうして分かったんですか」
「何故判らん」

槍を鍛錬して十年以上になるがこれまで誰に言われたこともなく、自分でも全く気が付かなかった。
隊長は訓練場の隅に立てている槍を一本取り上げると軽く振り、俺の目の前で構える。

「今の握りで突いてみろ」

俺は槍を構えると、隊長めがけて突く。
それを躱すと隊長が俺の槍を自分の槍で払い、そのまま突き返してくる。
速い。
ぎりぎりで躱し、払って突く。しかし隊長は全く動じない。
何打出しても当たらない焦りで、俺の槍の動きが大きくなる。

「トルベ」
俺の槍を躱しながら、息を切らすこともなく隊長が声を上げる。
「見るな。次の狙いを」

此処だ、と言って、隊長は俺の狙った右脇に、己の槍を構える。
同時に寸分違わず俺の槍先が入り、隊長の槍に大きく弾かれる。
握った柄に払われた勢いで震えが来る。

俺は大きく息を吐くと、槍を収めて立て直した。
「ありがとうございました!」
「見ずに狙え」
「はい!」

凄い人だ。 チュソクの言葉の意味が今なら俺にも分かる。
俺も絶対に自慢してやる。
チュソクは剣術の手合わせだけだが、俺は典医寺にも付き合ってもらったからな。

「トルベ」
槍をしまった隊長が俺を呼ぶ。
「はい!」
俺が隊長まで走り寄ると、
「忘れてないよな」

何の事だ。隊長とのやり取りを振り返るが、思い当たる節はない。
「何でしょう」
「大会の対戦相手は武閣氏だぞ」

・・・そうだった!
武閣氏との対戦だ、あの子たちは観覧に来るわけじゃなかった!
「て、隊長、俺」
「頑張れ、嫌われぬ程度に」
そう言って兵舎へ戻る隊長の背を見送りながら、頭を掻く。

仕方ない。
この人に恥をかかせるよりは、武閣氏に嫌われた方がまだましだ。

女人は他にもいるが、俺の迂達赤隊長はこの人しかいないからな。

 

 

【 或日、迂達赤 | 右手 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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