或日、迂達赤 | 友待雪・中篇

 

 

「未だ齢八つだ。広い心でお仕えしろ」

悍ましい思いに満ちた部屋を出て、叔母上に従い並んで歩く。
次は何処に遣られるのか。庭を横に歩く回廊は何処に続くか。

広い心でとは嗤わせる。
鼻先で一笑に付すと案の定、狙い澄まして飛んで来る速手。
それを避け歩み続ける。
空を切る手に態勢を崩した叔母上が、舌を打って追い付く。

「どう思おうとお相手は王様。皇宮で生き残りたくば態度を改めよ。判るな、ヨンア」

生き残りたいなどと誰が乞うた。俺は寝床を探しに来ただけだ。
広い心など求めるな。王と称される男ですら持っていなかった。
疑心に駆られて己の不徳も棚に上げ、七悪嫉妬で隊長を殺した。
その息子を斬らぬだけでも有難いと思って欲しい。
例え寝床の為とは云え、仕えると約束しただけで。

「前王の御嫡子なのは、王様のお選びになった事ではない。親は選べぬ。お前でもそれくらいは判るであろう」

だから如何しろと言う。あの親で哀れだと同情しろとでも。
憐れむならそんな王しか冠せぬ民。仕える以外道のない官。
道は希望を捨て仕え続けるか、国を捨てるかの二つに一つ。
俺の家族が赤月隊を諦め、国を捨て野に下り死んだように。

誰がどれ程尽力しようと、国の行く末を変える力などない。
一旦腐った木は、朽ち果てるのを見届ける以外に術はない。
あの男の荒淫乱行を許した時点でこの国は腐りきっていた。

結局最後まで何一つ声を発さぬ俺に、叔母上が首を振る。
興味もなく、欲しいものもなく、そして俺は知っている。
この世に自由になるものなど何一つない。
誰一人望みもせぬ王が、天の血統だけを理由に即位する。
そしてその王ですら己の意志でなく、他国の機嫌ひとつで次々首を挿げ替えられる。

その国の為に命を懸け、報われる事なく死んでいった家族。
だから何も要らない。何も求めない。望みも待ちもしない。
俺にその日が訪れるまで、自由にならぬこの場所で数える。
一回寝れば確実に一歩近づく、それだけを密かな愉しみに。

 

季節がどれだけ巡ろうとその考えに変わりはない。
あの門を再びくぐったあの日から季節が移ろうと。
眸に映る庭の景色が、紅葉を経て雪に変わろうと。

 

今日も望まぬ幼王の横、声も視線も交わさず守る。
二度と立ち入りたくもないあの悍ましい部屋の中。
目前には顔を憶える気もない大臣が並び、口々に要望を突き付ける。
慇懃無礼という名の布に包んだ、不遜な物言いで。

「王様、この冬の餓死者が全国で二千を超えました」
ある大臣が玉座下、座した床で頭を下げる。
「このまま春を迎えれば、働き手を失った農民の畑が荒れます。いかが致しますか。慈悲蔵を開け、米を割り当てますか」

その声に別の大臣が血相を変える。
「王様、畏れながらこの冬の餓死者の発生地は、殆どが寒さの厳しかった交州准陽以北の寒村。
より多くの収穫や漁獲のある以南に力を抜けば、国全体の穀高に影響が出ます」
「その通りですぞ、王様!」
「なりませぬ、では北の民には飢えて死ねと仰るのですか!」
「今さら何を。捨小就大は政の基本です、犠牲は付き物でしょう」

居並ぶ大臣衆が額を突き合わせ勝手に喚き散らし、喧々囂々たる有様の室内。
これが御前会議か。言い訳の為に玉座を埋めさせているだけだ。
纏った立派な赤の絹官衣の下、どれも腹の中は真黒と見える。
それを収める声を放つどころか、口を挟む事すら儘ならぬ幼王。

刻の無駄だ。こんな下らん議場に無言で立って。
そんな暇があるなら疾く私室に戻って眠りたい。

こみ上げる欠伸を噛み殺し、騒ぎを余所に立ち尽くし、玉座の横から庭を眺める。
庭を白く覆う雪。来る友を待つ春の根雪。
どれだけ待とうと春先に訪れる訳もない。
待つだけ刻の無駄と認めてしまえば良い。
認めてしまえば、溶けて消える事も歓びに変わるだろう。
春先の土埃に汚れて見苦しく残るより、いっそ潔いのに。

半刻余りの会議から解放されるや否や飛び出した忌まわしい部屋。
ようやく深く呼吸をしながら、寝床へと急ぐ足で進む回廊。
「隊長」

沓先を見ていた眸を上げれば、正面から歩み寄る迂達赤の一隊。
率いる先頭で副隊長が頭を下げた。
「大丈夫ですか」
下げた頭を上げた途端に尋ねられて顔を背ける。
この男は会った初日から、視野が広く思慮深い。
副将として隊を率いる実力も武術も人望も充分。

但し質問が多いのが厄介だ。思慮深いを通り越して慎重過ぎる。
答がないのが答だと諦めるつもりはないのか。
黙殺する俺に、副隊長の背後から甲組頭が顔を覗かせ問い掛ける。
「昼の鍛錬を代わりましょうか、隊長」
甲組頭チュソク。
挨拶代わりの就任試技で唯一三十交打を成した剣豪。
隊の中で安心して鍛錬主を預けられる数少ない一人。

こいつはこいつで几帳面で律義過ぎる。
俺の何処が気に入ったのか、何かあるたび顔を立て気を回す。
一本気で裏のない男と太刀筋から見えるから、なお不思議だ。

隊の実質の指揮、そして面倒な鍛錬を押し付けた割に、何故か二人とも厭わず役目をこなし事ある毎に俺を気遣う。
副隊長にしても甲組頭にしても隊きっての剛の者。
そんな男らに慕われる故も、懐かれる理由もない。

無駄に広い宮でも、独りになれる場所が少ない。
何処を歩いても、こうして顔見知りと行き会う。
ようやく手に入れた寝床にもぐれば、部屋外の雑音が煩い。
それが妙な思い遣りと懐こさに満ちているから面倒になる。

ただ眠りたい。眠れれば良い。一人で。
お前らだけは死なぬように鍛錬はする。
下らぬ宮の主の為に命を懸けぬように。
だから俺のことは放って置いて欲しい。

それすら口に出すのが億劫で、声の代わりに吐いた息が冬の庭に白く煙る。

 

 

 

 

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2 件のコメント

  • 現実逃避したい時
    ずーっと 寝てたい
    誰にも邪魔されず
    眠りたい。 目が覚めたとき
    なにか変わっていればいいのにねぇ

  • ため息は心の内に抱えきれなくて溢れるんですね。
    隊のみんなの資質を良く観ているのがわかります。

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