或日、迂達赤 | 泰山北斗

 

 

【 泰山北斗 】

 

 

「お前、全然できてねえじゃんか」

チホに罵られ、地面に膝をついていた俺はそこから奴を睨み返した。
「全然ってことはないだろう!」
「いいや、全然だね。ほんとにヨンの旦那に八年も鍛えられたのか」

片手で槍の石突を地面へ打ち付け、チホが呆れたように息を吐いた。
「それともヨンの旦那が、教え下手ってことなのかよ」

畜生。俺の下手はともかく、隊長の名が落ちるのは我慢できない。
俺は槍を振り、柄尻の石突きで地面を突いて立ち上がった。

「槍を持つこと自体早いんじゃねえか」
チホはそう言って首を捻った。
「取りあえず棒から行けよ。いきなり槍じゃ、荷が重すぎる」

チホはふいと踵を返し、数歩歩いたところの、槍や棒を立てかけた柵の中を目で追った。
いくつか目ぼしいものに手を伸ばし目当ての物を見つけたか、それを引き抜くと俺のところへ戻り
「これだ。これがいい。お前の体にも合う。これで素振り、一日五百回な」
そう言って棒を差し出した。それは構わないが。

「五百回だと」
俺の頓狂な叫びに涼しい顔で頷き返し
「おう。千回って言ってやりてえが、お前も忙しいだろ。
そこまで無理は言わねえよ。取りあえず、五百回でいい。
やることは同じだ。握槍、扎槍、拿槍、劈槍、架槍、百回ずつな」
「・・・判ったよ」
俺は差し出された棒を握り、それだけ言って頷いた。

俺が言ったんだ。俺が決めた。
敵わなくても。越えられなくても。今はまだ。

あの時に北の兵舎で、隊長の前で誓ったんだ。
そして胸の中で、トルベに誓ったんだ。
だから絶対諦めたりしない。投げ出したりしない。

 

******

 

「隊長、今はまだ」
迂達赤の私室の寝台。
外からの声に身を起こしかけた俺を、横のチュンソクが慌てて止める。
声の主を睨み返し
「あんな大声が聞こえる中でか」

そのまま窓の外に目を遣るとチュンソクが視線を追って窓の外を眺め、眉を顰める。
「黙るように言ってきます」
「そうじゃない」

俺は寝台の上、完全に起き上がり頭を掻いた。
「鍛錬が気になると言っているんだ」
「しかし典医寺の医官からも、絶対安静を言い付かっています。
今はとにかく休んでもらわねば困ります」
「眺めるだけだろうが」
「隊長、どうか」
「良いから退け」

寝台から下ろすまいと進路を塞ぎにかかるチュンソクの体を腕一本で押しのけ、床に足を下ろす。
そのまま沓を突っかけ、俺は足早に私室を抜けた。

鍛錬場ではチホがトクマンの棒を己の槍で受けながら、その姿勢や振りの向きを直している。

トクマンの槍筋を見て、すぐに合点がいく。
奴の槍はトルベを意識しすぎている。
あいつならこう振っていた、こう払っていた、こう回していた。
まるで精巧な猿真似だ。

「違うだろ、それじゃ架槍だか扎槍だか分かんねえよ」
そう言いつつトクマンの架槍の突きを叩き落とし、チホがその襟にぴたりと槍の刃先を当てた。
「相手の槍が届く前に、相手に届かなきゃ意味ねえんだよ。
そんな風に次はここを突くって、目で教えてどうすんだ」

その一丁前の口調に、俺は腕を組んで壁に寄りかかり薄く笑う。
俺からすればお前も十分、まだ目で教えているがな。
そう思いつつ槍を立て掛けた柵へと歩み、そこから棒を一本抜き出すと軽く振り、奴らの前に進む。
「隊長!」
「旦那!」
俺の思わぬ参加に驚いたか、叫んだ奴らの手が止まる。

「寝ていなくて良いんですか」
「そうだよ、今無理して悪くしたら元も子もねえぞ」
途端に煩く騒ぐ奴らを、ひと睨みで黙らせる。
「て、隊長」
「何だよ、心配してんのに」
「振ってみろ」

俺の声に二人の目が丸くなる。
「鍛錬したんだろう。トクマニ」

俺はトクマンの前に立つ。構えた棒を奴に向け
「握槍」
慌てて構える奴を見て、棒先を軽く交叉させる。
「扎槍」
振り下ろされる棒先を半身で躱すと
「拿槍」
そう言って奴の中段へと棒を振り、そのまま回し
「劈槍」
構えた奴の棒を、上段から打ち据える。
「架槍」
その言葉で最後に突いてきた奴の棒を払い、体勢を崩したその肩へと棒先を当てる。
「これが戦場なら、腕を失くすぞ」

そう言うと奴は、肩で息をしながら立ち上がった。
「良いか、槍とて脚力は必要だ。お前の丈の高さ、腕の長さは有利だからな。
足腰を使え。伸縮で槍の可動幅を作れ」
「はい!」
奴が頭を下げた処で
「一日千回だ。握槍、扎槍、拿槍、劈槍、架槍、二百回ずつ」
「・・・はい!」

一瞬の無言の後で自棄のように大きく戻ってきた声に片頬で笑み、続いてチホに棒先を向ける。
「何だよ、俺にも教えてくれんのか」
「約束だからな」

トクマンの時よりも一歩距離を開いて構え
「握槍」
そう言うと、チホの槍がぴたりとこの棒先を狙う。
以前槍を交えたあの時より、幾分構えは安定した。
「扎槍」
その声に槍が振られる。その刃先から身を逃がし
「拿槍」
そう言って、逆側から棒を振る。
「劈槍」
上段から振り下ろすこの棒先を受け止めたチホに
「架槍」
最後に突いてきた槍の刃先を、思い切り力を込めて振り落す。

息をついたチホは手の中で槍を持ち直すと、そのまま石突を地面へ立てた。
「お前もまだ、目で追っている」
俺の指摘にチホは悔しそうに唇を噛む。
「この袖でも掠れるようになれ」

俺は柵へ進み、手にした棒を中へ戻した。
「トクマニ」
「はい」
「あいつの槍を追うな」
「・・・え」
「トルベの槍は、奴だから出来た。お前とは違う。
お前にはお前にしか振れん槍がある」

 

隊長の声に俺は黙って頷いた。
そうだ、分かってる。槍を手にした瞬間に俺の頭の中で、あの時のトルベの姿が思い出されてしまう。
奴ならこう構えていた、確かこんな風に振っていた、相手の刃先をこう躱していた、そんな雑念ばかり浮かぶ。

俺の槍を見つけなきゃいけない。奴の槍とは違う俺の槍を。
そうでなければ、奴という泰山の麓までしか辿りつけない。
その山は、雲突くほどに高い。猿真似では、登りきれない。
俺は奴になりたいんじゃない、奴を超えたいんだ。
そうすればトルベは初めて安心して、笑ってくれると思うんだ。
俺は隊長に向けて深く頭を下げた。
「分かりました」

旦那はトクマンに何やら短く呟くと、次に俺を振り向いた。
その真剣な目に、思わず少しばかり上半身を反らす。
「な、何だよ」
「相変わらず、悪い癖が抜けん」
「癖って」
「目で見るなと幾度言ったら判る」
「まだ見てるか」
「そう言ったろ」
「見てないつもりだった」
「トクマニに教えながら、基礎をやり直せ」
その声に何故旦那がトクマンに教えろと言ったか、本当の理由が隠れているような気がした。

他人のことならよく見える。
トクマンに槍を教えながら、奴の目が突く先、振る先を追いかけているのがよく分かった。
あんな風に追ってるのか。無意識だから始末が悪い。
それじゃいつまでたっても旦那の足元にも及ばねえ。

どっからでも見える旦那って人は、まるで夜空の北斗の七星だ。
その星を追っかけて、俺だって槍では引けを取らないくらい輝いてみたいじゃねえか。
ただその星を見上げてるだけじゃ、男として悔しいじゃねえか。
そのためにはもう一度トクマンと、一からやり直しか。
「分かったよ」

トルベという泰山を見上げて、そこに登るために。
畜生、絶対にやってやる。

旦那って北斗星を見上げて、同じだけ輝くために。
ふざけんな、いつか勝ってやんよ。

「やろうぜ、チホ」
俺は悔しそうに唇を噛むチホに声を掛けた。
「おう、勝とうぜ、トクマニ」
そんな声を掛けられ、俺は強く頷き返した。

奴らの声を背にしつつ、ゆっくりと兵舎の階段を上がる。
肌に残る忌々しい凍った疵はまだ引き攣れるように痛む。
そんな中をこうして出た以上、何か一つは身につけろ。

そう思いながら階の途中、兵舎の吹抜を振り返る。
まだお前らが、其処にいるようで。

俺がこんな様だからな、お前らの力がまだ必要だ。
守ってやってくれ、奴らを。
頼む声に奴らが笑って頷くような気がして、ゆっくり階を登りきる。

「隊長、いい加減に」
部屋前で待ち受けるチュンソクの小言に首を振りながら、奴の脇をすり抜けて私室への扉を開け、俺は中へと入った。

 

 

【 或日、迂達赤 | 泰山北斗 ~ Fin ~  】

 

 

 

 

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