一服処 | 春波・中篇

 

 

「チェ・ムソン」

いつも何処か人を喰ったような、良くも悪くも底知れぬ処のある男。
それでもさすがに御前での最低限の礼儀は弁えているらしい。
奴は御声に呼ばれ、深く頭を下げ直した。
「二度目であるな」
「はい、王様」

初見は他ならぬ己の婚儀の日。
こうして手引きする格好になるとは夢にも思わなかった。
倭寇の襲撃を防ぎきれなかった村の生き残りの男が、長じて火薬を生み出すなど。
家族も朋も失いながら赤月隊への恩義を忘れず、己を通じてそれを献上するなど。

さすがにあの方をこの密談の場に呼ぶ事は出来なかった。
一切の人払いを掛け、迂達赤ですら扉から離した康安殿。
部屋内の人影は四つのみ。
玉座の王様。脇を守るチュンソク。階の下に立つ俺。
そして共に大卓を囲む訳にもいかず、玉座の階前の床に平伏するムソン。

「して、出来はいかがか」
「日々良くなっています、王様」
「成程」
「もう一歩というところです。何しろ湿気に弱いので。最終的には船に乗せて、海戦で使える火薬を作るのが目標です」
「海戦」
「はい、王様」

王様の僅かに驚かれた御目が俺をご覧になる。
ムソンの真の標的は倭寇。己の家族、朋を弑した者ら。
心情は痛いほど判る。そして途がどれ程困難かも。
俺もチュンソクも口は挟まない。
誰しも守りたい者が居て、失った者があり、仇と憎む者がいる。
守りたいと欲して終わるか、喪失に泣いて終わるか、仇を憎んで終わるか、対峙に備えて己を鍛えるか。
どれも間違いではない。だから黙って耳を傾ける。
俺が守るべきもの、そして護りたいものを護る為。
恐らくはチュンソクも、そして畏れ多くも王様も。

「現時点での仕上がり具合を披露せよ。出来次第でこれ以降は軍器営と共同で作ることになる。資金も内需の国庫から支払われる」
「ありがとうございます、王様」
「できるだけ早く見たい。但し極秘に」

玉座の王様、平伏するムソン、王様の傍のチュンソクの視線が一斉に此方を見る。
何も言わず小さく頭を下げる。了承の標として。
此処からは俺達の誰が口を滑らせても、国と王様の命取りとなる。
言葉が少ないに越した事はない。

完成までの間、情報が洩れれば潰したがる者は山ほどいる。
ようやく手の切れた元、因縁の奇皇后。
国内の大臣にも面白くない者はおろう。
そして大商人。密輸入の火薬が売れなくなれば痛手となる。

全員を黙らせるには完全な状態の火器を披露するしかない。
これ以上は望めぬ完全な形で、実戦に耐え得る完成品を。
元と奇皇后が騒ぎ立てた時には迎え撃てる形で。
大臣が口さがなく翻意など奏上出来ぬような火器を。
商人らには密輸を禁じる代わりに、原料を納めるように折衝すれば良かろう。

火薬が近々出来上がる以上、大至急繋がねばならぬ先。
ムソンと同等、いやそれ以上に頭の固い巴巽の女鍛冶。
次に手裏房。口止めと、逆に情報の入手とを頼まねば。
「手配を頼む、大護軍」
「は」

王様の御声に顎を下げ、俺は短く頷いた。

 

*********

 

春の夕暮れの訪れは日一日と長くなる。
冬の最中なら既に真暗だった刻の典医寺の空は、今もまだ蘇木色を残している。

男二人で連れ立ったあの方の私室の扉口。
叩いて訪いを報せ踏み入らぬ俺を不思議に思ったか、扉はすぐに内から開いた。
漏れる気の早い蝋燭灯の中、出迎えたこの方の瞳が丸くなる。

「あれ?ムソンさんも一緒なの?」
「すみません、奥方様。迷惑かけて」
何が申し訳ないのかムソンは困った様子で頭を下げ、この方が笑顔で首を振った。
「ううん。そういう意味じゃないんです。碧瀾渡から一緒に戻って来たんだし」
「ムソンを、暫し宅に」
「もちろん!スペースはたくさんあるし、ご飯もおいしいし、私たちが留守の間もコムさんやタウンさんがいるから」

何も知らぬあなたは天真爛漫に笑う。
確かに俺達の不在の間、衛の面でも宅なら安心できる。
但しコムやタウンと交流を深めるほどの長逗留は無理だろう。

一両日中には現在奴の持っている火薬の試用。
王様のお気に召せばそのまま軍器寺への転居。
居所を引き払おうと、火薬の情報を集めるには碧瀾渡以上の場所はない。
ムソン一人での行き来になるか、若しくは迂達赤か禁軍の衛をつけるか。
王様の仰る通りだった。忙しなくなる。
「帰れますか」

俺の声に頷くと、ムソンの前というのにあなたは俺だけを見詰め、いつものようにこの額に小さな手を伸ばす。
ムソンの方が驚いたように耳を赤らめ、俺達の姿から目を逸らす。
一向に慌てた様子もなく脈診を終えたあなたは、確かめていた手首の血脈から指を離すと笑って言った。
「うん、だいじょうぶ。良かった。じゃあ帰ろうか?」

 

「ヨンさん、お帰りなさい」
チュホンと連れ立ったムソンの馬。
二頭の蹄音に気付いて門を出て来たコムは馬上の俺達、そして珍客に笑って頭を下げた。
「お久しぶりです」
「ご無沙汰してます」
ムソンも鞍を降りコムに礼を返して、駆って来た馬の手綱を牽いた。
「どこに繋げばいいですかね」
「それではこちらへ」

俺とこの方が下りた後のチュホンの手綱を取り、コムが馬ごとムソンを門内へ通す。
様子を見る限り、ムソンは思った以上に馬の扱いに慣れている。
未だ武技を見る機会はないが、身を守るには乗馬もこなせるに超したことはない。
思った以上に安心できるのかと少し明るい気分で横のこの方を促し、続いて門をくぐる。

春は良い。昼は長く温かく、夜の空は優しく霞み、月光は淡くあなたを照らす。
春は好きだ。宵闇の中でもあなたを見失わない。振り向けば其処に姿が見える。
そして風の匂いが、あなたの香に何処か似ている。
梅、桃、沈丁花。木蓮、櫻、丁子莢蒾。
庭の薬木から漂うか、それとも横のあなたからか。
判らないほど穏やかに、夜の空気を包み込む。

厩舎で馬を見ているだろう二人の男はまだ追い付かない。
帰宅に気付いたタウンが怪しむほどの刻は経っていない。
母屋までの径、何も知らないあなたは、月光の許で笑う。

春の嵐が来る前に。月の中のあなたを見失わないように。

伸ばした指先で春の香を掴まえる。

騒がしい客の滞在中は、こうして隠れるしかないだろう。

 

 

 

 

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3 件のコメント

  • さすがに 来客中はね
    あまーい二人って
    訳にはいきませんね
    十分甘いかな?
    (♡ˊ艸ˋ)むふッッッ♬*

  • ムソンくんが移住した場所を漢字で書こうとしたら…Σ(゜Д゜)読めない(-_-#)部首で調べてあとチャレンジしてみますm(__)mこのあとどんな話するのかな(^^;和気あいあい?それとも…緊張する雰囲気?ウンス次第かな(´・ω・`)?

  • ヨンとウンスはさておいて(笑)
    コムとタウンの登場に
    ニヤニヤしてる私です(笑)
    思わず、お久しぶり~って叫びそうになりました?

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