一服処 | 春波・前篇

 

 

【 春波 】

 

 

河原の小石を洗うよう、打ち寄せる小さな波。
戯れるよう跳ねまわる眩しい陽射しの中の影。

ご本人は楽しかろうが、見ている此方は気が気でない。

川面を波立たせる温かな風。煌めく光に眸を細める。
途端に跳ね回る影を見失い、慌てて再び大きく開く。

黙ったままの俺に気付き、小さな影が呼び掛ける。
「だいじょうぶー?」

その声に頷き、ようやく立ち止まった影へ寄る。
近付いた俺を見上げる瞳。春風が乱した長い髪。
指先で触れれば白い頬は、驚くほど冷えている。
「戻りましょう。別の処で」
「イヤ」

即答に唖然として口を開ける。
せめて考える振りだけでもして頂きたい。
幾ら春とはいえ川風に晒されているのだ。
ましてこれ程冷えているのに。
「もうちょっとだけ。せっかく久しぶりに碧瀾渡まで来たんだもん」
「遊びでは」
「分かってるってば、だからムソンさんが来るまで!ね?」

そして返答も聞かずに離れるから、追い駆ける羽目になる。
春の陽射しよりも温かく、眩しい笑顔を。

 

*********

 

「大護軍」

控えた康安殿の御前、玉座の龍顔も春の陽の中で穏やかに見える。
「碧瀾渡の・・・進み具合は如何か」

火薬と御口に上げぬのは周囲の耳目への御気遣いだろう。
殿内に控えた内官は多く、無論迂達赤の衛も付いている。
御言葉が耳に届けば望むと望まざるに関わらず、その者を巻き込む。

今とて康安殿の御部屋内、事の次第を知る者はチュンソクのみ。
奴も心得ていると見え、御声を伺っても素知らぬ顔で立っている。
「順調と」
「連絡は」
「取っております」
「そうか・・・」

御言葉を切り暫し黙り込まれた後、玉座の王様の御目が戻る。
「会えぬだろうか」
「お望みですか」
「ああ。この辺りで直接話してみたい。大護軍はどう思う」
「呼びます」
「そうしてくれるか」
「は」

王様の御決断だ。機は熟したのだろう。
これ以上市井に置くことで、火薬屋の周辺に火が付かぬとも限らん。
今後は王様の御加護の許で火薬を作らせるに良い頃合い。
居所が決まるまでは宅にでも、迂達赤兵舎にでも匿える。
唯一の問題は、あの男がどうやら俺の声以外は聞かぬ事。
故に王様もこうして俺の意思をお確かめ下さるのだろう。
「迎えに参ります」
「すぐにか」
「善は急げと」
「では、医仙をお連れしては如何か」
「・・・は?」

意外な御言葉に間の抜けた声が出る。
しかし王様はお決め頂いているのだろう。
確信に満ちた御顔で頷かれつつ
「そなたが頻繁に一人きりで訪れれば、さすがに周囲も訝しがろう。
碧瀾渡といえば国内外の薬の集まる町、医仙をお連れし薬房を覗けば怪しまれる事も減る」
「王様」

あの方を連れて行く事で、却って耳目が集まる事もある。
その辺りはお気づきになられぬのだろうか。
碧瀾渡の町中を大食国の商人に紛れ、物怖じせずに闊歩する女人など。
「医仙は・・・」
「冬の間、軍議にばかり携わって来たであろう。
春を過ぎれば忙しなくなる。まして碧瀾渡が絡めばな。その前に」

その御顔は春の陽射しには少々似つかわしくない。
御本心を隠し損ね、溜息混じりで頼りない笑顔を覗かせた王様は困ったように御口端を下げられる。
「そなたも暫し休め、チェ・ヨン。
互いに眠る間も削って、御相手に心配をかけるようになる前に」

 

御言葉通りにこの方を連れ、出向いた碧瀾渡。
王様も束の間の平安の今、王妃媽媽の坤成殿でお過ごしか。
若しくは御二人で連れ立たれ、春の皇庭を御散策か。

ムソンの火薬が完成に近づけば、次はそれを用いた火器作り。
火筒か飛発か、それとも火槍か。
何れにせよ高麗での作成は初の試み。
ムソンとて実物を拝んだ経験があるのか定かではない。

作り方を知りたくば完全に国交を絶った今、元から盗み出す以外に手立てはない。
紅巾族の武装は、鴨緑江を挟んだ睨み合いで確かめている。
中央からの援助を持たぬ反乱軍は数頼みなだけで、火器どころか鎧すら禄に揃わぬ。
潜り込ませた密偵が火器を持ち出せる可能性はない。

「ヨンア?」
いつの間にか足を止めた俺の側、気付いて戻ったこの方の小さな声がする。
「どうしたの?」

立ち止まる訳にはいかない。護る為に。
笑顔を、進みたい道を、自由な歩みを。
それがどれ程危険でも、困難な途でも。

護りたい。どうしようもなく。身勝手な慾だと判っていても。
上手く隠れているだろうか。川面に跳ねる光が眩しい振りで。
あなたがいれば何も要らない。だから許してくれるだろうか。
あなたがもしも今、この肚裡を覗き見たとしても。
「・・・ヨンア?」

冷えた頬をもう一度、温める振りをして包む。
川風に揺れた長い髪がこの手に触れて流れる。
許してくれるだろうか。堪えてくれるだろうか。
自信はない。隠れて泣かせてばかりいるから。

問い掛ける眸の中、紅色の唇の両端が上がる。
そしてそれが薄く開き次の言葉を紡ぐ前に
「大護軍さまー、奥方さまー!」

春の潺の音の中、響いた声に振り返る。
相も変わらぬ麻の上下に蓬髪を乱し、碧瀾渡の火薬屋が大きく手を振りながら駆けて来た。

 

 

 

 

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3 件のコメント

  • 王様の御心遣い
    ありがたい。
    ウンスの喜ぶ顔を見れて
    嬉しい反面、心苦しくなる…
    そんなに 悩まないで~と
    言いたくなっちゃうわ

  • ヨンア的に政の秘密に医仙の同行…嬉しいような複雑な心境(^^;その分王様と王妃は仲良くしてるかな(*^^*)

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