一服処 | 天つ空・申刻

 

 

高かった陽はゆっくり西に傾き、山の稜線を金に染め始めた。
冬の陽が落ち始めると同時に枯葉を踏む足裏が最初に覚える。
沓の中の爪先を悴ませる冷たさが、地表から這い上って来る。

燃え上がる金朱の西陽に照らされ、枯葉を踏み拉きながら歩く。
足の下、踏まれた枯葉が砕ける乾いた音がする。

侘しい音を楽しむ暇などない。チェ・ヨンは必死だった。
奇轍の最期の執念が与えた傷を癒し、体調を戻さねばならない。
判っていた。それは今までにない長く厳しい戦になると。

官軍も迂達赤もが虱潰しに探し回った。
皇宮は勿論のこと最後に引き離された丘の周辺にも、思い当たる限りの町邑にも、ウンスの姿は見えなかったと報せが届いた。

認めたくはないが認めるしかなかった。
自分たちは天門に隔たれた。ウンスは今、高麗にいない。

チェ・ヨンは金色の西空を眇めた目で睨みつけた。
満身創痍の中、その眸だけが爛々と光を放って生きている。
一日も早く傷を癒す。もう一度己の脚で駆け、必ず迎えに行く。この世の涯まででも。
消えたというなら帰りを待つ。もう一度丘の誓いの木の袂、たとえ石になるまででも。

誓いは永遠だとチェ・ヨンは信じている。命の続く限り。
両親から受け継いだ名に懸けて誓った以上。
護ると誓った。一日でも、一年でもなく、命の続く限り。
そして伝えた。もう一度尋ねた時に答をと。

地面で凍りかけた自分を幾度も振り返りつつ、奇轍に連れ去られるウンスの泣き顔。

再会し尋ねなければならない。尋ねるまで生きなければならない。
生きるために傷を癒し、この国と王を守り続けなければならない。

父に教わった通りだと、チェ・ヨンは改めて思う。
答はいつも単純に出来ている。
本当にそうだった。初めて天界で出逢ったあの時に始まっていた。
幾度打ち消そうと、どれほど後悔しようと、顔を背け逃げようと。
光に包まれた白衣のウンスを、人の頭の段々畑の下に見つけた時。
その姿から眸が離せなかったあの時に、もう確かに始まっていた。

息絶えようと、身は朽ちようと、これから永遠に続く魂の鼓動が。

気付くのは遅くとも、其処から始まるものは在るはずだと信じる。
チェ・ヨンは歩き始める。真赤な冬空の中、白い息を吐きながら。

 

冬の夕焼けが色鮮やかなことに、ウンスは毎日驚く。

落葉まですっかり落ち、寒さの中で咲く花もなく、景色が色を失くした墨絵のようなモノクロの1日の終わり。
まるで出し惜しんでいた1日分の全ての彩を開放するように、西空は恐ろしいほど見事なグラデーションを描く。
時には雲の合間から金色の天の梯子を下ろし、地平線の深紅から上空の濃い紫まで、下手なCGよりずっと美しく。
絶対にメモリに残せない、毎日違う配色で。

美しすぎて悲しくなる。
その悲しさは夕焼けのせいなのか、それとも全ての景色を共に見たい世界でただ1人と離れたせいなのか。
いや、ホルモンバランスのせいなのかもしれないと、ようやく医師らしい結論にたどり着いて少しだけ微笑める。

「一緒に、見たいなぁ・・・」

声に出して言ってみる。話し相手もいないこの世界で。
語尾がどうしても震えてしまうのは、この際無視を決め込む。

戻りたい。最後に受けたはずの傷を治療したい。生きて欲しい。
ただ一緒にいたい。この先の人生の、全ての景色を共に見たい。
そのために何でもすると覚悟は出来ているのに、手段が判らず。

夕焼けに悲しくなるのは、現実を突きつけられるからかもしれない。
戻る手段が判らないまま、また1日が終わる。こうして無駄に時間だけが過ぎていくと。

あの丘で地面に横たわり、小さくなっていくチェ・ヨン。
泣きながら振り返る自分を見つめた、半ば焦点を失った瞳。

最後に見せるのが泣き顔なのは許せなくて、ウンスは唇を噛む。
大した思想やポリシーの持ち合わせはないが、最低限の美学はある。
これまでいろいろな事があったけど、何ひとつ後悔はない。
あなたと逢えて幸せだったから、またすぐに逢いましょう。
そう伝える暇すらくれなかったキチョルへの恨は尽きない。
必ず高麗に帰り、チェ・ヨンの無事を確かめて伝えなければ。
あなたを愛している、この先もずっとずっと一緒にいたいと。

チェ・ヨンと離れた今は、恐らく当時の高麗から更に100年ほど前。
迷い込んだウンスを支えているのは皮肉な事に、医学部受験には全く関係のなかった国史の授業だった。
チェ・ヨン大将軍は李朝の建国直前まで生きる。1388年、威化島回軍まで。
自分が高麗に迷い込んだのは恭愍王立位の年。
歴史通りであれば少なくともチェ・ヨンはそこから40年近く、戦勝を続け立派な功績を立てながら生き続ける。

不安要素はある。まずキチョル。
貢女だった妹が元の皇后に上り詰め、そのおかげで高麗で暴政を振るって、最後に恭愍王に粛清される。
ただしもっと後だ。立位直後の恭愍王にそんな力はなかった。
という事は追走を振り切り、天門に残して来たキチョルはまだ生きているというのだろうか。
だとすればあの男は天門を下りる時、倒れているチェ・ヨンを見つければどうするつもりか。

そして徳興君。そんな名の王族が王位を継承した史実などない。
恭愍王の後には禑王そして昌王。それぞれ恭愍王の世子と世孫。
だからあの男に堂々と言えたのだ。お前は王にはなれないと。
キチョルと徳興君が手を組んで、謀叛を起こした記憶もない。
そんな事を勉強すれば覚えている。受験に関係ないとはいえ自国の歴史だ。

最大の不安要素は他ならぬ自分自身だった。
歴史に関与したことで、どこかで今まで学んだ国史が歪んだなら。

ウンスはそこまで考えて焦れる思いで髪に爪を立て、ぐしゃぐしゃとかき乱す。
夕暮れ時の物思いは碌な事を思いつかない。ネガティブな思考回路では最悪の結果ばかりが浮かぶ。
深呼吸をし、ウンスは次に両手で自分の両頬を思い切り叩く。
ダメだ。考えてはいけない。考えるべきは帰り道。
どうすればチェ・ヨンの元に、もう一度戻れるか。
こんな風に夕焼けで感傷に浸って、涙ぐんでいる場合ではない。

庭先の縁台の上、ウンスは黒いカメラバッグに手を伸ばすと一冊のダイアリーを引っ張り出す。
高麗で散々見慣れた、悩まされ続けたボロボロのダイアリー。
今は新品で自分の手の中にあるそれの、紫色の皮表紙を指でなぞる。

こうしてあの頃の謎を1つずつ解いていく。
マジックの種明かしと同じだから。判ればああそうだったのか、と思える。
その先がチェ・ヨンに戻る道へ続くと信じて。
帰った時には土産話にして笑わせてあげよう。
あの天の記録は、本当に過去の自分が書いたものだったと教えてあげよう。
だから泣くのはこれで最後にしよう。

ウンスは息が止まるほど綺麗な夕焼けを見上げて、重力に逆らえない涙が零れ落ちるに任せた。

 

 

 

 

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3 件のコメント

  • ウンスって ほんとに強いわ
    ほんとは強くも無いけど
    そうならざるを得ないし
    もう一度、会いたい!
    努力、根性だけじゃ なんとも
    ならないことでも
    信じるものは救われる
    運命だものー

  • 私ならどうするか…諦めてそう…相手が自分を想っているか分からないし不安だものφ(..)さらんさんの話の二人なら相思相愛よね(*^^*)私は旦那と相思相愛かしら( ̄ー ̄)怪しい…

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