一服処 | 天つ空・卯刻

 

 

【 天つ空 】

 

 

元の宮廷からの帰路半ば。

左手は流れる川、右手を茂った叢に覆われた一本道。
移動の馬蹄で地面に穴が穿たれる。
その土に轍を刻む新王と王妃の二台の輿。
愛馬の背に揺られ見上げる空は、早朝だと言うのに鉛色の重苦しさを増していく。

チェ・ヨンは息を吐くと、視線を前へ戻した。

勿論、隠密の行幸の行く手を案じてではない。
今にも落ちて来そうな雨粒に顔を打たれるなど御免だと。
足許の赤土は雨が降れば泥濘んで、轍を取られ進めなくなる。

新王に仕える気もない己が、何故隊を率いねばならないのか。
千萬度目の自問自答を繰り返し、鞍上で眸を閉じる。

決まっている。自由になる為だ。
帰京の役目を無事に終え、元と紅巾族と高麗が互いに鎬を削る国境を越え、如何あろうと輿の中の新王を高麗へ戻す。

鬱陶しい皇宮の門さえ超えさせれば、その後は己の責任ではない。
新王が死のうが生きようが、何度御代が替わろうが。
但し今この場で敵に襲われるのも、そして死なれるのも困る。
そんな事になっては新王でなく、七年率いて来た迂達赤に関わる。

去っていく己は別として、残る兵らの名誉どころか生き死にに。
どれだけ新王の帰還を鬱陶しく思う重臣らとて、故国に帰り着く前に新王が死んだとなっては、表向きそれを率いた迂達赤に非難の矛先を向けるだろう。
これ以上の面倒を背負うなど、笑い話にもならない。

 

迂達赤副隊長チュンソクは、先刻から輿ではなくその横を守る隊長が気になって仕方ない。

輿を挟んだ向こう。行軍の速度を変えるでもなく、一定の常歩で馬を進ませている。
時折見える横顔は深く外套頭巾を被り、眸から下が覗く程度。

だが今は時折その覗く眸すら閉じた、明らかに不機嫌な様子。
そして隊長の周囲にいつも張り付くように従いている私兵テマンの姿が見えないことが、不安の火を一層煽る。

天候も悪いと、チュンソクは愚痴りたい気分で空を見上げる。
それは先刻確かめた隊長の姿に似ていると、自嘲したくなる。
隊長が天候を気にするだろうか。恐らく重苦しい灰色の空から今にも落ちて来そうな雨で、濡れるのが嫌なだけだろう。

隊長なら雨が降ろうと風が吹こうと、輿の中の新王を開京へ戻すと知っている。
唯でさえ口数の少ない隊長が無駄な決意を口にするはずもなく、必要もない。
迂達赤を率いるこの七年間、その声さえ聞いていれば間違いはなかった。たとえ実務を取って来たのは自分だとしても。

チュンソクは七年を振り返り、馬上で苦い笑みを浮かべる。
隊長チェ・ヨンが迂達赤兵舎へ初めて姿を見せた日以来。
酒と喧嘩に明け暮れて、幾度その仲裁に骨を折った事か。
そして死ぬほどの鍛錬を付け、他の時間は寝ている隊長。

恐らくこれから雨が降り何処かの宿で雨宿りとなれば、隊長はすかさず酒瓶を掴み中味を飲み干して眠り込むだろう。
迂達赤の他の兵に、しっかり守れと言い残して。
だが声の通りしっかりと守れるのは、隊長が死なぬ程度に鍛えて来た成果だから反論も出来ない。

今の唯一の望みは。

チュンソクはもう一度、先刻の隊長を模すように灰色の空を見る。

雨が落ち始めるのが、一刻でも遅くなること。
その間に一寸でも開京近くに戻っていること。
まだ国境まで距離がある。つまりは敵の手中。
逃げ場どころか身を隠す場所もない一本道で敵に襲われるのも、仮寝の宿で隊長が酒を飲み眠り込むのも、何方も嬉しくない。

酒の件はともかくとして、襲撃については隊長も同じ考えのはず。
だからこそテマンを周囲の警戒に当たらせているのだろうと、チュンソクは見当をつける。
そうでもなければ隊長の側から決して離れない男が、この一行の中に居ない理由の説明がつかない。

そしてチュンソクは気付かなかった。
輿向こうから先刻見詰めていたチェ・ヨンが今は自分を確かめて、呆れたように肩を竦めたことを。

 

 

 

 

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1 個のコメント

  • チュンソクは ほんとに
    良くできた腹心ですこと
    端からみると テジャンは
    寝てるんじゃ?
    (しっかり 先をよんでますけどね)

    しかし、チュンソクも 大変よね~

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