一服処 | 春波・後篇

 

 

「美味いですねぇ!」

春の夜の庭に向け、居間の扉は大きく開いてあった。
歓喜の声と共に、ムソンは三杯目の飯椀を空にする。

「いや、奥方様からも伺いはしましたけど、本当に美味い!」
手放しの称賛に、空の茶碗を受けるタウンが微笑んで頭を下げた。
「ありがとうございます」

気持ちの良い喰いっぷりだ。飯を喰うとは生きる事。
頬張ったまま飯粒を飛ばさず、喰うかしゃべるか決めればなお良い。

卓に飛んだ飯の残骸に、ムソンに四杯目の飯椀を渡したタウンの手の布巾が伸びる。
「あ、すみません、俺がやります!」
素早く気付いたムソンが慌てて頭を下げそれを止めると、布巾をもらい受け周囲の飯粒を拭き始めた。

久々に総勢五人で囲む卓。
コムもタウンも着座を促した俺に、何も言わずに従った。
委細は伝えずとも察しているのだろう。
今日の客が誰なのか。何故直々に同席を頼んでいるのか。

そんな様子に笑いながら、この方が卓を囲む面々を見渡す。
「でしょう?タウンさんの腕は最高なんだから!あ、明日はみんなで一緒に、マンボ姐さんのクッパを食べに行こうか?
ね、ヨンア?最近は夜もあったかくなってきてるし、お出かけにちょうどいいんじゃない?」

マンボの飯。手裏房の酒楼。
ただ一人何も知らないはずのこの方の声が核心を突いて来る。
ムソンと手裏房との顔繫ぎ、そして続く巴巽村。
火薬の話が軌道に乗るまで余計な火種になってはと思ったが、王様の御決断となれば一刻も早く。

婚儀の折、手裏房と巴巽の顔合わせが済んでいたのは幸いだった。
今は一つでも手順が少ない方が良い。
「行きましょう」
一も二もなく頷いた俺に、無邪気なこの方の顔が輝いた。

 

「いや、大護軍様・・・俺は納屋でも、厩でも、隅っこで良いんで」

早々に風呂にぶち込んで正解だった。
男から漂う火薬の匂いが薄くなっている。
顔も手足も明らかに白くなったムソンは、延べた布団を横目に作り笑いで腰を引く。

薄汚れた麻の上下衣は、二人の女人が有無を言わせず攫って行った。
今頃は湯屋の外、盥の中で明日の洗濯を待っているだろう。
ムソンは借り着の夜着を羽織り、心地悪そうにひたすら首を振る。
「こんな立派な部屋で寝かせて頂く身分じゃないです。飯も風呂も頂いて、寝間着までお借りして。だから、本当に」

油灯を燈した客間の壁に、揺れる焔が刻む三つの影。
ムソンは困り果てた顔で、三つ目の大きな影を振り返る。
そんな顔で縋っても無駄だ。此度はコムも俺に味方する。

「ふざけるな」
そう言って背を押すと、ムソンは布団の上に崩れて俺を見上げた。
初めて見る情けない表情に
「王命で召された以上、お前は王様のもの。考えるべきは一つ。判ったら」

最後に枕を指して言い捨てる。
「さっさと寝ろ。この後は寝る間もなくなる。コム」
「はい、ヨンさん」
「最後に錠を下ろせ」

二つの理由。
ひとつは内からの脱走、ひとつは万一の外からの侵入。
脱走はないにせよ賊が侵入したら、刻稼ぎは長いほど良い。
言った通り。王命にて召された以上は王様のもの。
使える火薬が完成するまで必ず無事でいてもらう。
俺の声に頷くとムソンに申し訳なさげに笑いかけたコムは、錠を隠すよう大きな掌に握り込んだ。

「ムソン」
「はい、大護軍様」
「火薬は」
その声に奴は碧瀾渡から肩に担いでいた荷を指した。
今は客間の卓の上に乗っている包み。
さすがにコムの顔が強張る。その様子を見て、ムソンは慌てて首を大きく振った。
「でも材料だけです。合わせて初めて火薬になる。配合も難しい。
今あの包みに火をつけたって、爆発したりはしないです」
「そうなのか」
「もちろんです。そうじゃなきゃ大護軍様のお屋敷に持ち込んだりしないですよ!!そんな、恩を仇で返すみたいな」
「ならば良い。大人しく寝ろ」
俺の声に奴は、情けない笑顔を浮かべてやっと頷いた。

ようやく諦めて大人しくなったムソンを客間に置き、宣言通りに錠を下ろした扉。
コムと並んで居間へ戻ると、待っていたあなたとタウンが同時に振り返り俺達を見た。
「大護軍」
「頼んだ」
「はい」
相変わらずタウンは余計な事は一切尋ねず頭を下げる。

「久しぶりのお客様ねー」
俺とタウンの短い会話が聞こえぬわけでも無かろうに、あなたは暢気に微笑んだ。
「明日はタウンさんも、久々に一緒にゆっくりしよう!ね?」
「・・・はい、ウンスさま」

その態度が逆に気に掛かる。敢えて鷹揚に振る舞っておられるのか。
以前婚儀の衣装選びに訪れた碧瀾渡。
ムソンとの初めての出会い。
この方は言った。火薬は高麗でも作られていた。
倭寇との戦で、飛発を積んだ船が出陣している。
天界ではそう伝わっている。但し火薬を作った者の名が判らぬと。

知る限り、王様の周辺で火薬作りに着手しているのはムソンのみ。
海戦で使える火薬を作りたいと言った奴の望みとも一致している。

今までの天の預言に誤りはない。
恐らく奴の火薬作りは成功する。
たとえ此度でなくとも、近々必ず。
俺は言わぬ。そしてこの方も。
先を知る者の驕りか、夢の結果を先に伝える怖さか。

この方がご自身の婚儀を餌に、鼠の懐から天界の手帳を取り返そうとした時。
呆れ、驚き、そして思った。
この方の行く末さえ、無事さえ判ればそれだけで良い。
それが記されておらぬなら手帳を取り戻す意味もない。
自身のこの先が如何であろうと、そんな事は構わない。

先の世は、今生きている者だけが変えられる。
先の知れた安穏に胡坐をかけば掌返しに遭う。
戦うと決めたなら、己を鍛え続けるしかない。
いつ叶うか判らぬ夢に賭け、力を尽くすしかない。
俺も、ムソンも、火薬の完成を心待ちにしておられる王様も。
「・・・イムジャ」

もしやそんな心裡まで読んでいるのか。
呼び声に丸い瞳が戻り、何故かそれが少し険しい色に変わる。
悪い事を言ったはずもない。ただ呼び掛けただけだと首を捻ると
「明日キャン・・・やっぱり中止、とか言わないでね?!冬の間ずーっと仕事ばっかりで、たまには息抜きしたいんだから!ね?」

俺が何かを返す前に、この方は機先を制し小さく叫んだ。

 

 

 

 

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3 件のコメント

  • 隠していると
    ウンスの反応が気になりますね…
    ああ、守るものが一杯

    ウンスのご機嫌損ねませんように

  • 更新ありがとうございますm(__)mウンスは先をしるが故にヨンアには必要以上に言わない…けど知らず知らずのうちにヨンアがしようと考えることをウンスは事も無げに言葉にしている(^^;ヨンア的に何故Σ(゜Д゜)だろう…それがヨンアとウンス…選ばれし者だからかな?

  • ウンスさんは恋愛には疎いけど、
    こういうことには敏感だから
    ヨンも大変ですね~?
    タウンさんのご飯が食べれて
    ムソンが羨ましい~(^.^)

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