一服処 | 天つ空・辰刻

 

 

地平線を撫でていただけの陽が上がり、東空から周囲を照らす。

康安殿の歩哨へ向かう隊、昨夜の歩哨から戻る隊、朝の鍛錬へ向かう隊、非番で体を休めるか、もしくは自己鍛錬に向かう隊。
大勢が行き交う朝餉時の兵舎は、朝の賑わいに包まれている。

兵舎の私室窓からようやく条光が射し込む刻。
埃の立つ部屋の床に、幾本もの光が線を描く。

チェ・ヨンは寝台にだらりと体を伸ばし、鬱々と眸を閉じたままでいた。
丈高さの証のように、少しでも油断しようものなら踝から先が寝台の端からはみ出る。
舌を打ち、収まりの悪い足首を布団の下へ納め直す。
動いた途端に疼く腹の傷の痛みが苛立ちを加速する。

新王を高麗へ迎え次第、疾く皇宮を去るはずだった。
廃位され江華島に謫居した前王、慶昌君の親書も懐にあった。
最後だと思ったからこそ、新王を迎える行幸の一隊も率いた。
まさかその帰路であんな土産を手にするとなど予想もせずに。

目算違いは幾つもあったと、熱に朦朧とする頭で考える。

まずは刺客が徳成府院君 奇轍の手で放たれたこと。
奇皇后の助力もあったとはいえ、それほどまでに新王を疎んじていたとは。
次にその刃が新王本人でなく、元皇帝の息女である王妃に向けられたこと。
確かに王本人を殺めるよりも王妃を殺めた方が、より早く確実に高麗があの男の手に落ちる。

しかし誰もが予想もしなかった駒が、奇轍の行く手を遮った。

これこそが今のチェ・ヨンの頭痛の種、腹痛と熱の理由。
天界から己自身が攫い、この下界へ連れて来た天の医官。
刺されたことに恨みはない。但しこれで死ぬわけにも、去るわけにもいかなくなった。
自分の名を懸けて誓ったのだから。必ずお返しすると。

ああ、とチェ・ヨンは思う。何処で間違えたのか。
頭の中を纏めなければ次の一手も打てぬのに、気付けば意識が遠のいている。
気を抜けば散らばりそうなそれを手繰り寄せ、どうにか続きを考えようとする。

そうやってしばらく寝台の上で無駄な足掻きを繰り返し、最後に全て諦めて、布団の中で息を吐く。
隠れた布団の影のその息は、燃えるように熱い。

 

典医寺の薬園の端。
皇宮侍医チャン・ビンは、聞き慣れない声に顔を上げた。
迂達赤隊長の連れて来た天医が、部屋内で盛んに何か言っている。

半ば好奇心、残る半ばは己の管轄である典医寺で騒ぎを起こされてはたまったものではないという不安。
チャン・ビンは手にした薬草籠を置くと、足音を忍ばせ天の医官のいる部屋の開け放った扉に近寄った。

扉の陰に身を隠し、覗き込んだ部屋の中には天の医官一人きり。
それはそうだろうと、チャン・ビンも腑に落ちる。
朝の陽がようやく東空に上がり始めた刻。典医寺が最も慌ただしく動き始める。
つまりこの一風変わった天の医官に付き合う者が誰もいない。
薬員は総出で薬草の選薬や加工をしている。
医官らは病簿を読み、記し、今回の新王の帰途で起きた襲撃で傷を負った迂達赤の兵や、留守中に病傷を得た患者の治療に当たっている。

そこまで考えたチャン・ビンは、心の重石に息を吐く。
肝心の、最も重症である迂達赤隊長が頑として治療を受けないことに。

王命を受けて自身で天界から連れて来た、今部屋の中で大き過ぎる独り言を呟いている天の医官と余程反りが合わないのか。
いや、とチャン・ビンは思い返す。
新王の帰還の一行が宣任殿まで到着した時、脈を読もうと伸ばした自分の手も振り払われたことを。
いつもから気骨稜稜たる迂達赤隊長だが、今回は。

「だいたいどういうことなのよ、こんな何もないところでどうやって治療しろって言うわけ?!」

ああ、とチャン・ビンは再び嘆息した。
頭の中に纏まりかけた絵が、天の医官の大きな声で霧消する。
心から信用したわけではない。何しろ隊長の腹を刺し重傷を負わせておきながら、次はその傷を縫い合わせるなど。

それ程の医術を持ちながら、口を開けばあれが足りぬこれがないと言われても納得できない。
その手腕さえあればたとえ薬湯が足りずとも、救える命が幾つあるかと。
文句を言う暇があれば、患者の命を救う手立てを講じるべきではないかと。

何を考えているのか判らない。誼みを結び信頼しあえぬ限り、共に治療に当たる事は出来ない。
それでも迂達赤隊長が直々に迎えた天からの賓客である限り、粗末に扱う事もまた許されない。

「だいたい患者が病院に来ないって。私からわざわざ出向けとでも言いたいの?
いくらケガさせたからって。だったら入院すればいいのよ、入院施設はありそうだし」

部屋の中の天の医官はそう言いながら青い包みを乱暴に肩に掛けると、チャン・ビンの隠れている扉に向けて勢いよく向かってくる。

「全くふざけてる。何なの?敗血症なら生死に関わるのに!自分は強引なくせに、人の話は聞かないってわけ?!あのサイコ!!」

踝丈だったはずの白い下衣が何故か腿半ばまで短くなっている。
脚も露わなその恰好で、皇宮内をうろつくつもりなのだろうか。
その天の医官の様相に呆気に取られながら、扉影から身を翻す。

薬園を横切り出て行く天医の長い髪が、東空の光に赤く透ける。
小さくなる後姿に首を振り、チャン・ビンは置いていた薬草籠を再び手に取った。

 

 

 

 

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2 件のコメント

  • ウンスは 高麗時代の人からみたら
    宇宙人に見えたかしら
    言葉も、容姿も、服装も…
    刺激的。
    気になる存在には違いない。

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