吾亦紅 ｜ 12

私はもう一度先生を見た。先生は私を見て黙って頷く。
「モンケの命を受け先生の参内を求めて、ああして時折使臣が来る」

私じゃない。神医の先生を求めて。
現在の神医なら、無碍には扱われないはず。
私の時だってそうだったもの。
先生が乱暴には扱われないだろうと思うと、少しだけほっとする。

「先生は神医として華侘の意志を継ぐため、千年前に華侘が隠れた門が開くのを元皇帝の許しの下、この地で長く待っていた。
開けば門の先に行きたいと」

･･･つながった。
天門の話、華侘、そして門が開く話。
私が先生に手術器具やプロジェクターを渡すの？
それを先生が、この世界に置いて行く？

「そなたの事が、露見した」
ソンジンが突然そう言った。
「･･･どういう事？」
ソンジンに問いかける声が震える。

「華侘の後継者の劉先生が、初めて弟子を取った。それも女人だと」
「薬草摘みに行く前に、知ってた･･･？
だから離れて、あんなに怒った？」
ソンジンは、黙って頷いた。

「そんな」
「モンケは今、劉先生と共にそなたも欲しがっている。
未だかつて弟子を取らぬ先生の、初めての弟子だと」
「駄目！」
私は思わず叫ぶ。

「捕まるわけには行かないの、逃げなきゃ」
「落ち着け、ウンス」
ソンジンが私の肩を掴む。
「今は皇帝軍の兵がうろついている。下手に逃げれば、すぐ追手がかかる。
俺だけで、二手に分かれた先生とウンスは守れない」
「駄目なの、お願い」

ここから離れられない。今回こそ、離れない。
もう嫌、あの人のところに帰れる唯一の場所から離れるなんて出来ない。

「ウンス」
先生が、静かな声で私を呼ぶ。
「待つ方の元に戻りたいのは分かる。
しかし焦って薬草を干すばかりでは、良薬は作れない。
私が時間を稼ぐ。落ち着いて」

その言葉を通訳しながら、ソンジンも頷く。
「囚われの身にはさせない。約束する」

どうする。どうするの？
一人で逃げても逃げ切れない事は分かってる。
でも何も考えずに、天門まで走りたくなる。

理性では分かってるのに、焦ってしまってどうしようもない。
そんなんじゃ駄目。高麗で学んだじゃない。

後先考えずに逃げて、何度もあの人を傷つけたじゃないの。
必死に息を整えて。震える指を拳の中に握りこんで。
今出来るベストを探さなきゃ。

「これから、どうするの」
私の問いに、ソンジンが先生を振り向く。
「まずは使臣に会う。胡服に着替えて。
この行李の中に、入っているようだ」
その先生の言葉を通訳しながら、ソンジンが不安げに私を見る。
「大丈夫か、やれそうか」
私は頷く。
「それしか道がないなら、やるわ」
そうと決まれば、迷わないうちに。
嫌な事は早く片付けよう。
私は先生が差し出した行李の蓋を開ける。

海老茶と白の絹の胡服と髪飾り。
鏡や櫛、靴、そしておそらく紅と白粉。

困った。胡服なんて着たことないわ。徳興君との婚礼の時くらいよ。
キチョルの屋敷でもらった服も似てたけど。
私が振り返ると、ソンジンが気づいて寄る。
「着方は、チマチョゴリと同じだ」
そう言って、行李の中を一瞥して
「襦裙」
行李の中から、チマチョゴリのような合わせ襟の上着と、長い裳を取り出して
「帯で、裳の腰を縛る」
そう言って帯を引きずり出し、
「褖衣」
トゥルマギのような上衣をその上に載せて
「着替えてくれ」
その後先生に何か囁き、二人は外に出ていく。

私は上がり框の上で屏風を立て、その影で素早く着替える。
行李に入っていた、相変わらずほとんど映らないくすんだ銅鏡に向かって、髪を解いて、櫛で整えて。
ハーフアップにして上に冠をかぶって、後ろに笄を挿して。
その後に白粉を叩いて、紅をさす。
最後に行李から出した、絹を張った靴を履いて。

こんな時じゃなければ、メイクもドレスアップも嬉しいだろうけど。

「先生、ソンジン」
そう呼ぶと二人が薬房に戻ってくる。
私は上がり框を降りて、2人に向かって、ゆっくりと回って見せる。
「これで大丈夫？おかしくない？」
そう言って頭に飾った冠を手で押さえる。

先生が微笑んで、ソンジンに何か伝える。
ソンジンもそれを聞いて、ただ頷いて。
「おかしい？何？」
私がそう聞くと、
「いや」
そう言って、ソンジンが首を振る。
「天女のようだと、先生が」

天女なんかじゃなくていい。
あの人がいないのに、褒められたって嬉しくない。

待ってて、帰ったら自慢してあげる。
胡服まで着たのよって、教えてあげる。

お土産話ができたと思って、乗り切って見せるから。

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