吾亦紅 | 15

 

 

「先生」

ウンスは明日の準備の為に、早めに帰宅した。
ウンスがいなくなった後の薬房で、先生に向かって声を掛けた。

「分かっている、ソンジン」
先生は俺の顔を見て頷いた。
「春になればまた大都に戻りモンケの動向を探るはずだったお前が、ここに残った理由もな」
先生の言葉に、俺は目を逸らす。

「怖いだろう。ウンスの鍼を抜くのが」
黙ったまま、俺は頷いた。
「俺には医の心得など何もない。
俺のせいで、ウンスに何かあったら」

掌の汗を、衣の裾で拭う。
人を斬る時でもこんなに汗をかいたことは、今まで一度もない。

「人の命を預かるというのは、そういう事だ」
先生が静かに俺に告げる。
「お前にかかっている」

その言葉の重さに、俺はきつく目を閉じる。

翌朝。ウンスを迎えに、庵まで歩く。
日差しは眩しく、空気は胸に暖かく、道端には野の花が咲き乱れている。

道すがら、木立ちから洩れる光が斜めの縞を作る。
その中をウンスの許へ、一歩一歩。

「ソンジン、おはよう」
庵の門で待てばそう言って、ウンスが扉より姿を見せる。
どれだけ緊張に震えているかと思えば、拍子抜けするほどに明るい声だ。

「大丈夫か」
問う俺の声の方が、震えている。
「うん」
ウンスはまっすぐ俺を見て笑う。
「先生とソンジンを、信じてるから」
そう言って、笑う。
「行くぞ」
俺はウンスの前に立つ。

「先生、おはようございます」
ウンスが明るく薬房へと入る。
先生は上がり框に布団を用意し、その脇に静かに端坐していた。
「おはよう、ウンス」
いつもの通り、先生は微笑んで。

「これからだ。私が鍼を打つ。ソンジンは宿に向かい、使臣を呼んできてくれ。
詳しく言わなくて良い、ウンスの心が止まったとだけ。そのままここへ連れてきてくれ。
ウンス。鍼の後も、耳は聞こえる。ただし体は動かない。息も多少苦しいだろう。
そしてソンジン。
もしもウンスの息が完全に止まるようなら、私たちがまだここにいてもすぐに鍼を抜きなさい。良いな」

俺は先生の言葉をウンスに伝えながら、それぞれに頷く。
「ウンス。体が動くようになれば、薬棚から必要な薬をすべて持って行きなさい。そして書も」
先生が纏めておいた書の包みをウンスに差し出す。
「ありがとうございます」
ウンスが頭を下げる。

「さて」
先生はそう言い、一度大きく息を吐き、鍼を手に持つ。
「ソンジン。鍼の場所は二か所、三本だ。抜くのも、刺したのと同じ順で。良いな。
一つ目は、ここ」
そう言ってウンスの首の後ろ、盆の窪を差す。
「そしてここ」
ウンスの胡服の襟を少し開き、両の鎖骨の窪みを示す。
「ウンスに、伝えてあげてくれ」
俺がそれを伝えている間、ウンスは真剣な面持ちで俺の言葉を聞いている。

「分かった」
頷いたウンスは最後に床に正座し
「忘れません。本当に、ありがとうございます」
そう言って、先生に深く頭を下げる。
その後ウンスは自ら胡服の襟を開き、鍼を打ちやすいよう、肩まで襟を抜く。
そしてその体を布団に横たえ、目を閉じた。

昨日よりも、よほど掌が汗で滑る。
俺は先生がウンスの体を布団の上で横向け、一本目の鍼をウンスの盆の窪に刺すのを見る。
ウンスは目を閉じたまま、一度深く息をする。

二本目。体の向きを直し、仰向けにしたウンスの左の鎖骨に、鍼が入る。
その深さを確かめるため、俺はしっかり見つめる。
ウンスが、もう一度息をする。

三本目。右の鎖骨の窪み。刺さる。

ウンスの息が、聞こえなくなった。
同時に俺は、薬房を飛び出した。

宿に駆け込み、あの使臣に、ウンスの心が止まったと大声で伝える。
使臣は慌てて周囲の兵にそれを告げ、馬を駆って先生の薬房へと向かう。
俺は来た道を駆け戻る。

薬房に飛び込んだ時。
目に入ったのは俺が飛び出た時と寸分変わらぬ姿勢で横たわる、ただし真白な顔のウンスの姿だった。
俺は房内の兵を押しのけ、ウンスの横たわる上がり框にそのまま駆け上がる。
「どういうことですか、劉先生」
使臣が先生に詰め寄っている。
「突然の事だ。今朝まで元気だった。恐らく、急な心の発作でしょう」

先生は問い詰める使臣にそう告げる。
「薬房に来て急に倒れ、手を尽くしたが駄目だった。しかし私は参内を約束している身。
モンケ皇帝が待つ以上、遅れるわけには行かぬ。ウンスの葬儀はこの私の家人が行う。
私は戻ってから、改めて弟子を弔うこととする。それがあなたの望みでもあろう?」
そう言うと横たわるウンスを差し、使臣に告げる。
「疑うなら、ご自身で確かめれば良い」

使臣は騎馬民族の豪胆さで、横たわるウンスの腕を握る。
そんな風に触るな。
ここから見ても、明らかに硬直しているウンスの腕をしばし確かめた後。
使臣は次にウンスの口元へ、懐の短刀を抜き近づける。
息で曇らない事を確認してから、使臣は短刀を懐に戻す。

そして
「ではお弟子様には申し訳ないが、劉先生は私たちと共に来て頂けますね」
先生が無言で頷くのを見て、使臣は腰を上げた。

俺は先生の横につく。
兵たちが外に出たのを認め、先生の後ろにつき薬房を出る。

兵が馬車を用意している間、先生は小声で囁いた。
「ソンジン。私たちが見えなくなればすぐに」
俺はそれに頷く。
馬車の用意はすぐに整う。先生は乗り込みながら
「頼んだぞ」
そう言い残し、兵の手で扉は閉められた。

俺は馬車が見えなくなるまで、それを見送る。
馬車が地平線の丸さに呑まれた瞬間、薬房へ駆け戻る。

 

 

 

 

楽しんで頂けた時はポチっと頂けたら嬉しいです。
今日のクリック ありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

 

 

24 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    又もや命を懸けたウンス。
    今日、CDを聞いていて久し振りに和訳を見ました。
    바람의 노래 (パラメ ノレ)風の歌 の訳で
    「僕を捨てた世界が 僕らを引き離したとしても
    僕は泣かないよ 1つの愛 1つの思い出
    もう一度一緒になるんだ
    初めて出会った時のように」
    これが、吾亦紅の最後にピッタリと思ったの。
    本当は、もっと前から良い言葉があるんだけど、
    このお話には、ここが合うかと抜粋してみました。
    そして、切なくなりながら自分を励ましています。
    ひたすら、ウンスの幸運を祈ります。

  • SECRET: 0
    PASS:
    ソンジンもウンスに助かって欲しいと思っているから鍼を抜く時にたぶん手が震えるでしょう。それが影響が出ないようにと心配です。
    二人きりになったらソンジンの態度が変わってくるのか変わらないのか気になります。
    今夜もドキドキです。

  • SECRET: 0
    PASS:
    手はず通りに上手くいって!あ、でもちゃんと戻ってこれたのだから上手くいくのかな?
    でも、ここから二人っきりの時間が流れる…ヨンによく似たソンジン。
    少しだけドキドキします( ´Д`)=3
    また覗きに参ります(*´∀`)♪

  • SECRET: 0
    PASS:
    こんばんは!
    疲れました…(・_・;)
    なぜか?…
    自分が先生から託された訳ではないのに、鍼をさす順番をきちんと覚えなければいけないように…
    鍼を一本さす度に息を止めてて、
    さし終えた時には私の掌もソンジンの掌のように、汗でビッタリ…!
    過呼吸になりそう…(‥;)
    さらんさん、恐るべし(^-^;)です

  • SECRET: 0
    PASS:
    どうか。どうか。どうか。。
    すべてが うまくいきますように。。
    改めまして、こんばんは。
    まるで 映画を観ているかの如く 頭の中に場面が映し出されます。
    更新 楽しみにしております!!
    ありがとうございます。

  • SECRET: 0
    PASS:
    ウンス、運命の時がやってきたのですね。ソンジンも怖いだろうに、よくぞ、大役を引き受けてくれました。ありがと~。
    ウンスは、ヨンのもとに帰るため、本当に命がけでいたんですね。その想いの強さが明日への希望に繋がると思っています。

  • SECRET: 0
    PASS:
    ソンジ~ン、大役つとまるの~!
    天門でウンスを見送れるの~?
    色んな意味で物凄く緊張しますね(汗)
    それから、いつもコメントに返事を頂きありがとうございます❤
    お話同様楽しみですが、返事はムリしないで下さいね。お話の更新だけでも十分楽しませて頂いていますので♪
    ではでは、続きを楽しみにしてます!

  • SECRET: 0
    PASS:
    ウンスの命を掛けた苦肉の策。ウンスのそばには好意を寄せているのかとも思わせる不思議な男の存在・・・こんな緊迫した状況ですが私はすっごく安心してみていられます。だって前作の雪割草のメヒ妹言動のストレスが半端無く毎日、テマンよ早う妹を成敗せい!!!と毎日、心の中でぎりぎりしていました。
    テヒは去ったのに、私の中で毒気が抜けるのに随分かかってしまいました。
    テヒの毒はヨンでなくともかなり強いものでした・・・。
    ヨンに似た雰囲気を持つソンジンはヨンのご先祖様なのかしら。
    ウンスとお師匠様が今後どうなるのか気になります。

  • SECRET: 0
    PASS:
    こんばんは。
    暫く二次から離れていたので、取り戻す為にさらんさんの作品をもう一度(もう何度も(笑))始めから読み直してきました。
    やっぱりいいです。
    映像化。ヨンが、ウンスが、生々しく生きてる。
    読み進めていくうちに、どんどんトキが繋がっていきます。
    ドラマでは、ブツ切れだったお話が、少しずつ埋められていくような…。
    これからも楽しみにしております。
    ご自愛くださいね。

  • SECRET: 0
    PASS:
    >mayuさん
    こんばんは❤コメありがとうございます。
    ううう、切ない歌詞です・・・
    きっとこんな思いをするかもしれません。
    韓国語も勉強せねば。ハングルでの読書と
    字幕なしでの映画鑑賞が目標です!
    ヨンをモチベーションに、頑張ります(*v.v)。

  • SECRET: 0
    PASS:
    >あみいさん
    こんばんは❤コメありがとうございます。
    そうだろうな、手汗びっしょりです(;^_^A
    ソンジンは変わるのか、そしてウンスオンニは。
    全てを知る私としては、ここでぺろーっと
    ばらしたくなるので、ぐっと堪えます(x_x;)

  • SECRET: 0
    PASS:
    >ののさん
    こんばんは❤コメありがとうございます。
    そうですね、私も書いててあららららーと
    思うところが、ここからいくつか出て参ります。
    しかし、全ては向日葵に通ず。
    ここはもう、信じて進んで行くしか。
    そうです、ここで変わってしまっては向日葵に
    辿り着かないのでww

  • SECRET: 0
    PASS:
    >わいやーさん
    こんばんは❤コメありがとうございます。
    大変です!わいやーさまの手まで、手汗とは
    Σ(゚д゚;)
    わいやーさまの集中力に、感謝と心配が尽きませぬ。
    きらくーーに、読んで下さいませ❤❤

  • SECRET: 0
    PASS:
    >ゆかこうさん
    こんばんは❤コメありがとうございます。
    映像化、嬉しいです❤ヾ(@°▽°@)ノ
    惜しむらくは、こちらの話にヨンが出演していない事。
    回想シーンと、夢部分は、ミノ氏出演の
    豪華版でお願いいたします❤❤

  • SECRET: 0
    PASS:
    >ままちゃんさん
    こんばんは❤コメありがとうございます。
    そうですね。
    ソンジンは、怖そうです。
    私もど素人で、やれと言われたら怖いよなーと
    しみじみ思ってしまいました・・・
    済まぬ、ソンジナ。と、心で詫びつつ、
    お話はもうしばらく続きます(*゚ー゚*)

  • SECRET: 0
    PASS:
    >miiさん
    こんばんは❤コメありがとうございます。
    無理など全くしておりませぬよ(〃∇〃)
    却ってご心配いただき、本当に心苦しくなります。
    読んで頂けるだけでも嬉しいのに、こうしてコメまで・・・
    とっても幸せ者です。
    続きも、どうか楽しんで頂けますように❤

  • SECRET: 0
    PASS:
    >らいかさん
    こんばんは❤コメありがとうございます。
    師匠・・・意外なほどに人気を集めております。
    最初おじさんと呼んだウンスオンニも、
    後悔していることでしょうww
    しかしテヒ、ソンジン、師匠とオリジナルキャラが続き、
    そろそろ本キャラが懐かしくてならぬ最近の私。
    らいかさま同様【雪割草】は精神的にきつく。
    終わったら可愛いお話も書きたいですが
    その前に帰京最終篇がある・・・と
    いろいろ考えてしまう最近です。くぅぅ。

  • SECRET: 0
    PASS:
    >さゆさん
    こんばんは❤コメありがとうございます。
    うわぁ、最初から読んで頂いているのですか?
    恥ずかし嬉し(〃∇〃)
    かなり進んできたので、最初の頃の伏線のなかに
    今は明かされている事も、書いてあったりなかったりw
    とにかく、向日葵のヨンの決め台詞
    「俺を見くびるな」
    だけは、テヒの素足を見て、ウンスを連想したことで
    許してあげて下さいませ❤
    はいはい、見くびらないよ、とww

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらん様、こんばんは❤︎
    ウンスは、いざという時、とても男前なのを知っていますので、腹をくくって、「大丈夫」と、信じていると思っています。
    ソンジンは、気が気では無く、自分が針を抜かなければ、ウンスの命さえ奪ってしまう事になり兼ねない状況に緊張しているのでしょうね。
    いずれにしても、ウンスを大切に想っているのは、良く分かります。
    さらん様、いろんな事が気になって、ホントに目が離せません。
    しばらく聴いていない、ヨンのあの声❤︎
    今頃、何をウンスに語りかけているでしょうか?(^_−)−☆

  • SECRET: 0
    PASS:
    >夢夢さん
    おはようございます❤コメありがとうございます。
    夢で一言しか聴いていませんね・・・
    う、寂しい(ノω・、)きっと言っているのは
    俺は、此処ですくらいでしょうがww
    雪割草で語り、この後向日葵でも語るので
    このくらいで許しますが。
    状況は、この後いろいろと。
    もうしばらく、お付き合い頂けると嬉しいです❤

  • SECRET: 0
    PASS:
    朝から「ハラハラドキドキ」の展開で心臓に悪いわ(笑)
    しかしさらん嬢の妄想(笑)創造力は凄いね♪
    でもって、創造した事を描き出す筆の力も…
    ハラドキの続きを楽しみにしています

  • SECRET: 0
    PASS:
    >まあもさん
    こんばんは❤コメありがとうございます。
    朝からこれは心臓に悪いです∑(-x-;)
    妄想力はもう、お任せください(〃∇〃)。・*
    筆力はこの際、力技で捻じ伏せまする。
    この後、妄想最大値、羽ばたかせてご覧に入れます。
    あー馬鹿だこの子、くらいに見守って頂けると
    とっても嬉しいです❤

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です