【 送り火 】
「・・・久しぶりだな」
馬上の鞍から降りた山道、その手綱を取りゆっくりと上がる。
久しぶりだな、本当に。
足許の草の一本、頭上に伸びる枝の葉一枚に、胸の中で声を掛けながら歩く。
お前らの血を吸ったこの土、その土から生まれる命。
お前らの命を、守り切れなかった俺。
そんな罰当たりな俺にも等しく降り注ぐ、夏の光と蝉の声。
チュホンの背に積んできた荷の中、大きな酒瓶を取り出し、黙ったままで地面へと撒いていく。
水車だけがゆっくりと、低い音で回っている。
鷹揚隊が駆けつけた時には既に事切れていたお前らの最期を、 俺は詳しく訊こうとはしなかった。
お前ら二十四人を喪った、それを受け止めるのにいっぱいで。
これから先も訊く事はない。忘れる事もまた。
「来たぞ」
毎日のように立つ宣任殿の床に、酒を撒くわけにはいかん。
此処に王様が座り続ける限り、そして俺が守る限り、ここで喪った二つの命を忘れる事は決してない。
迷えば必ずここで訊くだろう。心の中で話しかけるだろう。
俺達家族の為に、そして俺の為に自ら刃の先に立った、あの二人の男たちに。
どうすればそれ程までに、迷わず道を貫けるのかと。
残された俺はどうすれば、その魂に報いれるのかと。
問うだろう、その在り方を。
乞うだろう、導いてくれと。
宣任殿の一面の窓を白く染める陽射し、漏れ聞こえる蝉声。
その中で今も問う、終に穏やかかと。
典医寺の薬園を、一人歩く。
あの方を訪うのではない他の理由で此処を歩くなど、滅多に在る訳もなかった。
脇に居らぬ小さな体を、今日だけは恋しく想う事も無い。
ここで喪ったその顔すらも、俺は殆ど判らない。
己の決断故に喪ったのに、その責すら取れぬ命がある。
だからこそ侍医、お前に託す。皆に詫びてくれ。
俺の所為だと詰って良いから。
典医寺の中、キム侍医の私室の扉へと真直ぐに向かう。
「キム侍医」
「チェ・ヨン殿」
「・・・部屋に、入っても良いか」
突然訪うた俺の問いに侍医は暫し無言で此方を見遣り、ゆっくりと頷いた。
「どうぞ、お好きなだけ」
「ああ」
静かに頭を下げ退室する奴の背を肩越しに確かめた後、眸を巡らせて室内を見渡す。
書棚、机、窓際にそして室内の互棚に並ぶ薬瓶や薬皿。
お前があの方に作ってくれた、命と引き換えに守ってくれた薬もあの時、此処に並んでいたのだろうか。
ゆっくりと部屋の中を歩く。その面影を探すように。
あの方は無事でいる。二度と離す事はない。
慰めにはならぬだろうが、それでもこうしてお前に誓う。
開け放った窓の外、薬園の木漏れ陽が眸に痛い。
「申し訳ありません」
卓の仏間の仏壇の前、母上と父上に頭を下げる。
本来であれば真先に、鉄原の菩提寺まで参らねばならんのに。
親不孝な息子だ。申し訳なさに顔も上げられん。
それでも秋には、必ず参ります。
佳き報せを持って、あの方と共に御二人に会いに。
母上。
お気に召すかどうかは判りません。風変わりな女人です。
それでも、どうか可愛がってやってください。
父上。
もう凍った湖に立つことはありません。ご存じでしょう。
父上は言って下さった。
春景色の中、一度も凍った事などないと。
御二人の御力で、これまで息災に過ごしました。
誇る事など少ない息子ですが、これだけはご自慢に思って下さい。
俺は御二人を見習って、必ず道を極めると。
母上が教えて下さったよう、最後まで優しく諦めず。
父上が教えて下さったよう、金を石の如く見ながら。
そして御二人のよう、最後までこの身の横のあの方を護ります。
数珠を掛けた手を合わせ、最後に深く首を垂れる。
どうか、無事にお帰り下さい。
開いた扉、縁側の向こう、庭に溢れる光が揺れる。
その中に響く蝉時雨が、高く低く押し寄せる。
余りにも喪い過ぎて、何処で送れば良いかが判らない。
天の上から少しずつ藍を深める、夏の夕暮れ。
宵の帳の迫る宅の門前、焙烙の上に送り火を点す。
迷わぬように。
恐らく皆一度くらいは様子を見に、立ち寄ってくれたろう。
その皆が帰り道に迷わぬように。
そして父上母上が、道に迷わずにお帰りになれるようにと送る火。
其々のお宅の残るご家族たちも皆、こうして送っているだろう。
あまりに早く逝き過ぎた父を、息子を、兄弟を、伯父叔父を想い、偲びながら送っているだろう。
惑わぬように。
大切な命を幾つも喪わせた俺が、二度と惑わぬように。
犯さぬように。
あの時のような判断で同じ過ちを二度と犯さぬように。
薄く暮れゆく夏の空気の中、炮烙の上の金の火が燃える。
「ヨンア」
あの方が門柱の影から半分だけ顔を覗かせ小さく問いかける。
「一緒に、いい?」
「・・・ええ」
共に回れば、この方を苦しめると思った。
思い出させるのが怖かった。
またご自分を責めれば、あの時のよう自分のせいだと言われれば。
誰の所為でもない。言うなら俺の所為だ。
それでも俺は振り返る事も、立ち止まる事も無い。
無駄にはしない。そう己を戒めるだけだ。
燃える金赤の光を目に映し、この方が小さな手を合わせる。
「また、来年」
「・・・はい」
「来年は、一緒に連れてって」
言い淀む俺に真直ぐ目を移し、揺るぎなく訊くこの方は強い。
「ちゃんと謝らなきゃいけないの。私も」
その時吹いた一陣の夏の小さな風が、炮烙の炎を揺らす。
炎がまるでこの方に首を振るように、右へ左へと揺れる。
謝る事など何もないとでも言いたげに。
そうだな。あの侍医なら言いそうなことだ。
あなたが謝る事などない、共に居られて幸せだったと。
トルベなら言いそうだ。
医仙は落ち込んだりせず、必ず幸せになって下さいと。
チュソクなら言いそうだ。
幸せですと。隊長の倖せを見られて自分は幸せですと。
そして、隊長なら言うだろう。
ヨン、迷うなと。お前が家族を、最後まで必ず守れと。
父上と母上ならおっしゃるだろう。
優しくあれ、強くあれと。
喪った者に泣くよりも、生きる者に尽くせと。
炮烙の上の炎が、その大切な皆を迷わず送ってくれるように。
祈りながら、金赤の炎を見つめる。
横で共にこうして、送ってくれる方がいる。
夕の西空の色、送り火の炎の色。
照り映える金赤の洪水の中、俺達は並んで眸を細め、暮れなずむその色の中で息をする。
今送る皆が守ってくれたおかげで、今日もこうして息をする。
忘れない。
来年、またな。
【 送り火 | 2015 summer request ~ Fin ~ 】

「送り火」
夏と言えば お盆です。
彼岸の向こうから お帰りです
個人をしのんで
また 送ってあげましょう~
えええ なんかテーマが暗い? (くるくるしなもんさま)
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