雲雨巫山 | 廿弐(終)

 

 

寝台のあなたの寝息が深く優しくなった頃。
隣で眸を開き、忍び足で降りる。

本気で気配を消せばこの方を起こすとは思えん。
それでも俺の気配にだけは驚く程に敏感な方だ。
丹田に力を籠め、息すら殺して枕辺の鬼剣を握る。
部屋を横切り、出入りの扉を細く開け、其処から庭へ滑り出る。

離れる訳ではない。三歩以上は離れない。
静かな旅籠の庭、肌寒い秋の夜。
黒い空に撒いたような銀の星明り。

庭先の石に腰掛け、遮るもののない空を見上げる。

ああして生き写しのテヒに遭ったのはつい先刻だ。
それでもその顔を思い出せん。
あれ程に似ていると、総毛立つ程、背筋が凍る程に似ていると、確かにあの時思ったのに。

それなのに今はまた、懐かしい影になった。
その髪の色。目の形。それ以外思い出せん。
愛おしかった。家族のように、妹のように慈しんだ頃の記憶がこの胸の片隅で、小さく息づくだけだ。

それは日の出と共に薄れて消える寸前の、曙月によく似ている。
夜になれば浮かぶかもしれん。形を変えながら。
そして朔の日には空から消える。

あの方は太陽だ。暖め、照らし、明るい道を示す。
影の長さで刻を教え、その色の濃淡で季節を伝え、けれど絶対に形を変える事は無い。
雲に遮られ雨に隠れる事はあっても、その向こうに必ず在る。
そして雲の切れ間から雨の合間から射せば、明るい気持ちになる。

月は俺を暖めぬ。そして陽はいつでも暖める。
そういう事だった。和尚様が知ればおっしゃるだろう。
あの柔和な笑みを浮かべて、それが摂理だと。

そして今のこの眸には、月を見てもあの方しか浮かばん。
その光に照らされて耳に届くあの静かな寝息。
その光が白い頬へ落とす長い睫毛の潤色の影。
ただその光があの方を凍らせぬよう、腕の中で護りたい。
だから俺達はあの墓所へと入る事は無い。
陽の光が届く処、空が見える場所で眠りたい。
天界の少しでも見えやすい処。あの方が淋しくない処で。

抱き締め合い、次は共に目覚めよう。明日の朝そうするように。

静かに石から腰を上げ、あの方の寝息の待つ部屋へと気配を殺して戻る。

開いた扉の隙間から滑り込めばその寝台の上に待つ方。
月に照らされ、雲の向こう雨の向こうに在る俺の太陽。

あれ程の渇望の後でも、静かに眠るこの方へ指を伸ばすには僅かばかりの逡巡が過る。
まるで夢の中で巫山の天女と契りを交わした楚の懐王か。

一枝紅艷露凝香
雲雨巫山枉断腸

その時天女は言ったという。
旦には雲となり、暮には雨となり貴方に逢いに参ります。

俺のこの方は雲にも雨にもならん。
明るく暖かくこの心を照らす陽だ。
巫山の天女よりも、余程肝が据わっている。

雲にも雨にもなる必要は無い。
まして形を変える月は、あなたの相手には相応しくない。

そして本物の天女を娶ったこの俺は、静かな息を聞きながら
その眠りを妨げぬよう、もう一度抱き締めるだけで精一杯だ。
天女の眠りを妨げてまで情を交わす度量は持ち合せん。

そうするには、この腕の中の天女は余りに愛おし過ぎる。

婚儀を挙げた後まで、まじないを唱えるとは思わなかった。
小さく繰り返す寝息、柔らかな暖かい躰を夜着越しに感じつつ苦く笑い、花の香の髪に鼻先を埋めた。

あなたが小さく何かを呟き、俺の体へと腕を廻す。
こうして眠っている筈なのに、やはりこの気配にだけは敏感だ。
「・・・眠れないの?」

腕の中、掠れた声が問い掛ける。
「はい」
髪に鼻を埋めたまま息だけで答えると、その瞳が月明りの中不安げに泳ぎ俺の眸を捉える。
何一つ心配などない。首を振り
「明日が楽しみ過ぎて」

その呟きに安堵したあなたの顔に浮かぶ三日月。
半分閉じられた長い睫毛に唇を落とす。
「明日は海まで」
「うん、行きましょ、ヨンア」

あなたは教える、その声で。

「・・・ええ。行きましょう、共に」

俺は応える、心から。

微笑んで頷き、また眠りに落ちる俺の天女。
儚く消えそうな程小さく、何処までも暖かい体を抱き直し、明日の朝共に起きる為に寝台の上で眸を閉じた。

海でも山でも、町でも邑でも。
あなたは自由に駆け回り、俺はそれを追っては懇々と諭し。
今生の終わりまで、そして次世は初めから。

あなたを抱き締め夢に見る。

生きましょう、共に。

 

 

【 雲雨巫山 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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13 件のコメント

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    さらんさん♥
    「新婚旅行編は予定していなかった」との当初のご予定を、多くの皆様のリクエストにお応え頂き、ありがとうございます。
    急遽、挟み込まれたテーマとは思えぬほど、練り込まれていて…毎度のことですが、一話一話を深い感嘆のため息をつきながら拝読させて頂きました。
    行きましょう。
    生きましょう。
    ああ…なんて粋な表現…♥
    まだまだ沢山のお礼と感想を申し上げたいのですが、福岡で調子こいたせいか、風邪をひいてしまいました。
    とほほ…。
    寒い夜が続いていますので、さらんさんもご自愛くださいね。

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    つくづく幸せだな~って
    思います。
    ようやく過去の暗い影も消えていきそう
    思い出の一つとして やって行けるかな。
    ウンスが居れば 大丈夫ね
    もう傷ついて 心を閉ざすなんてないわね~
    テヒとあって メヒとのことも話すこともできたので
    スッキリした気分かな?
    うんうん 
    やっと 心の底から しあわせになれそう
    ヨンと ウンス ともに生きて 
    幸せになって欲しい~

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    『雲雨巫山』完結お疲れさまでした。
    我儘な読者のリクエストに、応えてくださった、さらんさんに感謝いたします(^^)
    「行きましょう、共に」
    「生きましょう、共に」
    何て素敵な言の葉なんでしょう!
    R的な内容が描かれない、
    さらんさんの新婚旅行のお話に
    感謝いたします(^^)
    本当に素敵なお話でした❤

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    どうして
    こんなに、はまるのか?ずっと不思議でした、
    今わかりました。私が、満たされてないからです。ヨンがウンスに捧げる眼差しを
    旦那に求めながら、それは、娘にしか向かわない。
    私は娘や息子の世話焼きにしか、旦那に映ってない事に、私自身がやるせない気持ちを抱いていたんですね。その穴埋めにすっごくハマったんです(^.^)
    これからも私の満たされない心を、救って下さい(^.^)ヨン様(^.^)

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    当初予定の無かった新婚旅行のお話,とても楽しませて頂きました^^
    ありがとうございましたm(_ _ )m
    メヒの妹テヒのその後も気になる所ではありますが,少しでも救われていると良いなと思います。
    ウンスが親に二度と会えない,天涯孤独の身とは知らなかったみたいですしね。
    チェヨンのお墓がある,崔瑩将軍祀堂,ここは多分先祖代々のお墓では無いですよね。
    柳夫人と一緒に埋葬されているのかな。
    現世も来世も共に生きる二人ですね。
    あっ,前話のウンスのお腹を触っちゃうヨン(〃∇〃)
    可愛かったです( ´艸`)
    又新章のお話,楽しみにしていますね♪

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    さらんさん
    素敵な新婚旅行編ありがとうございます。
    これからも2人一緒ならどんな問題も乗り越えていけますね。
    それにしても、チェ・ヨンは最高の男性ですね!改めて惚れ直しました~。

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    ~あれ程の渇望の後でも、静かに眠るこの方へ指を伸ばすには まだ僅かばかりの逡巡が過る。 まるで夢の中で巫山の天女と契りを交わした楚の懐王か。~
    アァ・・・、自分の体が何か分からないものに締め付けられたような気になる、なんて官能的な言葉! さすがサラン…さん!
    今までも、ヨンとウンスは心の旅をしてきましたが、「雲雨巫山」で、二人の絆は強くなり、これからの困難も、二人で乗り越えていくのだなぁと顔がほころびました。
    ~行きましょ、ヨンア~
    ~・・・ええ。行きましょう、共に~
    ~生きましょう、共に。~
    サラン…さんのお話、ずっと追いかけていきますよ。

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    さらんさんおはようございます。
    ヨンとウンス
    お互いの大切さをますます噛み締める
    旅になりましたね。
    テヒのそういう
    生き方しか出来ない哀しい気持ち
    ヨンの態度は姉を愛した時も変わらなかった
    のは解っているが憎む相手が必要
    ヨンは解っていて憎まれてやる。
    深い愛情
    ウンスはなかな理解出来ないでも
    ヨンを信じてる。
    ヨンが闇を我慢しているのが
    笑い(ほっ)を誘いましたわ。
    素敵なお話ありがとうございました。(*^^*)

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    すてきなハネムーンをありがとうございました。
    修羅場あり⁈のハネムーンでしたが二人の心が変わる事なく凛としていてかっこよかった‼︎
    ウンスの食べたものが何処にいったのか真剣に考えてお腹をさするヨンも可愛くてたまりません。
    生きましょう、共に。
    最高にシビれました。
    いい言葉です。

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    さらんさま
    巫山の夢に現れるのは誰か、少し怖かったのです。でもそんな考えなんて軽すぎました。
    ふたりが共に眠る永久の、必然と、誓い。。。。
    本当に
    読ませて下さってありがとうございます。

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    なんか、様々なことが美しすぎて涙が出ました。
    文章の、言葉の、深さ響き美しさに。
    2人の絆の、深さ美しさに。
    さらんさん、凄すぎます(*^^*)

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    さらんさん、こんにちは♪
    またまた素敵なさらんワールドをありがとうございます。
    過去、これから、
    すぺての事を 抱き締めて乗り越えていくであろう二人の姿思い浮かびます。
    イチャイチャしてる二人も嬉しいわぁ(〃ω〃)
    行きましょう、共に。
    生きましょう、共に。
    心に染みて、涙が出てきてしまいました。
    さらんワールド、最高っ!
    まだまだ寒いので、お体に気をつけてくださいね。

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    地上の愛で、これ以上のものがあるでしょうか。。
    テヒを登場させることで、お互いがお互いをどれほど深く愛しているかをさらに際立たせ、読む者に人を愛するとはというさらんさんの永遠のテーマを問いかけてくださいました。千万の思いを込めて語られるヨンのウンスへの愛は、どこまで深められていくのでしょうか。
    この二人がこれから歩む道のりが幸あれと祈るばかりです。二人の絆は永遠。いつの時代にも語り継がれていくであろうと思わせるLOVE STORY。。
    いつまでも、いつまでも読み続けたいと思わせるさらんさんの作品です。
    ありがとうございました。

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