仙果【後篇】 | 2015 summer request・桃

 

 

だいたいしか分からない、私の体内時計が頼りの10分後。
「ヨンア」
縁側に並んで腰掛け、痒みも違和感もない唇を突き出してみる。

「赤いとか、腫れてるとか、ある?」
突き出したせいでしゃべりにくいその唇をじっと見た後、耳を赤くして目を逸らして首を振ると
「いえ」
あなたはそう唸る。そっぽを向いたまま。

「じゃあ、食べてみる」
「新しいものを」
「ううん、それでいい」
さっき唇をつけた、あなたが齧った桃を目で指してそう言うと
「・・・・・・」

齧りかけの桃を見て溜息を吐き、あなたはその指先ごと私の口元へ運ぶ。
ほんの少しだけ齧り取って、口に含んでみる。
舌も痒くない。まずいとか苦いとか、刺激を感じるとかの違和感も。
ただ普通においしいだけ。
「ちょっと、持たせて」

あなたが持ったままの桃にそう言って指を伸ばすと
「痒くなったら」
あなたが桃を私の指先から遠ざけて首を振る。
「反応するなら指より唇とか口腔の方が敏感なのよ。
粘膜だし。そこに触れて痒くならないんだから、毛が理由だった気が」

それでも頑なに桃を渡さないあなたに笑って、
「じゃあ食べたくなったら、あなたがあーんってしてくれるの?赤ちゃんみたい」
「・・・構いません」

あなたはそっぽを向いて言った。
「喰いたい時は、口を開ければ入れます」
「あら」
「喰って痒みが出ないならの話です」
「・・・優しいんだから」

恥ずかしくて、嬉しくて。
でもそこまで私の変調を怖がるあなたがちょっとだけ悲しくて。
愛してる人の体は、自分で分からない分、もっと怖い。
医学に限界があるこの世界なら、神経過敏になるわよね。
愛してる人の痛みは、分け合えない分自分の痛みよりつらい。
自分の事よりも一生懸命になる、その気持ちがわかるから。
元気でいなきゃ。心から本気でそう思う。
自分よりも大切なあなたのために、心配かけちゃいけないなって思うのよ。

「ねえねえ、ヨンア」
「はい」
「あなた、私が作ったものや、タウンさんが作ってくれたものに一言も文句言ったことないけど」
「ええ」
「嫌いな物って、ないの?食べ物の好き嫌い、これは苦手とか」
「あります」
「あるの?」
即答で返されて、少し驚く。
「何で今まで言わなかったの」
「・・・御存知だと思っていました」

あなたは隣に座る私の顔を覗き込むみたいに見た。
「え?」
「いや。供されないので、御存知なのかと」
私が出さないもの、タウンさんにも出さないでってお願いしてるもの。
「・・・キュウリだ」
「はい」

あなたはおかしそうに、少し声を低くした。
「知らぬのに、出さなかったのですか」
「そういうわけでもないんだけど」
私は首を振って言った。そういうわけじゃないけど、確かに出さなかった。
単純に、この人があんまり箸を付けないから。
「食べないから、やめとこうって思ってたの」
「はい」
「大丈夫!キュウリ食べなくても、他に補えるおかずはあるし」
「妻が医官だと頼もしい」

くすっと笑いながら、あなたが言った。
「それより、痒みは」
「あ」

改めて聞かれて、自分の脈を計ってみる。異常なし。
喘鳴も動悸ものどの腫れも、もちろん吐き気や蕁麻疹も。
「全然問題なし」
「では、やはり毛ですか」
「うん、きっとそう」
「痒くなった事はなかったと」

あなたは縁側を立って桃の木の下まで歩くと、木漏れ陽に透かすみたいにその実をじっと見つめた。
「うん、多分鮮度の違いなのよ」
「鮮度」

木を見上げてたあなたが、そこから縁側を振り向いた。
「時間が立つほど、毛は抜け落ちるでしょ?それに先の世界だと農薬とかもたくさん使うから、今の桃とは違うだろうし」
「捥いだらすぐ喰うものではないのですか」
「うーん、流通の問題もあるだろうけど。スーパーで買う桃は多分収穫して何日も経ってるし。
第一青いうちに収穫して、熟してから売るらしいし」
「不味そうだ」

眉をしかめたあなたに吹き出しながら、私は頷いた。
「こんな風に木になってるのをもいで食べるのは、最高の贅沢よ」
「・・・成程」

でもわかる。その顔でわかっちゃうのよ。
いくら新鮮でおいしくても贅沢でも、どんな優れた薬効があっても、私が痛がったり痒がったりする果物は困るって思ってるのが。

過保護なのよね。大人なら自分の体調は自分で把握するし、体がおかしいと思えば食べるのをやめるじゃない。
そんな風に甘やかすから、私がどんどん調子に乗るのよ。
自分の事より大切にしてくれるから、怖くなるのよ。
無理させたくなくて、考えさえたくなくて、泣きたくなるのよ。
親以外にそんな風に想われたことも、大切にされたことも、今まで一度もなかったから。

誤魔化すみたいに前髪を指先で直して、私は大きく息をする。
「だから、きっと大丈夫。桃に触る時は、そうねぇ」

そう大袈裟なくらい、元気に笑って見せる。
泣いたら心配でしょ?どうしたのかって、私より慌てるでしょ?
そんな風に思われたくないの。大丈夫だって、思ってほしいの。
親以外にそんな風に思ったことも、大切にしたいって願ったことも、今まで一度もないから。

「手袋でもするわ」
「手袋」
「え?ほら、寒い時とかにする、手に嵌める」
「ああ」
あなたがようやく、分かったみたいに頷いた。
「手套ですね」
「そうだと思う。それで手を守るわ。本当なら医療用の使い捨てのラテックスの、滑り止めつきのがあれば最高だけど」

私の贅沢な望みに、あなたが目許を緩める。
「家に居る時は俺が剥きます。典医寺では他の者に頼んで下さい」
「そうやってまた」
「あなたは喰うだけで」

そう言って桃の果汁でベタベタの手を振ると、それをすすごうと井戸に近寄って行くあなた。
「ヨンア!」
私の大声に驚いたみたいに足を止めて、夏の光の中で立ち止まる。
「・・・はい」
「種!」
「は?」
「桃の種、どこ?」

2人で食べ終わった桃の種を、指先で上げて見せるあなた。
「それがメインだから!」
「種が」
「そう。桃はね、種が婦人病にもいいの。それに葉っぱも花も使える。ただ杏と違って、お酒には出来ないけど」
「そうなのですか」
「うん。古くなると効能が落ちるから、手早く使うのが効果的なの。
今の時期のものだから、出来る限り媽媽にお出ししたいし」
「・・・まさか」
「え?」
「俺達が実を喰い終わったものを、畏れ多くも王妃媽媽に」
「食べるって別に、種までしゃぶるわけじゃないし。実から外して取っておいて、洗って割ってからだから」
「だからと言って、そんな」

頭が固いのよね。融通も利かないし、口数は少ないし、気は短いし。
ほんとにあのチェ・ヨン大将軍なのかしら。

ああ、桃を食べて仙人みたいに長生きしたいな。
不器用なこの人を、一人ぼっちで残したくない。
そんな事になったら、死んでも死にきれないわ。
「・・・イムジャ、聞いていますか」
うんうんって頷きながら庭の向こう、井戸の傍のあなたを見つめる。

今が盛りの、あなたが作ってくれた私たちの小さな庭。
茂った葉っぱや薬草や花の中、こっちを向いて困ったみたいに首をかしげて立ってるあなた。

背の高い人が好き。低い声の人が好き。
真っ直ぐな姿勢、広い歩幅、大きな掌の人が好き。
そして私だけ甘やかしてくれる人が好き。

あなたが好き。いつだって、あなただけが好き。
「ねえ、ヨンア」
「はい」

私の声に、必ず言葉を返してくれる人が好き。
傍にいないと思ってるのに、呼んだら必ず返事してくれる人が好き。
「桃いっぱい食べようね、一緒に」
「はい」
「仙人みたいに長生きしようね、一緒に」

あなたはきょとんとした後に、光の中で、ゆっくりゆっくり笑った。
不器用な笑い方の人が好き。嘘じゃなく、嬉しい時に笑う人が好き。
「・・・はい」

あなたは先の世界であんな有名なチェ・ヨン大将軍だけど。
たとえ私は歴史を変えても、あなたを殺させたりしないから。
だから長生きしよう、一緒に。一人で残したり絶対しないから。

涙で熱い目許をまばたきで誤魔化して、嘘つきな私はまた笑う。
私が、絶対に守るから。だから長生きしよう、2人で一緒にね。

でも泣きそうな私を知ってて、それを見て見ぬふりしてくれるあなたも、本当は少しだけ嘘つき。
嘘つきな私たちはお互いに、困ったみたいな笑顔を浮かべて、夏の庭で、少し離れて向かい合う。

どうしよう。

隠してる涙がばれたら、桃の毛が目に入ったとでも言う?

 

 

【 仙果 | 2015 summer request・桃 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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5 件のコメント

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    読んでて、なんか、涙が出てきたよ~…>_<…
    何でだろ。でも、こんな夫婦っていいよね。
    私の家系は結構短命な方で、うちヨンの家系は長寿!
    間違いなく私は先に逝くように思えて‥‥なんか切なくなっちゃった。

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    さらんさん、甘く切ないお話をありがとうございます。
    大事な人に、大切にされているって、嬉しいだけでなく、切なくもなるのですよね。
    いろいろなものが品質改良され、野菜も果物も昔よりもずっとずっと、甘く、美味しくなっているかもしれませんが、ヨンが捥いでくれた新鮮な桃に勝るものは、どこを探しても無いでしょうね。
    何を食べたか、では無く、誰と食べたか…が重要なことで…。
    さらんさん、夏リク話企画の後は、ぜひ秋リク企画をお願いします。
    我儘だとは思いますが、いつも、いつまでも、さらんさんのお話に会いたいのです❤︎

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    栄養豊富な桃を二人で食べて、うんと長生きしてほしいですね。歴史変わってもOKですよ。
    ちなみに桃の葉ローションは肌荒れに効果ありますよ。

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    はじめまして。
    いつも素敵なお話を
    読ませていただいてます。
    このお話、とても素敵です。
    何度も読み返してしまいます。
    ヨンの気持ちを想うウンス、
    いじらしいのに大人だったり、
    大人なのにかわいらしかったり。
    相手を想って素直になれない優しさも、
    胸がきゅっとなります。
    素敵なお話、ありがとうございました!

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