雲従龍 風従虎 | 9

 

 

「部屋を出ろ」

アン・ジェと国境隊長の訪いを受けた後。
部屋の椅子に腰掛けた医官に向かい、そう告げる。
「迂達赤隊長さま」
「熱も下がった」
「せめてあと一晩は無理せず、横に」
「出歩きはせん」

頑として聞き入れぬ俺に呆れるように息を吐くと
「では、膏薬を貼りかえる時刻にまた参ります。
何か変わった事があれば、すぐにお呼び下さい」
医官は諦めたように治療道具を収めた箱を引き寄せ、そう言うと椅子から腰を上げた。
「無理を言って悪い」
「いえ、とんでもない事です」
そう言って深く一礼すると、医官は苦笑して部屋を出た。

部屋の扉が閉まるのを確認し、布団の上に身を起こす。
横になりすぎたせいか。体の節々が重く怠い。
そのまま布団を出て横の床上に移り、結跏趺坐を組む。

大きく深く息を繰り返す。
息を深く肚へ入れ、丹田へ気を溜め、残りの息をゆっくりと細く平たく長く吐く。

雑念だらけの心が少しずつ静まっていく。
もう何を考える事もない。
ただこの息にだけ集中し、浮かぶ真白い明るい光の方へ、導かれるように進む。

最後の息を静かに吐き切り、目を開ける。

運気調息前には重かった頭も怠かった体も僅かに晴れた。
ただこの身に残る凍った傷跡だけは引き攣るように痛む。
面倒なものを残していったものだ。
それに舌を打ち、横の布団へとごろりと戻る。

焦るな。
それだけ思い目を閉じる。

トルベたちの葬儀ももう終わっただろう。
閉じた瞼の裏に、あいつの最期の微笑みが幾度も浮かぶ。

馬鹿野郎。最後の最後に俺に背きやがって。
馬鹿野郎。自分の頭さえ満足に庇えんくせに。
お前は本当に。お前らは本当に。
本当に最期まで、最高の部下だ。

悔しければ二度と同じ過ちを犯すな。
全ての奴らをこの手で守れるほど強くなれ。
そして奴らを強くしろ。

肚から深く息を繰り返し、己へと言い聞かせる。
これから先、お前らを喪った迂達赤をもう一度鍛え上げる。
残った奴らのために、俺は泣き言など言ってはいられない。
俺は立ち止まらない。お前らの残した想いを忘れない。
それがお前らの願いだと信じて、この背に負って進む。

翌朝。
私室として割り当てられた部屋の中にいた俺は、扉を抜けてきたその姿に慌てて椅子から立ち上がる。
「・・・・・・おい、此処で何している」
ようやく絞り出した声にその人影は此方へ目を当て、無言で卓向かいへどさりと腰を下ろした。

昨日まで布団で寝ていた奴が、今日は平気な顔でこうして起きて、歩き回っていやがる。
「皇宮へ帰京の報せは出したか」
ぶっきら棒な声で目の前で呟くチェ・ヨンに頷き
「あ、ああ、昨日お前に言われてすぐにな」
「そうか。で、いつ発つ」
「明日の早朝だ」
その声に頷くと、チェ・ヨンは懐から文を一通取り出した。

「では話は早い、これを王様にお渡ししてくれ」
そう言ってその文を卓の上、俺の方へと滑らせた。
「わかった」
そう答え、そのまま文を懐へと仕舞い込む。
「アン・ジェ」
「何だ」
「昨日言ったな、謀反の件は一息ついたと」
「ああ、奇轍は死んだ。徳興君は元へ逃亡した。
これでしばらくは静かだろう。奇皇后の出方は別としてな」

その返答にまっすぐ俺を見つめると、チェ・ヨンは首を振った。
「傷が治り次第、北方の郷土奪還を開始する」
「何だと?」
「最終的には双城総管府を含む北方、そして鴨緑江西方の高麗郷土、全てを奪還する」
「待て、ちょっと待てよ」
「その文を王様に渡せ。王様からお話があるはずだ」
「お前何だって、今ようやく穏やかになったところでそんな」
「形骸化した征東行省を落とすのとは訳が違う。
双城を落とす時には、奴らも死ぬ気で応戦してくる」

そう言って息をつき
「奪還する必要がある」
短くそう言うチェ・ヨンに唯ならぬものを感じ、俺は黙ってその目をじっと見つめる。
「何があった。何をそんなに焦っている。
覚えてないなら思い出させてやるが、お前は先日まで半死半生だったんだぞ」
「郷土を奪還して何が悪い」
「そうではない、奪還が悪いとは言っていない。
何をそんなに焦っているのかと訊いているんだ」
「聞くな」
「そんな訳に行くか。訊いておかねば援護もできん」
「好機だからだ」
「だから、何の好機というんだ」

ああ、面倒だと眉が寄る。全くチュンソクが懐かしい。
何も話さずともこの肚を読み、先回りして手を打つあいつが。

征東行省が落ちた今、元の推進力が落ちた今が好機なのだ。
国内で反乱が頻発し、トゴン・テムルが覇権と跡目争いで政を留守にしている今が、奪還の絶好の好機なのだ。

そして俺の立場からすれば、この天門近くに四六時中張り付いているわけにはいかない。
あの方が戻る時少しでも安全でいられるよう、まずこの領地一帯から元の力を完全に排除しておかねばならん。

チュンソクなら言外を汲み取り、苦く笑み即座に動くだろう。
まだまだアン・ジェではそこまで動けん。
そして会ったばかりの国境隊長では到底無理だ。
しかしこれから先、チュンソクなしで動くことも多くなる。
あいつは王様のため、皇宮に残らねばならん。
こうなるたびにトルベが、チュソクが懐かしい。
あいつらの不在の穴が、これほどにでかい。

俺は立ち止まらない。お前らの想いを忘れない。
この高麗を良くすること、強くすること。
皆が笑えること、そして幸せになること。
命を懸けて戦い、大切なものを護ること。
それがお前らの願いだと信じ、背に負って進む。
「文を王様に。あとは王様のご決断を待つ」

そう言って、俺は席を立った。
「ではな」
そしてまだもの言いたげなアン・ジェを残し、部屋を抜けた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    さらんさん、お話の更新ありがとうございます。
    ヨンをはじめ、登場人物が男だらけの今シリーズ、映像を思い浮かべては、いい気分に浸りながら拝読させて頂いています❤︎
    ヨン、これからいよいよ戦闘体制に入るのですね!
    本心はウンスのために…ですが、きちんと名分も立てるところが、デキる男という感じでステキです。
    さらんさん、GWに突入です。
    そちらも、いつもの週末以上に賑わうでしょうね。
    できるだけ、ゆるりとお過ごしください。

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