雲従龍 風従虎 | 7

 

 

隊長一人が奇轍を追ったという話を聞いてからずっと。
隊長に限って何もないと信じてても、肝心な時に何もできない自分に腹が立っていた。

隊長はこうして、戻ってきてくれた。
なのにその横に、医仙だけがいない。
一番いなきゃいけない医仙だけがいない。

北方に来て隊長を見つけたトクマンと別れた後、俺は一人、国境隊兵舎に飛び込んだ。
急いで片づけて、一刻も早く隊長に会いたい。
トクマンに言われたことを国境隊長に伝えて、天門へと向かった。

雨の後の晴れた朝なのに、あの奇轍は凍ったまま、天門の前、地面に膝をついて死んでいた。

死を馬鹿にするのだけは許されない。
例え花でも魚でも死んでしまえば悲しい。
山で川のたまり水に白い腹を見せて浮かんだ魚や、日の当たらない木の影で茶色く首を垂れた花を見ては思っていたはずなのに。

でも、やっぱり目の前で目を見開いたまま、天門を見つめ続けるこいつだけはどうしても、どうしても許せなかった。
こんな男のために何人も大切な仲間が死んだと思うと。
例えトクマンに何を言われても、たとえ死んだ後でも、その顔に唾を吐きかけて、ぶん殴ってやりたくなった。
このままここに野晒にすればいいと、思ってしまった。

こいつが天門にいるってことは、きっと医仙もここまでは一緒だったはずだ。
そのために火女が、あの時隊長の部屋に来たはずだ。
そして奴らに連れ去られたはずなんだ。

「医仙!」
国境軍の皆が奴の体を筵に包みそこから運んでいく間、
「医仙、いませんか!」
俺は天門の回りを、その名前を呼びながら探す。

まだぬかるんだ地面には、鳥や兎の小さな足跡だけで、人の足跡は一つも残っていない。

「医仙、どこにいるんですか」

そう訊いてみたって、もちろん声は返らない。
俺がいればどうにかなったかもなんて思うのは、 図々しいかもしれないけど。

だけどどっかで呼んでる気がするんだ。
すぐ帰るから、それまで隊長のことを頼むねって、あの目で、あの声で、言ってる気がするんだ。

チャン侍医の解毒薬がなくなっても、顔を上げて新しい薬を作ろうとしてた医仙が。
チェ尚宮様の前で泣きながら、隊長が心配だって言った時より、もっと悲しい声で。

大丈夫だ、医仙は帰って来る。
きっと帰って来ると、隊長が信じる限り俺も信じる。
そして帰って来るまで、俺は、みんなと隊長を守る。

難しいことなんてない。今まで通りだ。
一人で背負って重いなら、少しずつ分け合えばいい。
そしたら、少しは軽くなるだろう。
口下手な隊長だから、話してはくれないだろうけどそれでも俺も、みんなも隊長のそばにいる。
それだけが、俺に、みんなにできることだ。

 

部屋へ担ぎ込まれ、布団に背がついた途端に熱が上がった。

業が負わせた傷、札で抑えていたと、あの老師は言った。
せめて体が上がれば、結跏趺坐を組み運気調息ができる。
それまでは暫しこうして、休むしかないという事か。

国境隊の医官の薬湯を飲むが、一向に熱が下がらぬ寝室の廊下。
押しかけている様子の見舞いの奴らが口論まで始めそうな、険悪な気配が漂ってくる。
お前ら、地上の医官にあの方と同じ治療を望むなよ。あの方は特別なんだ。

熱に浮かされながら、胸が苦しくなる程に恋しい方を心の中で呼んでみる。
イムジャ。
最後にあの丘で眸で追った、振り返る悲しげな瞳を、風に吹かれて散る涙を思い出す。
同時に朦朧とした頭に浮かぶ、老師に渡されたあの瓶。
あの方はここまで知って、そうしてくれたのだろうか。
ただそれだけのために幾度も天門を超え、此処で逢えるまで彷徨っているのだろうか。
それならば早く見つけてやりたい。
もう一度あの小さな手を掴み、もう何処にも行くなと、腕の中に捕まえておかねばならない。

俺は此処にいる。早く戻って来い。

枕元に畳まれた着物の上、置かれたあの薬瓶に手を伸ばし、蓋を開けると白い粒を振り出す。
それを迷わず口に放り込むと、噛み砕いて飲み込んだ。
胸の中に浮かぶ泣き顔がようやく少し笑んだ気がして、上がった熱で熱い息を深く吐く。
あなたを悲しませるわけにはいかん。例え夢の中でも。

 

「熱は下がってきています」
三日目に隊長を診察した国境隊の医官が言うのを聞き、部屋の前の廊下に集まる俺たちは一斉に息を吐いた。
泣き出しそうに俯いた、テマンのその肩に手を掛ける。
隊長の客分扱いで一緒に兵舎に滞在するシウルもチホも、俺と目を見交わしてやっと安心したように頷いた。
「本当か!」
アン・ジェ隊長が掴みかかる勢いで医官へ改める。
「はい。この後は腎虚への鍼も打てます」
続くその医官の声に
「王様に直々にお言葉を頂いている。チェ・ヨンの治療は金に糸目はつけるなと。必ず治せ、良いな」
そのアン・ジェ隊長の声を追い、
「高麗の宝、王様の宝と評判の方だ。鍼でも薬湯でも膏薬でも何でも使え。足りねば近隣からでもどんどん買い集めろ」
国境隊長が医官に告げる。二人の隊長のその言葉に、医官は深く頷いた。

 

幾度も幾度も、扉が細く開く。
室内を覗いた訪問者たちは、医官に睨まれ頭を引込める。
扉は医官の手で再び静かに閉められる。

これではおちおち眠ってもおられん。

横に控えている医官に
「国境隊長とアン・ジェを呼べ」
そう伝えると医官は、困ったように首を傾げる。
「せめてあと一昼夜、静かにお休みを」
「会って、一晩放っておけと伝える」
「・・・畏まりました」

このままでは碌に休めぬと分かっているのだろう、頷いて、医官は席を立った。
医官に伴われ、すぐに二人が部屋へと入ってくる。
その訪いの早さからして、こいつらも外にいたに違いない。

「迂達赤隊長」
「チェ・ヨン、もう良いのか」
「ああ。だから放っておけ。兵にもそう言え」
「判った。王様にお報せの早馬は出してある。これでようやくこの謀反の件、一息ついたな」

アン・ジェがそう言い、安堵の深い息を吐いた。
「徳成府院君の遺体は凍ったまま皇宮へ運んだぞ。この時期というのにまだ溶けもせん。あれは一体」
「氷功だ」
宣任殿でトルベに放ち、最後に丘でこの俺を撃ったあの氷功。
奴が如何に強力な氷功遣いとはいえ、今までと比べ強すぎた。
何か仕掛けをしていたのだろう。薬でも含んだのかもしれん。

天すらもその手で変えると豪語した男。
王様の御前で俺に王になれと迫り、俺の大切な部下を悉く奪い、最期は土に還ることもできず、凍って絶命した。
牢で叫んだその飢え故に、この世の贅の極みを尽し最後はその飢えに呑まれて、自ら滅した男。
心が欲しいと言いながら、それを集める徳を持たなかった男。

知らぬ者こそ、憐れなのだ。
あの洞で聞いた老師の声が木霊する。

しかし征東行省で、あの毒使いと共に王様への謀反を口にした。
その罪はたとえ骸であろうと負ってもらう。
さもなくば元の許へと逃げ込んだ、あの毒使いに示しがつかん。
王様へ反旗を翻すものは誰であろうと断罪に値する事を、この世の隅々にまで知らしめねばならん。

欲に凍った体で意のままに牛耳ろうとした皇宮に戻り、屈服させようとした王様のご英断で裁かれるが良い。
その首を落とされて、街道で民の前に晒されるが良い。
俺の部下を弑しあの方を無理に連れ去ったその罪は、例え通りすがりの民がどれほど石を投げようと消えん。
永遠に俺の、そして迂達赤の心中に恨として刻まれる。

元に隠れる毒使い、物陰から怯えながらそれを見ていろ。
あの方に二度も毒を含ませただけで飽き足らず、王妃媽媽まで手に掛け、未来の国を背負う大切な方を喪わせ、畏れ多くも王様の御心をたとえ一度とはいえ挫いたその罪。
お前には、あの男のような楽な死に方はさせん。自分の欲に負け、事切れる事など絶対に赦さん。次に会えば必ず、この手で一寸刻みに斬り刻む。

「ところで」
俺の言葉に、目の前の二人が此方を覗き込んだ。
「お前らを呼んだのは他でもない。アン・ジェ」
「何だ」
「皇宮はどうだ」
「目の上の瘤が纏めて消えた。静かなもんだ」
「すぐに戻れ」
「何だと」
「この後、奇轍への沙汰が下る。まだ奇皇后は残っている。
死後とはいえ、あの皇后の満足いく処分になるわけがない。
今すぐ皇宮へ戻り、万一に備えて王様を守れ」
「おいおい」

苦い顔でこの声を止めようとするアン・ジェを無視し
「国境隊長」
「はい」
「俺の為に、周辺の薬を買い集めたりしていまいな」
「・・・は?」
「そんな事をすれば薬の値が吊り上がる。そうなれば民が困る」
「じ、実は」
「すぐに中止しろ。余剰があれば市の薬房へ配れ」
「は、はい」
「元の奇皇后が何か企めば、この北方基地が最前線だ。
民が疲弊していては被害が増える。
兵の分だけは必ず確保して、残りは民へ戻せ。いいな」
「はい!」
国境隊長が深く頷く。

「じゃあ」
そこまで伝えて息をつく。これだけ話すだけで今はまだ辛い。
「もう寝かせろ。明日まで誰も寄越すな」
「・・・わかったよ」
「お言葉、承りました」

俺が目を閉じると奴らは足音を殺して扉を抜け、部屋を出た。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    さらんさん、今宵も素敵なお話をありがとうございます。
    さすが隊長、言うことが違います。
    これでまたまた、ヨンの男ファンが激増ですね!
    ああ、これでウンスが居てくれたら…。
    でも、ここからの4年がヨンを更にかっこいい男に育てるのでしょうね…。
    さらんさん、お加減はいかがですか?

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    ウンスを思って 泣いてる場合じゃないものね。
    いつか 戻ってくると思えば
    この地を何とかしないと…って なるわよね~
    エ~ン 泣いてるヒマがない 
    悲しいわ~ 

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    ハジオンの奇皇后が浮かんで
    あんな兄でも愛してやまないのかな?
    なんかお忍びでヨンアに会いに来て
    謝ってくれそうな気が・・・・
    甘いか?
    で、身体から離れた頭を持って帰って
    涙しながら説教してくれないかな?
    時々トルベとチュンソクがヨンアを
    訪ねて笑わせてくれないかな?
    ま、こういう風に思えるのも
    ウンスが戻ってくると知ってるからだけどね(笑)
    ヨンアよ!男の中の男だわね^^v

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    さらん様
    週末はどうしても家の住人が増えるので、なかなか集中して読むことができず、今頃に一気よみしちゃいました。
    TBSチャンネルでやっていた「信義」の再放送が終わってしまい、物語の続きをサラン様の文章を読みながら想像するのはとても心地よく。。うふふ

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