雲従龍 風従虎 | 8

 

 

部屋を出た処で待ち構えていた兵たちに向かい
「起きたぞ」
伝えるとその場の全員の顔に安堵の笑みが浮かぶ。
「会えますか」
迂達赤のその声に首を振る。
「明日まで一人にしろと言っている。そうしてやれ」
そう言って俺は国境隊長と共に、奴の部屋の前から歩き出した。

「鷹揚隊隊長」
チェ・ヨンの部屋前を少し離れてから、廊下を共に歩いていた隣の大きな男が、低い声で呼ぶ。
「何だ」
「あの迂達赤隊長という方は」
ああ、来た来たと俺は頭を振る。

だいたい初対面の国境隊長に、いきなりあんな命令を出しやがって。
チェ・ヨンの無鉄砲さや豪胆さには慣れてはいるが、それにしても。
まだあれ程に白い顔色で皇宮に帰れだの、薬を買うなだの。

「あの方は、いつもああですか」
「そうだ」
吐き捨てるように俺は言い放った。
「国と王様と兵と民のことしか、あの頭には詰まっていない」

散々心配したこちらの気持ちも考えろと言ってやりたい。
やりたいが、あいつが誰より考えていないのは己の事だ。
己の事は一番最後で、国と王様と、兵と民の事だけだ。
あの石頭に詰まっているのは。

ああ、いや。違うな。
違う違う。
そこまで国境隊長に言った後、俺は一番肝心な方を思い出した。
「違った、もう一人いらっしゃる」
「もう御一方ですか」
「ああ」

俺も詳しくは知らん。噂しか聞いたことはない。
稀に皇宮の中で、その御姿を視界の隅に捉えた事しかない。
その時のチェ・ヨンの姿を思い返し、俺は笑いを噛み殺す。

あいつが女人の横を歩くだけでも驚くものを、大切そうに見つめ、時に微笑み護っていた。

奴の傷が癒えればいつか、また二人の姿が見られるのか。
その時は正面からからかってやりたいものだ。
幸せなら構わないだろう、堂々としていろ。
その時には背を押して、言ってやりたいものだ。

そんなこちらを不思議そうに見る国境隊長に
「付き合いが長くなれば、国境隊長も見かけるかもしれん。
目が覚めるほどに、美しい方だ」
笑いながら言う俺に、国境隊長は首を捻った。

 

その辺の一兵卒とは違う。この高麗で最も勇猛と名高い武士。
王様が唯一無二として他のどの重臣より信頼を置く近衛隊、迂達赤隊長チェ・ヨン殿。

その話はずっと以前より聞いていた。
迂達赤隊長就任の折には新しい隊長は、幻と言われる赤月隊の最年少部隊長だったと噂も流れた。
内功遣いのみで作られた赤月隊、チェ・ヨン殿は手から雷を放つと、大きな騒ぎになったものだ。

チェ・ヨン殿の隊長就任後に続いた王様の御世交代。
そのたびにこの国境付近は騒がしくなった。
鴨緑江の向こうから運ばれる身勝手な王様交代の詔書。
理不尽な干渉に頭を下げる国に仕え、命を懸けてきた。

当時の王様がどうお応えになるか、結果は分かっていてもいつでも国境はざわついていた。
断ればすぐに戦になる。そうすれば国境の基地は最前線だ。
そうならぬ事を祈る何処かで、無体な干渉を国として断って頂きたい、そんな淡い期待を持った事もある。

そしてそんな事は、今まで一度たりとも起きなかった。現王様が元より高麗へ戻られるまで。
今のように征東行省を攻め落とし、元の断事官からの要求を跳ね除け、戦も辞さぬとおっしゃるまでは。

その報せが届いた時、俺は不思議な気持ちになった。
戦になれば此処の民も兵もが否応なく巻き込まれる。
それを避けたいと思うどこかで、高麗が、祖国が国として他国の干渉を拒む事を、誇らしくも思った。
そして民と兵は俺が守ると、無駄死には決してさせんと、何度も心に思ったものだ。

そこまで王様が毅然として立てるのは、王様の徳と共にそれを支える迂達赤隊長がいらっしゃるからだと、 兵は口々に言った。
此度の征東行省での王様の篭城、続く禁軍の援護も全て、裏でお支えしたのはあの迂達赤隊長チェ・ヨン殿だと。
兵であればそれ程の剛の者、その武士に、一度で良いからお会いしたい、そう思っていた。

その迂達赤隊長を探せとの王様の勅旨を、皇宮よりの早馬が此処へ運んでから既に十日近く。
最初の三日間は、兵舎の付近を虱潰しに当たった。
当たったところでこれほど広い場所、ひと一人を探すのは砂漠の中に落ちた針を探すようなものだった。

そして四日目。一人の若い男が、慌ただしくこの兵舎へ駈け込んだ。

「隊長」
天気雨の後の晴れた朝。兵が鍛錬場の俺を呼びに来た。
「兵が一人、隊長に会いたいと」
「誰だ」
その問いに兵は首を捻りながら
「私兵かもしれません。迂達赤隊長の件で、至急隊長に折り入って話があると」
俺は黙って剣を鞘に納め、鍛錬場を後にして歩き始めた。
「何処にいる」
「ひとまず、兵舎の広間に」
その声に足を速める。

「自分が国境隊長です。迂達赤隊長の件とは」
広間に飛び込むと、想像より遥かに若い鎧姿の男が頭を下げた。
「皇宮迂達赤隊長の兵、テマンといいます」
「迂達赤隊長については、皇宮より捜索の勅旨を承った」
その声に頷くと、テマンというその若い兵は
「この近くで、隊長が見つかりました。謀反の罪で逃亡中の、徳成府院君が死んでいるのも。
国境隊長にお願いしたいのは」

その若い兵はそこで少し言い淀み
「まず徳成府院君の遺体の回収、そして今怪我を負っている隊長の、しばしの兵舎への滞在。
そして王様へ、隊長発見の報告の早馬を出して頂きたいのです」
そして一旦言葉を切り、何かを確認するよう空を見て
「以上です」
少し安心したように、こちらへ目を戻しそう言った。

「承知した。すぐに手配しよう」
そう答えたこの声に
「ありがとうございます」
まっすぐ俺を見つめて、深く頭を下げたこの若い兵を見つめる。

噂でしか知らぬ迂達赤隊長に、こんな真っ直ぐな良い目をした兵が従いている。
きっと信用できる方なのだろう。お会いするのが楽しみだ。

ほどなく馬車で担ぎ込まれた迂達赤隊長には、護衛の兵が二人、その身にぴたりと寄り添っていた。
俺がその兵を見つめると、鼻っ柱の強そうな一人がこの目をしっかりと睨み返してきた。
いわばこちらの陣地の中で己を庇うわけでなく、隊長に何かすれば絶対に許さんとばかりの気迫で。

隊長の回りを知れば知る程、信頼できそうな方だ。
子を見て親を知るように、兵を見れば上官の人となりは、同じ兵からは手に取るようによく判る。

互いに背を預け、命のやり取りをする戦場に共に立つ。
その結びつきの強さや信頼は、家族と何ら変わらない。
上が尊敬できる者なら自ずと恥じぬように振る舞い、尊敬できぬ者ならば適当にやり過ごすようになる。
己を犠牲にしても下を守る者ならば下もそれを覚え、己大事に走る者なら下も命など懸けぬようになる。

そこから見るにこの迂達赤隊長、本当に大きな方のようだ。
そう思いつつ、運び込まれた隊長の部屋の前を眺め三日間。
毎日そこへ集う兵たちを見て、最後にはさすがに閉口する。

部屋の前の狭い廊下の前、始終誰かしら集まって、心配げにその部屋の扉を見ている。
迂達赤とその客分達だけならまだわかる。
奴らは飯だけ交代で取り、他の時間は廊下の隅に蹲りそこで仮眠を取っている様子だ。
しかし何故無関係な禁軍の兵たちまでが、此処に屯するのだ。
興味だけならこれ程長い時間、待っているのは何故だ。

「お前ら、何をしている」
三日目、俺はその兵達に向かい問うた。
「禁軍には、無関係な方だろう」
「そんな事はありません」
皇宮から来た禁軍鷹揚隊の兵は口々にそう言って首を振った。

「迂達赤隊長は今まで何度も王様の危機を救い、皇宮を救ってくださいました」
「先日征東行省に攻め入るまでも僅かな兵だけを率い敵と戦い、我々が行くのを信じて待って下さいました」
「我ら鷹揚隊の隊長が信頼する、一番の方でもあります」
「迂達赤隊長が目覚めれば、報せに来いと言われています」

そう返る禁軍の兵の声を聞きながら、迂達赤と客分たちが本当に嬉しそうに、誇らしげに笑う。
これは只者ではないな。兵のその声に内心で舌を巻く。
よしんば自身の隊でどれほどの信頼を集めようと他軍の、まして迂達赤と犬猿の仲だった禁軍の信頼をここまで集めているとは。

今この兵舎にお迎えしているあの隊長は、この想像を遥かに超える方なのかもしれん。
会うのが楽しみだったはずの俺の額には、今うっすらと汗が浮かんでいた。

そしていざ、部屋で伏せった迂達赤隊長に会ってみて、敗北感と喜びがないまぜになった気持ちで其処を出た。
敵わない方だった、最初から。そう思うしかない。

此処で休む以上、失礼があってはならん。
体調を回復し、無事皇宮へ帰って頂く。
俺に考えられたのは此処までだった。

民を背負い、兵を背負っている真の意味が分かっていれば、薬を買い集めるより他にやることがあった。
しかし俺は医官に、周辺の薬を買い集めろと指示を出した。
その後に薬の値が上がること、それで民が困ること、そこまで考えは至らなかった。
集めた薬を市へ戻すこと、その前に兵の分の薬だけ確保しておくこと、そんな事は考えもしなかった。

こんな風に思われる民は幸福だ。
こんな風に思われる兵は幸福だ。

あの方と共にいつか戦場に立ってみたいものだ。
命のやり取りをする瀬戸際でどんな采配を振るうのか、それをこの目で見てみたい。
どれほど久し振りだろうか、戦場に共に立ちたいとそこまで思える人に会えたのは。

戦を楽しみにするなどあってはならんことだ。事が起きぬに越したことはない。
それでも次にこの北方が戦場になった時、少なくともあの方の采配が見られる。

あの方なら兵の、そして民の、そして王様の、そして国のため誇りを捨てず、最善を尽くす気がして仕方ない。
その思いに口元を緩ませながら、俺は横の鷹揚隊隊長と共に廊下を足早に抜ける。

鷹揚隊隊長は恐らくこの後、兵たちに帰京を伝えるのだろう。
俺の行く場所は、表の鍛錬場。
あの方と共に戦う日が来るまで、弛んでいる暇などない。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

4 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん、男が男に惚れるという、素敵なお話をありがとうございます。
    それにしても、さらんさんの描く男たちは、なんと生き生きとしているのでしょう。
    というか、女性たちもみな潔くて、どちらかというと男性的な感じで、スカッとします。
    さあ、明日あたりにはヨンも少しは回復しているでしょうか。
    ウダルチ達だけでなく、ここにお邪魔する私たちもヨンが元気になることを待っています(*^。^*)
    そして、さらんさんのお元気な様子も、お待ちしています。

  • SECRET: 0
    PASS:
    部下達にここまで慕われるなんて,すべてヨンの日頃の言動を物語っていますよね。
    命を懸けても良いと思わせる・・・人望ですね。
    国境体調はモデルはいるのかな。
    アンジェと共に将来ヨンの右腕になりそうな方ですね。
    毎日のUPありがとうございます(。-人-。)
    でも,さらんさん無理しないで下さいね。
    マイペースでゆる~くで良いですよ^^

  • SECRET: 0
    PASS:
    もう、書いてて気持ち良いでしょ!
    この世には存在しないよね、ここまで格好いい人!
    だからこそ私達は一言一句も読み漏らさないよう
    息をすることを一瞬忘れそうになるほど
    真剣にヨンアの動向、ヨンアへの皆が持つ信頼と愛情、
    そしてヨンアに心酔する人が一人、又、一人と
    増えていくことの嬉しさを感じる時の喜びに
    浸っていられるのよ(笑)
    時々ね、こんな素敵なところで私がこんなコメントしていいの?
    って迷うことがあるのよ(照恥)
    だけど、そんな想いよりも
    この感動をさらんちゃんに伝えたいって気持ちのほうが
    勝ってしまって書かせて貰ってます。
    いつも素敵なコメントを残される他の
    さらんちゃん大好き家族の皆様に本当に一度
    謝りたいくらいなんですよ。
    とくに、さらんちゃんを一緒にどこまでも応援しましょう!って
    言って下さったmamachanさまに謝りたい・・・・
    これって本当に応援になってますか?(恥笑)

  • SECRET: 0
    PASS:
    号泣中…
    さらんさまー!
    男として武士としてそして人間として
    ここまで皆に慕われるヨン!
    男前すぎるーーー!!
    すみません、感動しすぎておかしくなりました
    私も部下になりたい( ´艸`)
    できれば側近で‥
    テジャンのためならこの命なんて惜しくない!とまで思わせる さらんさまの筆力、さすがでございます!
    お身体はどうですか?

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です