雲従龍 風従虎 |2

 

 

これほど強い念を籠めて、何を護っているのか。
山歩きの途中、高麗との国境で足を止め、周囲を見渡す。

空を見上げれば龍に従う薄雲が流れ、地へと目を転じれば虎に従う風が吹く。

成程、成程。

歩き始めれば晴れた空から、ぽつりと雨が落ちてくる。

雲履の足で歩き始めて半刻、開けた丘へ出る。
そこに倒れた体に寄れば一際温かい雨に包まれ、男がそれに守られるように地に寝そべっている。

これほど強い想いを残し、どこへ連れて行かれたか。

「・・・もし、お若いの」
そう声を掛けるとぼんやりとした黒い目が、ようやくのことでこちらを見遣る。
「聞こえるか、名は何と言う」
その声に微かに
「・・・・・・チェ・ヨンと」
声が返り、その黒い目が静かに閉じた。

温かい風が吹いてくる。
寝そべる虎のため、風が従いてくる。
これが、時代を動かす男とな。面白い、面白い。

胸から抜いた半紙の札に息を吹きかけ
「チェ・ヨン」
そう呟いて、横たわったチェ・ヨンの胸に乗せる。

温かい風が少しずつ勢いを増す。
この虎に従う風が、確かに近付いてくる。
風も、雨も、この男に従いている。

これが、天を味方にした男とな。

大きな体に手を回しその体を起こす。
最近の若い者は、しかしまあよく伸びるものだ。
護符がなくば、到底背負うことなど出来ぬわ。
「ふぉふぉふぉ」
そう笑いながら、チェ・ヨンを担いで歩き出す。

 

もうこの道しかない。
ここまで来るのに、全速で馬を走らせて三日目。
義州に入ってすぐに、テマンが街道へと馬の首を向けた。
「チホかシウルがいれば良いけど、分からない。手裏房が町へ放ってる奴らに繋ぎを取ってみる」
駆けだした背に
「俺は門へ行ってみる。宿屋で会おう」
そう短く声を掛け、俺は馬の脇腹を蹴った。

「さてさて、風が来るぞ」
洞に敷いた布団の上。昏々と眠るチェ・ヨンに向けて、静かにそう伝える。

その寝顔からは何の答も返らぬ。
それで構わぬ、今は眠るが良い。
風は、確かに強くなって来ておるのだ。
「どれどれ、出迎えに行くとしようか」

 

天門への道を辿るため、丘に駆けあがり周囲を見渡す。
此処にいなければ、このまま天門まで駆けるつもりだった。

「チェ・ヨンか」

見渡した丘の木の傍、探し続ける隊長の姿はなく、その代わりに小さな影が腰掛けていた。
道袍を纏い、頭に冠巾を乗せ、雲履を履いたその姿。
そしてその声が駆けて行く俺に向かって尋ねた。

俺は足を止め、その姿をじっと見た。 高麗の者には見えない。
その赤銅色の縮緬じわだらけの顔の下半分を、白く長い髭が、口と言わず顎と言わず覆っている。

「チェ・ヨンを探しておるのか」

その老師がこちらを真っ直ぐに見て、俺に確かめた。

俺の前を導くように、あの老師は迷わず歩む。
ついて行くことを疑いもしないのか、後ろを振り向き確かめることすらせずに。
山裾の小さな洞の前まで来るとその小さな影は 洞の入り口から薄暗い奥へと向けて、ずんずんと進んで行く。
「奥で眠っている。会いに行くが良い」
その声に俺は老師へ頭を下げ、慌てて駆け出した。

慌ててこの身を置き去りに、奥へと駆けだしたその背。
何とも何とも、忙しないことだ。
逃げはせんのだから、のんびり行けば良いものを。

しかしあの風だけではない。まだまだ風が吹いてくる。
チェ・ヨン、あの若いのはどれだけの風を動かすのか。
面白い、全く面白いのぉ。

「・・・隊長!!!」
奥の布団に静かに横たわる姿を見て、その脇に膝をつき、顔を覗き込んで叫ぶ。
「隊長、隊長!!俺です、トクマンです、分かりますか隊長!!」

余りの嬉しさに、次に不安に涙が浮かぶ。隊長は全く反応しない。
ただ静かにその半紙の札を載せた胸が上下している。
「これこれ、静かにしなさい、チェ・ヨンは眠っておるだけだ」
後からゆっくりと入って来た老師が、静かに言った。

「どういうことです、あなたはどなたですか、何故隊長だけがここに。
他に誰もいないのですか。この方と共に綺麗な女人がいらっしゃいませんでしたか。
もしくは蛇のような目の男が」

洞に響く大声の俺の矢継ぎ早の問いに、老師は首を振る。
「誰もおらなんだ。ただし探してみると良い。
あの丘から程近い門に、強い念が残っておる」
「門」
「心当たりがあるだろう」

俺は頷いた。きっと天門だ。あの時隊長が医仙をお連れした天門の事に違いない。
「風が集まっているな。此処に一気に吹き込まれても困る」
老師は苦く笑うとそんな不思議な言葉を呟き、首を振った。
それに問い返す時間は今はない。
俺は隊長の横たわる布団越しに、目の前の白髭の老師をじっと見つめた。

「老師様、申し訳ありません。今しばらく、この方を此処で見ていて下さいませんか。
確かめねばならない事があるのです」
俺が頼むと老師は頷いて
「宜しい宜しい、任された。行くが良い」
その声を聞き一度大きく頭を下げて、俺は洞を飛び出した。

丘を抜けて天門へと駆ける。
雨が降っていたのだろう、ぬかるんだ泥道を一気に走り、天門へと続く石垣を曲がった瞬間にぎょっとして足を止める。

目の前の石の祠の真ん前に、こちらに背を向け膝をついたまま、冷たく固まったその姿。

雨が降ったんじゃないのか。
周りはすべてしっとり濡れているのに、何故この男だけ白く凍ったままなんだ。
しかしよく見れば影は動かず、そしてその背の奥、石造りの祠のあの天門は、しんと固く閉じている。

「・・・医仙?」
そう声を掛けてみる。周囲に目を遣り、
「医仙、いらっしゃいませんか」
少し声を張ってみる。けれど戻る声はなく、周囲は静まり返っている。
「医仙!」

馬鹿な。奇轍がここにいるという事は。
天門の目前でこうして膝をついているという事は、医仙だけが天門をくぐってしまったという事なのか。

そう思いながら、地に膝をつき、大きく目を開けたままで事切れている奇轍の凍った顔を、俺は恐る恐る眺めた。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

3 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん、今宵も素敵なお話をありがとうございます。
    ああ、めちゃめちゃ気になるじゃないですか。
    ヨンを助けてくれたのは、いったい誰れなのでしょうか。
    まさに天人としか思えませんが…。
    シンイのDVDはすでに何度も観ましたが、こうしてさらんさんのお話を拝読していると、改めてじっくり見直してみたいとも思ってしまいます。
    さらんさん、今日は面白いことはありましたか?
    脳内で、医師や看護師を登場人物とした話のあらすじでも創造して、ほくそ笑んでいらっしゃるといいなあ。

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらん様
    老師って、、、。予想外でビックリ。でも面白い(ノ´∀`*)
    最初、亀仙人を想像しちゃいました、笑い声で。
    でも、頭巾被っているなら、まさかの黄門様かしら!?
    誰なんだろー?

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です