雲従龍 風従虎 |1

 

 

【 雲従龍 風従虎 】

 

 

「まだ帰って来ぬというのは、どういう事だ!」
卓に両掌をついて叫ぶ、副隊長のその声が兵舎に響き渡る。
「何処まで探しに行ったんだ、隊長は!!」

その声に俺は首を振る。
「今 禁軍と手裏房が手分けして探しています。医仙を奪還したのか、していないのかも判らず」
「いや、隊長一人で出ている。もし奇轍から奪還できなければ一旦は必ず俺達か、無理でも手裏房に伝達か、もしくは何かしらの指示があるはずだ」

副隊長は苛々と首を振った。確かにそう言われればそう思う。
隊長は無理はするが、自分の力の及ばないところで危険な事はしない・・・はずだ。
しかし しないと断言できないのは、隊長は医仙が絡むと何処までも走る事を俺達は皆知っているからだ。

「あの時一人で出すのではなかった」
今さら言っても遅いと分かっているのだろう。副隊長は悔し気に言って、眉間を抑えた。
「心当たりは皇宮から天門までの途。そこを虱潰しに当たれ。
奇轍が通過すれば隊長が追いつくまでの道中は、官軍の検問が必ず破られているはずだ」

副隊長の声に俺は頷いた。
「当たっています。開京から黄州、西京、そのまま北へ安州、亀城、義州まで」
「検問はどこまで破られていた」
「詳しくは分かりません。笛男たちの遺体が安州の宿で見つかったのは掴みました」
「安州からなら船を使ったかもしれん」
「船着き場も当たっています」
「そこまでやって何故全く足取りが掴めん!」
「副隊長、まずは落ち着きましょう」

その俺の声に立ち上がると、副隊長はいきなり俺の襟首を掴み上げた。
「良いか、トクマニ」
「は、はい」
「落ち着くゆとりがあるか。トルベもいない今、隊長の無事は俺達が守るしかない。王様の警護もある」

そして掴んだこの襟首ごと俺を突き放すと、卓前の椅子へと副隊長はがくりと沈み込んだ。
卓に両肘をつき両掌で額を支えて、俯いたまま
「俺は皇宮を出る訳にはいかん。トルベたちの埋葬もある。お前がテマナと共に出ろ。
まず手裏房に当たりをつけ、必ず隊長を見つけろ。見つけるまで戻るな」

そう言って深い溜息をつき、そのまま目を瞑った副隊長に頭を下げると、俺は部屋を後にした。
八方塞がりだ。
全くゆとりも無ければ、この先の見通しもつかない。
トルベ、皆、すまん。
心の中でそう言って、奴らに向かい頭を深く下げる。

俺はお前らを見送れないけど、その代わり必ず隊長を見つけてくるからな。
トルベ。お前が最後まで護ろうとしたあの隊長を必ず連れて帰って来るから、許してくれよな。
お前にとって、皆に取って、それが一番の手向けの香華だと俺は信じて、テマンと一緒に行くからな。

ふざけるな!

そんなあいつの声が聞こえてきそうだ。

俺なんてどうでもいい、今からはお前らが必ず隊長を守れ。

そんな声が本当に聞こえてきそうで、目の奥が痛くなる。
強く唇を噛み深く息を吐き、俺はテマンを探しに兵舎を飛び出した。

 

「どういう事だ。なぜ見つからぬ!」
康安殿の中、執務机に広げた報告書の文を両掌で叩き、王様が御声を荒げてこちらへお尋ねになる。

「王様、禁軍があらゆる場所を探しております。迂達赤よりも既に捜索の別隊が出ました。
各都護府にも既に早馬を出しております。必ずじきに見つかります」
「じきだと」
「はい、王様」
「ドチ、じきとはいつだ。此処まで探しながら隊長も医仙も見つからぬとは、どういう事だ!」
「王様、王様どうぞお静まりを」
王様は苛立つ御声を隠そうともせず烈しい音を立て椅子からお立ちになると、こちらをじっとご覧になった。

「ドチヤ、聞いておったな。隊長が寡人に頭を下げた折、お前も確かに横に控えておったな」
「仰せの通りに御座います」
「あの者が、寡人に初めて!」
そこまで震える御声で一息に仰った王様が深く息を整え、竜顔を背けるように御机の横、窓外へと向き直られる。

お召しの袍のお袖が上がるのを、そのお背中越しに見つめる。
王様はまるで震える御声ごと隠すかのように、袍のお袖でその玉顔を、拝見できぬよう隠してしまわれた。

「・・・初めて頼みごとをしたのだ。大切な方を護れるよう力を貸して欲しいと。
故に寡人は、何があろうと」
そこまでおっしゃりその時を思い出されたか、王様の御声が詰まり、暫し無言となられる。

あの徳成府院君さまが、宣任殿にて玉座の王様へと詰め寄られたことを。
迂達赤隊長に向かい、王になりたくはないかと問うたことを。
そして迂達赤隊長が、それを言下に一蹴したことを。
既に王様を頂いているのにそれ以上に何を望むと、皆の前で明言したことを。

畏れ多くも恐らく今、王様はお袖の影で、浮かぶ涙を拭っておられる。

暫しの無言の後、王様はその息を整えられてもう一度こちらを振り返られた。

「何があろうと、必ずその約束を果たさねばならぬ。
あの者が生涯寡人に仕えると申すならば、その約束を寡人も生涯、違える事なく必ず守る」
「畏まりました」
「故に探し出せ。医仙の行方、そして隊長の行方。草の根分けても、必ず探し出せ」
「畏まりました、王様」

王様が迂達赤隊長とのお約束を守るとおっしゃるなら、万一にも違わぬよう、生涯共にお守りいたします。
この目を真っ直ぐご覧になる王様に向かい胸の裡、新たな誓いと共に私は深く首を垂れた。

 

*******

 

あの方は、何処だろう。

青い空に顔を向けたまま、心の中で幾度も呟く。

赤い髪が乱れて顔にかかっていた。

叫ぶ小さな声が、乱れた息が何度も聞こえた。

あの小さな手が、昨日の夜、宿で握った白く細い指が、幾度もこの胸を押してくれた。

霞んで行く視界の中で、あなたを見詰めた。

温かい涙が、俺の上に降った。

イムジャ、泣くな。泣かないでくれ。

薄れゆく意識の中で、それだけを願った。

何故、この方なのか。
その答えを捜して時間を無駄にしました。
父上、今やっとわかりました。
もう全て、遅いのでしょうか。

天界で一目見た時から目が離せなかったことも、無理に担いで腕を引き此処へとお連れしたことも。
黙家に攫われたあの方を捜し走り回ったことも、切れた唇に、抑えられぬ怒りがこみ上げたことも。
暴れるその体を抱き上げ、天門へ連れて行ったことも。

奇轍の屋敷で駆け寄ったあの方に笑みが浮かんだことも、江華島の慶昌君媽媽の元への道程のことも。
あの方の肩に凭れて目を閉じた雷雨の夜のことも。

火女たちに攫われたあの方が、耳から流していた血も、
奇轍の氷功にやられた手を温めるあの方が流した涙も、
皇宮の東屋でぱーとなーだと握った、その暖かい手も、
俺が振り向くたび、いつも浮かべてくれたその笑顔も。

もう取り戻すことはできないのでしょうか。

何度も振り向きながら強引に連れ去られるあの瞳が、最後まで伝えているような気がするのです。

死なないで、生きて。死なないで、生きてと。

あの方なら、こう言うでしょう。

大丈夫、遅すぎることなんてない、これが始まりよ。

あの笑みを浮かべて。

なのに、父上。 体が、動かないのです。
護ってやりたいのに、凍るように、寒いのです。
そこへ走って、涙を拭いて差し上げたいのに、手が、上がらぬのです。

隊長。あなたの命を奪った剣を掲げ、あの方を救いに、取り戻しに行きたいのに。
あの鬼剣は、俺の耳元の地に刺さったまま、それを握ることが、できないのです。

俺はこんなにも、無力なのでしょうか。
今この時、ただ凍りながら地に倒れ、涙を流すあの方を見送ることしかできぬほど。
俺は、それほど、無力なのでしょうか。

イムジャ。
イムジャ。

泣くな、泣かないでくれ。

あなたを忘れないで良いですね。
そう訊いた時あなたは笑って、頷いてくださったのだから。

尋ねねばならぬ問いがある。
伺わねばならぬ答えがある。

あなたが帰らず、此処に俺と共にずっと居るとそう決めて下さったとき。
もう一度訊くと約束したその問いが、まだ残っている。
伺っていない答えが、まだ残っている。

一日ではない、一年ではない。
この生涯をかけて護るから、共に居て下さるかと。
もう一度、問わねばならぬ。
お答えを、伺わねばならぬ。

空が青い。

どこまでもあおい。

イムジャ、なくな、なかないでくれ。

その時

その真青な空から、温かい滴が落ちた。

ぽつん

凍った左頬にその滴は当たり、氷を溶かした。

空は青い。どこまでも青い。

けれどその空から、温かい滴は、静かに降り注ぐ。
俺の顔を、髪を、そしてこの身を包み込むように。

まるであなたの涙のように。

私が好きなのは、雨が降り始める瞬間。
あの声が、心に広がる。

ぽつんと落ちて来て、あら?って空を見上げる瞬間。

イムジャ。

あなたも今、何処かで見ているのか。
それともこれはあなたの涙雨なのか。

俺を溶かそうとしてくれているのか。
その涙で温めてくれようというのか。

イムジャ。判ったから、もう泣くな。

泣かずに、早く戻って来い。

俺は此処にいる。此処であなたを待っているから。

「・・・・・・もし、お若いの」

イムジャ、俺は此処にいる。
此処であなたを待っているから。

「もし、お若いの。聞こえるか」

降り注ぐ温かい雨の中、聞き慣れない掠れた声がする。

「聞こえるか、名は何と言う」

その声に、微かに

「・・・チェ・ヨンと」

そう返して、俺は静かに目を閉じた。

 

 

 

 

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