一服処 | 音吐朗々

 

 

【 音吐朗々 】

 

 

우리 만남은 우연이 아니야

あの方は余程謡が好きなのだろうか。
聞こえて来た声に足を止めると、半歩後でテマンが首を傾げる。

桜に席を譲ろうとする桃花が舞い落ちる典医寺の庭。
冬の間は寒々しく、歩き回る薬員らも足早だったが、今は其処此処に立ち話の輪が見える。

広げた縁台の上、ようやく照り始めた陽射しを受ける薬草。
全てが春を喜ぶ景色の中で、この耳が迷いなく捕らえる声。
「隊長」

足を止めたままの俺に不得要領なテマンが声を掛ける。
そして既に走った俺の視線を追い、ようやく納得したように笑う。
「う医仙、気分がいいみたいですね」

視線の先には庭の端、幾人かが半円に集う塊。
その中央で薬草籠を片手に、得意げに謡う姿。
身振り手振りをつけた拍子に、薬草籠がぐらりと揺れる。
中の薬草が地へ落ちる前に籠ごとそのまま奪い取る。
「あ?チェ・ヨンさん」
「・・・此方で何を」

突然の登場に、周囲の人垣の医官や薬員らも慌てて頭を下げる。
「迂達赤隊長さま」
「お久しぶりです」
久々と言われ、次は俺が暫し首を傾げる番だった。
いつでも逢っている気がした。此処を訪れている気がしていた。
言われてみればトクマンを見張りに置き、俺自身が頻繁に顔を出している訳ではない。
「・・・ああ」
「隊長」

声と共に、成り行きで奪い小脇に抱えたままの薬草籠を受け取る手。
振り向けばテマンの逆脇に立ち、涼し気な目が笑い掛ける。
受け取った薬草籠を人垣の薬員の一人に手渡しつつ、
「どうされました」
と侍医が尋ねた。

如何したもこうしたも。
ただの様子伺いだ、この方にまた妙な事をされては困る。
そう言おうと口を開きかけた途端、問われてもおらぬこの方が嬉々として答えた。
「あのね、みんなに天界の歌を教えてたの」

先刻のあの調子外れの謡のことかと息を吐く。
いつでもそうだ。江華島の慶昌君媽媽の居所での折も。
妙な声で朗々と謡い上げ、媽媽ばかりか俺まで笑わせて。
「謡ですか」

こいつも悪い。こうして止めもせず、この方を持ち上げるとは。
侍医が調子を合わせると、周囲の人垣の薬員が紅潮した頬で頷いた。
「はい。それはもう、素晴らしい詩で」
「詩が」
「拍子も今まで耳にしたことのない素晴らしさですが、何より詩が」

余程素晴らしいのか、周囲の人垣はそれぞれ大きく頷いた。
「私にもお聞かせ頂けますか、医仙」
・・・調子が良いのは、まさにお前だ。
興味本位か暇なのか、侍医はそう言うと期待に満ちた目で人垣の中央のこの方を眺めた。
「やーだ、照れちゃうじゃない!」
改めて人垣に囲まれ見詰められたこの方は、満更でもなさそうに頬を染めた。

この分なら問題はあるまい。謡でも何でも勝手にしろ。
踵を返した俺に、何故か慌てたように伸びた小さな手。
袖口を掴まれ振り向けば、其処に待つ満面の笑み。
「ねえねえ、チェ・ヨンさんも聞いてってよ。天界の歌よ?誰も知らないでしょ?話のネタに、ね?ね?」
「・・・いえ」

謡に割く刻などない。ようやく訪れた春。
鍛錬と歩哨が待っている。空いた刻には体を休める。
そんな暇などない。為すべき事は山積で。

たかだか女人の小さな手一つ、力がある訳でもあるまいに。
掴まれた袖口の手を振り払えない。振り払えば転びそうで。
袖を引かれて何故か人垣の最前列、この方の真正面に立たされる。
俺を見捨てる訳にもいかず従いたテマンと侍医に挟まれて。

この方は小さな咳払いをすると、その人垣を見渡した。
「ポップスとかより、トロットの方が分かりやすいかなと思って。前に天界ですごくヒットした歌なの。
歌ったノ・サヨンさんは、国民の姉さんって呼ばれてたのよ。タイトルは”出会い”」

우리 만남은 우연이 아니야
私たちの出会いは偶然じゃない

先刻も耳にした調子外れの謡が耳許を掠める。

그것은 우리의 바램이었어
それは私たちの願いだった

忘れるにはあまりにひどい私の運命
望むことは出来なくても永遠に賭けよう
振り向かないで 後悔しないで
馬鹿みたいな涙は見せないで
愛してる 愛してる 君を 君を愛してる

私たちの出会いは偶然じゃない
それは私たちの願いだった
忘れるにはあまりにひどい私の運命
望むことは出来なくても永遠に賭けよう
振り向かないで 後悔しないで
馬鹿みたいな涙は見せないで
愛してる 愛してる 君を 君を愛してる

侍医が驚いたように謡うこの方を見詰め、次に遠慮がちに俺の横顔を確かめる。
春の陽の中、そんな視線の遣り取りに気付かぬこの方は調子外れに謡い続ける。

振り向かないで 後悔しないで
馬鹿みたいな涙は見せないで
愛してる 愛してる 君を 君を愛してる

深い意味などあるはずがない。
出逢いは偶然だったし、この方の願いだったはずもない。
確かに忘れるには余りに酷い目に遭わせたのは事実だが。

「・・・帰る」
最前列で踵を返し抜ける人垣。
周囲は皆、夢見るように謡うこの方を見ている。
「あ、チェ・ヨンさん、どこ行くのよ?これからなのに」

調子外れな音吐朗々の声が途切れ、そんな声が追って来る。
声だけならば未だしも、続いて小さな足音までが。
「て、隊長」
「構うな」
「だ、だって、・・・あ!」
「何だ」

途切れた足音、テマンの小さな叫び声。
振り向きたいのを堪え前を向いたままの俺に
「う医仙、転んで」
だから言わん事ではないと振り返る。
地に膝を着く小さな姿に向かい大急ぎで駆け戻る横、テマンが慌てて追って来る。

振り向くな後悔するなと謡っておいて、振り向かせるような事をしないで欲しい。
駆け寄る俺に向かい、この方は地に膝を着いたまま頬を膨らませた。
「チェ・ヨンさんが勝手に行っちゃうから!!」

立ち上がると土で汚れた膝を叩き、勝気な瞳が俺を見る。
「仕方ない。次はさっきみたいなスローなトロットじゃなく、ガールズグループの歌教えてあげるから。早く来て、ハイハイ、早く!」

春の陽の中、この方の謡の会は続くらしい。
追いかけたのも転んだのも俺の所為ではあるまいに、何故これ以上の謡を聞かされねばならんのか。

横を護る俺を確かめ、機嫌を直した鼻歌交じりのこの方。
何故断れないのか。俺には関わりないと振り払えないのか。
無事に帰すと誓ったが、勝手に走って転んだ責までは負えない。
それなのに唯々諾々と従う己に、誰より首を傾げるのは己自身。

渋々戻る先、舞い散る花の下。
成り行きを見守っていた先刻の人垣が微笑んで手を振った。

 

 

【 一服処 | 音吐朗々 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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2 件のコメント

  • 誰を思って歌っているかと
    言えば…
    ちゃんと最後まで聴いてくださいね。心をこめてますから♥
    ガールズグループ?
    踊り付き…
    誰にも見せてはなりませぬ?
    (๑⊙ლ⊙)ぷ

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