或日、迂達赤 | 友待雪・前篇

 

 

 

 

訪れる春を教えるような、ほんの僅かに緩んだ風。
髪を揺らすそれを追いかけ眸を上げる。

上天は未だ凍る蒼。流れ行く雲は灰。揺れる裸枝。
今は何処にも見当たらない春先の気配。

前回久々に訪れた時はまだ暖かさも残り、今よりも日も長かった。

「その恰好は一体何だ」

呼び出しを受けた皇宮大門。
小さな荷一つを肩にした赤月隊の黒装束を頭から沓先まで眺め、吐き捨てられる声。
「御前で宣旨を受けると言ったろう、鎧すら纏わずとは」
「ない」
「鎧がか、その気がか」

答えたくもない問いに、門前の叔母上を無言で見る。
その眸に何を察したか、叔母上が深い息を一つ吐く。
「・・・隠密隊だからな」
それだけ言って踵を返した爪先が、門の中へと向く。

後に従き続いて大門をくぐった。あの日以来初めて。
この宮の主を守る為、この門の下にある国を守る為に命を懸けた。
暗い夜に隠れ、火影に乗じて襲い、敵の首を持ち帰り続けて来た。
あの頃もし皆に薄い皮鎧の一枚でも与えられていたら、あれほど多くの仲間が死にはしなかった。
呼び出されたあの時もし隊長が皮帷子の一枚も着ていたら、みすみす刺され死ぬ事などなかった。

捨て駒だった。所詮俺達は。欲の為に利用されただけだった。
宮の主を肥えさせ図に乗らせ、嫉妬の挙句に命まで盗られた。
そして如何なる理由であれ、此処を再びくぐる己も恥知らず。

だが勝手を許すのも此処までだ。
二度と聞かない。どの声も。二度と従わない。どの命令にも。
俺を走らせる唯一の師父、隊長はもういない。
俺が守りたい家族、赤月隊はもう存在しない。

寝床を得るなら何処へでも行く。戦うと決めれば鬼剣を振る。
但しあの男の血縁者の為ではなく、迎える己の最期の為に。
師父でもあった隊長、そして父上の名に恥じずに死ぬ為に。

先導に従い歩く回廊は何処までも長い。
こんなに広い宮に一体何の意味がある。
治めるに相応しい主を持つ事も叶わず。
卑劣な能無しは宮に隠れ、周囲の血を吸うだけだった。
民の血を、兵の血を吸い尽くし、骸にして打ち捨てた。

「・・・ヨンア」

回廊の前を先導する声を確かめ、一歩半の遅れに気付く。
うんざりするほど長く真直ぐな回廊を、再び並んで歩く。

そんな男の息子に仕えて季節を超えた。
隊長は褒めるか。仲間は喜ぶだろうか。
何一つ成す気もなく、無為に息をする俺を。

今の庭は雪で覆われ、吐く息は立ち上る。
これ程の大きさの庭が何故必要なのか。
其処に配置された衛の穴だけが見える。

あの頃これを知っていたなら。こんな手抜きと判っていたら。
がら空きの塀を超え、あの男の寝首を掻くのも易かったろう。
総ての怒りと恨を篭め、今はこの手に渡った鬼剣で一思いに。

其処まで考え首を振る。

ひと思いなど勿体ない。じわじわと甚振るように。
隊長とメヒが味わった苦痛と恥辱を思い知らせて。
皮を剥ぎ肉を削ぎ、一本ずつ爪を毟り指を落とす。
最後にあの穢れた口から、殺せと懇願されるまで。

あの時もしも知っていたら。皇宮禁軍がここまで無能だと。
今頃は既に本懐を遂げ、晴れ晴れとした思いで再会できた。
仇は討てましたと胸を張り、隊長や皆の前に立てただろう。
もう守る家族すら禄に残っていない。会う事すら叶わない。

それでも隊長は怒るだろうか。最後の一人まで守らなかったと。
家族を守れと遺したのに、お前はその志半ばで捨てて来たかと。

庭を覆う友待雪。春も近いこの季節、もう降りはしないのに。

 

******

 

「赤月隊別将部隊長、チェ・ヨン。
本日その任を解き、同日迂達赤中郎将隊長として任命する」

此処にあの時立っていた。
忘れようとしても忘れられないその広間。冷たい床。
折りたくもない膝を折り、欲しくもない宣旨を聞く。
仕えたいとなど、一度として望んだ事のない者の前。

宣旨を読み上げていた男の声が切れる。
ようやく立ち上がる事が出来るらしい。
下らぬ茶番。王命の宣旨は終わり、読んだ男の両目が此方を見る。
あの日隊長の血を吸い込んだ床から膝を上げ、それを見返す。
何が怖いのか男は蒼い顔を強張らせ、慌てて視線を逸らした。

頭は下げるべきか。欲しくもない官職を押し付けられて。
訪れたこの場ですら未だ迷うのは、父上の名と隊長の名。
俺の愚かな振舞いで、残るべきお二人の名を汚さぬよう。

下げたくはない。己の認めぬ者の前で下げる理由もない。
それでも下げねば東州崔氏、そして赤月隊の名が廃る。
その中庸として、顎だけをほんの少し動かして見せる。

しかし父の死により即位した幼王にはそれで充分だったらしい。
目前の階上、玉座から腰を上げた立姿に相応しく幼い声がする。
「父王の崩御によって、禿魯花から戻って来たばかりだ。宮中の様子もよく分からない。よろしく頼む」

何を宜しくと頼むのか。そして頼まれて何をしろと言うのか。
大切な全てを一瞬で奪った父親の息子を如何扱えと望むのか。
否とも応とも答えぬ俺に、部屋隅から叔母上の鋭い視線が飛んで来る。

答えなければ後々碌な事にならない。手が飛ぶか足が飛ぶか。
詰まらん声に応えずに厄災に遭うなど、打たれ損も甚だしい。
王などどうでも良い。顔を覚えてもおらぬし関わる気もない。

「は」

叔母上に下されそうな鉄槌を避ける為、中庸を取って呟いた。
その返答に叔母上はまだ不満そうに、部屋の隅で鼻を鳴らす。
怒りの籠る音の方が俺の返答より余程大きく、静寂の中に響き渡る。

 

 

 

 

楽しんで頂けた時はポチっと頂けたら嬉しいです。
今日のクリック ありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

 

 

4 件のコメント

  • 鎧も、その気も
    無い、無い、無い!
    他に行くあても無い
    気に入らない主君なら
    尚更ね
    人生って 帳尻が合うように
    なってるって思うのよ。
    もうすぐ 運命的な出逢いが
    あるよ うんうん。

  • 運命の慶昌君嫣嫣と出会うんですね?
    クリスマスリクエストの哀しいけど
    心が温かくなるお話を思い出しました?

  • ヨンの心の内が辛いですね。赤月隊の隊長のあの場所に自分がたっていることが。
    チェ尚宮さんは変わらないでヨンを見守っているんですね。

  • とにかく、痛々しい。まわりはグレー一色。遠いこの先に、明るい景色があるのが分かっているからなんとか見てられる…こころがシトシトしてきます。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です