吾亦紅 | 9

 

 

【 Spring 】

 

イムジャ

あの人の、あの声がする。私はその腕の中に飛び込む。
ぎゅっと腕を回して、大きな背中を思い切り抱き締める。

逢いたかった。寂しかった。
離さないで。離れたくない。
どこにも行かないで。ずっとここにいて。

少し癖のある黒い髪に触れて、あの人の腕の中で、懐かしいあの香りを胸いっぱいに吸い込む。

血の匂いも、戦場の土埃の匂いもしない。
ただ懐かしい、あの広い肩にもたれた時の暖かいあの人の、暖かい香り。

あの人が私に目線を合わせるように、優しい伏し目で私を見る。
私の視界には、もうその目しか映らない。

とても優しい、あの深い、黒い瞳。
なのに何故そんなに悲しそうなの?

大丈夫?何処か辛いの?私に何ができる?
手を握って言うのに、答えが聞こえない。
お願い、教えて。

「お願い」

その声で目を開ける。

窓から白い朝日が部屋の中に差し込んでいる。
その端が寝台の足元にかかっていた。

白い夢、朝日の中で、あの人の香りがまだ胸に残っている気がする。

目尻の涙を指で拭って、寝台の上で体を起こす。

「そこに、いる?」

夢の中で私を呼んだ、あの声を思い出しながら。
此処です
そう言う声が聞こえるのを祈りながら。

「酷い顔だ」

ずっと通い続ける薬房の入り口であの男、ソンジンが、私の顔を見てそう言う。

冬に初めて会った時はしばらく、と言ったのに、春が来てもソンジンはまだここにいた。
この時代の事は全く分からないけれど、腰に刀を差しているのを見ると、武人なのかも。

自分の事は全く話さず、私も聞くことはない。

ただ私が薬房に行くたびそこにいて、先生と私の通訳をしたり、脈診の腕を出したり。
それ以外は薬房の隅で、腕組みをして立っている。

「放って置いて」
そう言って、彼の横を通り過ぎる。

「先生、おはようございます」
薬房の店先の袋をかきわけて、店の中を覗きこみ、ようやく覚えたこの地の言葉でそう告げる。

「おはよう、ウンス」
薬房の主、今は私の先生が、私に笑う。

「山に行きます」
私がそう伝えると
「ソンジンと一緒」
私は簡単な言葉しかわからないと知っているから、先生も私に話しかけるときは片言になる。
私は首を振るけれど、先生は厳しい顔で腕を組み、決して譲らない。
「一人は駄目だ」

私は諦めて頷く。
「はい」
先生はソンジンに何かを伝える。
ソンジンは小さく頷くと、私の脇に立つ。

「行くぞ」
有無を言わせないその声に、私は頷いた。
ソンジンは先生に何かを告げ、私の斜め前に立つ。

あの人がいつも、立っていたその場所に。

それが、とても嫌だ。

「離れるな」
あの人の場所に立つソンジンが嫌で、どうしても距離を取ってしまう。
後ろを振り向くこともないのに、私が少し離れると、ソンジンが背中越しに言った。

「いやなの」
私が硬い声で言うと初めて足を止め、ソンジンが振り向く。

「あなたがじゃない、誰かと2人でこうして歩くのが、嫌なの」
「何故」
「何故でも」

ソンジンが私の答えを聞いて、深く溜息を吐く。
「離れては守れない」

え?

「守れないから離れるな」
そう言うと、私の手を掴む。
「やめて!」
私はその手を振り払う。
「やめて、触らないで、放って置いて!!」
私は走り出す。何歩も行かないうちに、すぐに後ろからソンジンに腕を掴まれる。

「離れるなと言ったろう」

私の腕を掴んだまま、ソンジンが低く唸る。
私はそのソンジンの脛を、思い切り蹴り飛ばす。
それでも掴まれた腕が緩むことはない。
大きな片手で私の顎が掴まれ、上を向かされ、無理矢理目を合わせられる。

ソンジンが挑むように、睨むように、私の瞳の奥を覗き込む。
私は精いっぱいの怒りを込めて、ソンジンの瞳孔を睨み返す。

その瞳孔が僅かに開く。
そして顎を掴む手の力が、少し抜けた。

頭を振って顎を掴んでいた手を振りほどき、私はソンジンから距離を取る。

「冗談じゃないわよ!!」
悔しくて、涙が溢れる。
「私にそんな風に触っていい人は、ここにはいない。今度触ったら、絶対に許さない!!」

ソンジンは私の剣幕に驚いたように、ただじっと黙ってその言葉を聞いていた。
そして
「済まぬ」
と、かすかに頭を下げた。

大の男が往来で、人目もあるのに。

私は肩で息をしながら、その様子を見た。
「済まぬ」
顔を上げたソンジンが、もう一度私の目を見て言った。
「泣くな」
さっきみたいな挑む目ではなくて。

私はその顔から目を逸らすと、顔を上げて歩き出した。

 

 

 

 

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17 件のコメント

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    春になって外の空気は暖かくなったのに、ウンスの心はまだ冬なんですね。
    ソンジンとも少しづつ打ち解けているのになぜかあの人と重ねてしまうことに罪悪感を覚えてイライラしているようで。
    揺れているわけではないのだと思うんですけどやっぱり、寂しいから。
    ウンスに心から笑える日が来ることを祈って(。-人-。)

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    ウンスを護る人、横に立って歩いていい人、触ってもいい人はチェ・ヨンしかいないのだから。
    仕方ないとは思っても身体も気持ちも我慢できない、抑えられない。
    こんな事をされたら余計に早く戻りたくなるよね。いつでしょう、まだまだでしょうか。ウンスが気の毒で早く早くって気持ちが焦ってしまいます。

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    離れては守れない‥どっかで聞いたセリフ、3歩がくっついてないけど‥
    この男は何処から来て何故いるのか、あきらかになりますか?謎は謎のまま?
    ウンスの事は守ってくれそうだけど‥

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    たとえ自分を護ってくれる人であっても、そこに居ないヨンの場所は侵されたくない気持ち。
    ウンスの叫びが、ヨンへの強い情を窺わせる。
    そして、今まで押し殺してきた、ウンス感情の激しさを感じるわ。
    寂しさに萎えるのではなく、凛としてひたすらに耐え、変わらぬ信念が痛々しい。
    でも、気を抜いては生きていけない時代。
    はぁ~~~、切なくて言葉が見つからない(_ _。)

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    いつもお話しありがとうございますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
    久々に連休なんで夜更かし中(笑)
    ソンジン気になるー(~_~;)
    ウンスもヨンと重なるような感じが嫌なのかな…
    でもヨンじゃないし…
    ヨンの為に一人で必死に頑張り続けるウンス。
    ソンジンもそんなウンスを放っておけないだろうし、恋心芽生えてる感じ??
    あー気になりますぅ。
    ウンスは流されないと思いつつも…
    続き楽しみにしてます(#^.^#)

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    さらん様、おはようございます❤︎
    ソンジンの仕草や、物言いが、ヨンにそっくりだと思ってはいましたが、今回の内容は、ウンスを攫って来て間も無い頃の、ヨンを連想させます。
    分かっているのは、どんなに、ヨンと似ていても、言う事や、やる事が一緒でも、彼はヨンでは無いと言う事。
    ヨンは、ウンスしか見ていない。
    ウンスも、ヨンしか見ていない。
    どんな誘惑があったとしても…。
    そう信じます。
    夢の中でしか抱き合えない二人。
    お約束の「そこに、いる?」
    逢えないなら、せめて聞かせてあげたい。
    「イムジャ…。俺は此処です。」
    キャ~キャ~❤︎

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    ウンスの気持ち、よくわかります。
    ヨンと同じ様にされたくない。そうしていいのはヨンだけ。
    あー、切ないですね(T_T)
    しかし、何者?お願いだからウンスの心を乱さないでー

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    おはようございます!
    今回は強気で!と臨んだ私でしたが…
    だんだんと胸がこうなんというか…
    切ないと一言で言えるのか…っという気持ちに
    なってまいりました(。>ω<。)
    ドラマ本編の100年前に行ってしまった、
    映像では少しだけだったけどすごく寂しさが
    伝わってきたシーンでありました。
    それ以上にこのお話のウンスの淋しさときたら…
    涙がこぼれ落ちる前に、心の臓がチンとして
    指先が冷たくなりました(ノД`)
    ヨンの時には「お願いだから揺れないで~」と必死に願った私でしたが、ウンスの寂しさの前に
    「相手があの人だったら少しくらいは…」とズルい思いをもってしまいます(‥;)
    ダメ駄目だめ~っ!!
    さらんさん、こんな私を許して下さいますか?

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    >ののさん
    こんにちは❤コメありがとうございます。
    今は、ソンジンに対して
    かなり苛立っている様子です。
    それに対し、踏み込んできたがる気ありありの
    (ありありすぎる)ソンジン。
    この後、理由がすべてわかれば、ああ、と
    ご納得いただける日が、いつか?

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    >あみいさん
    こんにちは❤コメありがとうございます。
    本当は今すぐにでも、帰してあげたいです。
    でもここを書き切らないと、つながらぬお話が
    この後にまだ控えており(苦笑
    第一、あの世界でウンスが胡服を着て
    頭に冠乗せてた理由すら、未だ書けていないという
    恐ろしい状況になっております・・・
    もう少しだけ、お付き合い頂ければ嬉しいです❤

  • SECRET: 0
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    >えみりんさん
    こんにちは❤コメありがとうございます。
    似たような言葉、だからこそウンスオンニの
    逆鱗にも触れたのでしょうΣ(・ω・ノ)ノ!
    はい、守ってくれそうです。
    ここまできっぱり、守ると言い切っていますからw

  • SECRET: 0
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    >mayuさん
    こんにちは❤コメありがとうございます。
    ここからウンス、このお話の当初自分で言っていた
    脳内カオスに突入ですw
    いろいろ悩み、混乱し苦しむと思います。
    ヨンも途惑い、待っていたはず。
    ウンスオンニも、少し角度が違う状況で悩みます。
    ここから、段々切なくお話が進むと思います・・・
    ヨンとは別の角度に。

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    PASS:
    >☆石chan☆さん
    こんにちは❤コメありがとうございます。
    連休、お楽しみ中でしょうか。
    私は関東なのですが、今週末は大荒れときき
    皆様のお住いの場所が心配です・・・
    ソンジンは来ますねー。
    今ですらグイグイですが、これから更に。
    ウンスオンニは、他の男には絶対に流されません。
    それは、確実なのです。
    ううう、此処でネタバレできれば
    ☆石chan☆さまにも皆様にも
    どれだけスッキリして頂けるか。
    そうできぬ私を赦して頂ければ・・・
    そして、もう少しだけお付き合い頂ければと
    願ってやみませぬ。

  • SECRET: 0
    PASS:
    >夢夢さん
    こんにちは❤コメありがとうございます。
    そうです。夢の中の、ヨンを信じるしかありません。
    ウンスオンニにとっては、それが全て。
    ソンジンが誰なのかこれはもう(以下同文
    夢夢さま、そして皆様お一人お一人で
    想像して頂くしか(;´▽`A“

  • SECRET: 0
    PASS:
    >サチさん
    こんにちは❤コメありがとうございます。
    そうですね、今回の物言いと態度で
    ウンスオンニの逆鱗に触れたソンジン。
    心が乱されているのは、オンニ本人が
    一番感じているはずです・・・最初の脈診の時から。
    乱さないであげてほしいですね・・・
    さもないと、ストレスと血圧上昇で倒れそう
    ヽ((◎д◎ ))ゝ

  • SECRET: 0
    PASS:
    >わいやーさん
    こんにちは❤コメありがとうございます。
    本当に短いあのシーン、膨らませながら練りながら
    こんなに切なかったのか?
    もう少し気軽に一年待っていただけか?と
    己に何度も問いかけました。
    でも、私の中ではこのお話になってしまいました。
    ウンス自身言っていたように、現代の医者は
    薬は薬局で出してもらう。
    自分はコンピューターで薬の名前を打ち込むだけ。
    だけど、ウンスの庭には薬草が干され、
    薬湯が煎じられていました。
    そして、胡服を着て髪飾りをつけたウンス。
    あれが解けなければ、書いた意味もないわけで
    σ(^_^;)
    謎が解けるまで、もう少しお付き合い頂けたら嬉しいです。

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