甘い夜 ~ Short piece 5

 

5

 

あの人の命と引き換えなら何でもする。

泣いたりなんてしない。
こんな男の前で、涙を流してお願いなんてしない。
弱みに付け込まれれば、それだけあの人が危なくなる。

あの人を助けるならどんな手も使う。どんな嘘でもつく。婚約でもなんでもする。
口先だけなら、何を言ったって心なんて痛まない。
あの人さえ無事で帰って来るなら、悪魔に良心だって売る。

どれだけ見事な衣装を届けられても。
どれだけ魅力的な権力を鼻先にぶら下げられても。
どれだけ豪華な宴席に呼ばれても。

その豪華な宴席に向かう為に、届いた見事な衣装を纏って皇宮を歩く。
でも思い出すのはあの鎧を着て少し照れたみたいに笑う、あなたの笑顔だから。
皆と一緒に楽しそうに歩く、あなたの姿だから。

 

おかしい。
おかしいと引掛かりながら、向こうの肚の中が読み切れん。

新しく作られた玉璽を守り、皇宮を追われた王様の御許へ届ける。
その待ち合わせ場所で、確かに狙われていた。

そもそも小屋に入る前から、周囲に気配は感じていた。
それでも王様に玉璽をお渡しするのが最優先と、そのまま踏み入った。

小屋へと閉じ込められ、戸という戸を全て釘で打ち止められて。
蹴り破って出てみればご丁寧にも、外には火薬が撒かれていた。

小屋ごと俺を吹き飛ばすなど、狙った奴にしてみれば造作もなかったに違いない。

叔母上にも話した。府院君なら年寄相手に面倒な事などせん。
ならばあの毒使い、仕上げでその手を止めたのは何故だ。
目の上の瘤である俺と引き換えにしたものとは何なのだ。

新しい玉璽で下された恩赦。改めて与えられた護軍の職級。
また官職を与えてすまないと、また追い出すかもしれぬが傍にいてくれるかと、そうおっしゃる王様に断る事など出来ぬ。

そしてこの身はまた新たに、選べない荷を背負うのだ。

何がこれほど引掛かる。
あの方に会いたい。
行って無事なあの顔さえ見れば、あの笑い声さえ聞けば、全てうまくいく気がする。

なのにその足が出ん。

兵として戻されたからなのか。それなら捨てれば良い。
全て捨ててもう一度走り、あの方の許へ向かえば良い。

何故それが出来ん。

王様にすまぬと言われたからか。本当にそれだけか。

俺は、自分自身が怖いのではないのか。
止められなくなっている自分が怖いのではないのか。

己の名を懸け帰すと交わした約束がありながら、もうあの方を手放せなくなっている心。
これほどあの方にのめり込んでいる、己自身が怖いのではないのか。

全て失ったあの時以来、武士として死ぬ日だけを数えた心。
なのに見つけてしまった、あの方へのこの気持ちがただ怖いのではないのか。

官職を辞し皇宮を抜け、漁師となって平穏に過ごす。
その平凡な夢さえ忘れるほど。
生きる目的になったあの方の存在が怖いのではないのか。

だからどうして良いのか判らない。
あの方へと走ってしまえば、一目姿を見てしまえば。
その時は二度と離せなくなりそうで怖いのではないのか。

あの方は帰れると信じ、その日を待っているはずだ。
そんなあの方を引き留めてしまいそうで怖いのではないのか。

引き留めるなど言語道断。約束を違えるなど許されん。
それでも、もしも。
もしも許されるのであれば、ただひとつだけ尋ねたい。

能うなら帰すまで、その日まで側にいたい。
俺では駄目か。答えを、教えてくれないか。

離れた処から、典医寺で見慣れた姿が近寄ってくる。
その意外な姿、急ぐ足取りに、腰を上げる。
トギ。
何故トギが、この外宮に。

何かあるわけはない、あの方と関わりがあるとは限らん。
騒ぐこの胸を宥め、トギの方へ歩を進める。

 

徳興君の宴席から戻って、この面倒な重い衣装を脱ぎ捨てる。
そして髪に飾られた金細工の簪を引き抜く。

窮屈に結い上げられてた髪を、両手でバサバサほぐす。

そうね、豪華な衣装ね。ええ、高そうな簪ね。
豪華なものは好き。高価なものも好き。
でもそんなものじゃ買えない心を、私はここで知った。

ねえ、どこにいるの?
きっと無事よね。あの男はあの時、作戦中止の手紙を近くの兵に渡していたもの。

そうよ、あの男だって馬鹿じゃない。
私との結婚を考えてるなら、最悪なニュースが届けば私が絶対自分を許さないことくらい知ってるはず。

あの男にとって私は命綱。愛してるからじゃない、キチョルへの牽制として。
私が手に入れば、私を必要としてるキチョルはあの男につく。
あの男は王になるために、キチョルなしの自分は考えられない。
それでもあの男、徳興君は王にはなれなかった。少なくとも国史ではそう習ったはずよ。

だから時間稼ぎだけ出来ればいい。
あの男とキチョルが密談でも密約でも交わしている間に、あの人の無事さえ確認できればそれでいい。

あなたさえ無事なら、私は大丈夫。何があったって、どうにか切り抜けて見せる。
結婚を引き延ばして、どうにか天門まで辿り着ければそれですべてが丸く収まる。そうすれば、帰れる。

帰れると考えて、胸が痛くなる。

どうして?
それが望みでしょう、ウンス。あなたの望みはここを出る事。
ここを出て無事に帰って、未来の世界の常識で図れない斬り合いや、陰謀や、権力争いだらけの世界なんて忘れて。
そしてまた医者として、プライドを持てる生活に戻る事でしょう?

でも、帰ったら。

私たちはもう会えない。普通の恋人同士の喧嘩や別れとは違う。
あの扉をくぐってしまったら、それが永遠の別れになる。
偶然会えるように行きつけの店に顔を出したり、酔って夜中に電話して声を聞いたりも出来ない。

ウンス、それでも帰りたい?

本当に、帰りたいの?帰っていいの?後悔しないの?
帰ったらあなたは、また前みたいに幸せに笑えるの?
快適な室温の部屋で、きれいなトイレに入って、シャワーを浴びて。
楽しくお酒を飲んで、おいしくご飯を食べて、気持ちよく眠れる?
楽しい夢を見て、気持ちよく起きて、仕事に行けるの?本当に?

典医寺の部屋の窓の外、月が出てる。
その月の光が、庭の木を照らしてる。
あの人の姿があの黒い瞳が隠れてるような気がして、私は窓の外の木の影をじっと眺める。

隠れてるなら出て来てよ。 そして無事だって教えてよ。
そうすれば明日にでも、婚約破棄してくるから。

ねえ、そこにいる?

 

 

 

 

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