甘い夜 ~ 恋風・終篇

 

 

「て、大護軍!」
テマンが叫んで駈け込んで来た私室。
「何だ」
「う、う医仙が、来ます!」

卓上のあの花の束を両手で捧げ持ち、部屋中に眸を走らせる。
あの方の絶対に覗き込まぬ処。
視線を遮り、完全に隠しおおせる処。

部屋の三和土の上、私物を纏めているいくつかの行李。
その中の空の物の中に花の束を静かに沈め蓋を閉めた。
その行李を一番奥へと仕舞いこみ、一度深く息をする。
「何処だ」
「もう吹抜に入って来るところです」
「判った」

行李が絶対に目につかぬ事を最後に確かめ、部屋の中から駆け出す背の後にテマンが従いた。

 

「こんにちは!!」
大きく声をかけてから、懐かしい迂達赤の吹抜けを歩く。
「医仙!!」
私の声に驚いたみたいに、奥からトクマン君が走り出た。

「トクマン君、ひさしぶり!」
「御婚儀の際はありがとうございました、いえ、それよりあの」

そうよね、突然無関係な私が現れれば驚くわよね。
でも仕方ない。少なくともサプライズの方は成功ってことにする。
「トクマン君、チュンソク隊長は?みんなもいる?」
「ええ、奥に。大護軍もいらっしゃいます、上に。でも」
「うん、今日はお届け物に来たの」

持って来た包みを目の高さまで上げて見せると、慌てたみたいにトクマン君が手を差し伸べてくれた。
「持ちましょうか、重そうですが」
「うん、実はかなり重いんだけど、でもみんなへのお届け物だから」
「医仙!」

ばたんと扉の開く音に続いて、チュンソク隊長が奥の部屋から飛び出して来た。
「どうされたのですか」
「チュンソク隊長、ひさしぶり!キョンヒ様たちは?お元気?」
「ああ、ええ、お元気ですが、それよりも医仙」
「え?」
チュンソク隊長の慌てぶりに驚いて、私はその顔をじっと見た。
「大護軍は戻られていますが、行き違いですか」
「行き違い?何の事?」
「・・・は?」
「え?」

チュンソク隊長が首を傾げて、じっと私を見つめる。
私がそのびっくりした顔を見たところで、その会話を遮るみたいに
「う、う、うう医仙!!」

何故か二階からの太い柱をお猿のように滑り降りて来たテマンが、大声で呼びながら慌てた足取りでこっちに向かって駆けて来た。
「ああテマナ、あれ?あのひ」
「イムジャ!」

待って。何なの、何でみんなそんなして大声で叫んでるの?
驚き顔のトクマン君、不審な顔のチュンソク隊長、慌てて駆け寄ったテマン。
そして最後に二階から、階段を飛ぶように駆け下りて来たこの人。
「ねえ、ヨンア」
「まずは上へ」

チュンソク隊長は顔を背け、トクマン君は目を逸らし。
何も知りませんってしらばっくれた顔をしてるけど、おかしい。
この人が私をみんなから引き剥がすみたいに、そう言って先に立って、吹抜けの脇にある階段を上がって行く。
そして後ろに続かない私に向けて振り返って、黒い瞳をちょっと細めた。
「・・・来て下さい」
「無理」

私の返事に大きな溜息を吐くと、その瞳が鋭くなる。
「イムジャ」
「だって皆にお届け物があるんだもの。そのために雪の中、わざわざ典医寺からここまで歩いて来たのよ?」

さっきトクマン君に見せたみたいに、もう一度その荷物を目の高さまでこれ見よがしに上げて見せる。
「届け物」
「そう、バレンタインのお届け物」
「ばれん、たいん」
「そうなの、だから」

渋々階段を下りてこっちへ戻って来たこの人に向けて、私はぺこりと頭を下げた。
そして顔を上げると、その瞳を見つめて小首を傾げてみる。
「みんなでお茶を飲んでもらっていいですか、てー、じゃん?」

小声でわざとそう呼ぶと、この人の黒い瞳に困ったみたいな色が浮かんだ。

 

「今日は、バレンタインってお祭りなの。天界で。いつもお世話になってる人にありがとうの気持ちを伝える日だから」

久々にこの方を囲んだ兵舎の食堂。
この方は意気揚々と、でかい卓の上に据えた包みから大きな箱を取り出した。
「作って来たの。みんなで食べて?今いない人の分は、残しといてあげてね」
「ありがとうございます!」
「頂きます、医仙」

・・・俺の分だけではないのか。
いや、第一俺はまだ頂いてもおらん。
そう思いつつ、嬉しそうに大きな箱の蓋を開けるこの方の指先を眺める。
「じゃじゃーーん!」

蓋の中に並んでいたのは、先日の盗み聞いた通りの中身。
飴を絡めた干し杏や柿の正菓。鮮やかな彩の茶食、綺麗に並べられた油蜜菓。
外に様々な具材を纏わせた油菓、白い衣の中央に菊花と桜花を飾った花煎。
そして長細い紙包みが並び、その捩じった口は色取り取りの端切れで美しく結んである。
「これは」
「大護軍、頂いても良いんですか」
皆が此方を気にするように、しきりにそう尋ねる。

その箱の中身を覗き込み、すぐに合点が行く。

「喰え」
「でも、こんなに美しいものを」
「勿体無くて、とても」
「では有難く喰え」

これはこいつらの為に拵えて下さったものだ。
それが判っているから、そう言って席を立つ。
「ではな」
「頂きます、医仙、大護軍!」
「ありがとうございました」

正月もすっかり終わったこの時期。
冬の最中の甘い物の差し入れはさぞ嬉しいのだろう。どの顔も綻んでいる。
そんな奴らに笑み返してひらひらと手を振ると、此度は何も文句を言わぬままこの方は俺の横、連れ立って食堂を後にした。

「じゃあ戻るわね」
積もった雪を踏み、この方が雪の照り返しに瞳を細めこの眸を見上げる。
「はい」
「後で迎えに来てくれるわよね?」
「ええ」
「待ってる。あんまり無理しないでね」
「テマナ」
「はい、大護軍!」
「典医寺までお送りしろ」
「はい!」

ばれんたいん、そんな祭まであるとはな。
天界の民は悉く、季節や日々を愉しむのが上手いと見える。

それでも食堂で開けた箱の内に、あの形の菓子は入っていなかった。
だからこそ改めて判る、コムの言葉の意味が。

不思議な形。ヨンさんのためにと。

あの形に必ず何か意味があるのだ。

 

「イムジャ」

早い筈の冬の日暮れを待ち侘びたのは久方ぶりだ。
凍る夕陽は西へ傾き、兵舎の庭が薄暗くなる。
庚の笛が兵舎へ響くと同時にこの足が外へと飛び出した。
そのまま真直ぐに典医寺へと駆け、部屋前で息を整える。

後ろ手に回した荷の中の、花の形が気に掛かる。

あれ程全力で駆けて来た。まさか乱れてはおるまいな。
しかし今更此処で荷を解くわけにはいかん。
意を決し、眸の前のあの方の部屋の扉を叩く。
「お帰り、ヨンア」

すぐに扉は内から開き、あの方の嬉しそうな笑顔が覗く。
「只今戻りました」
「寒いでしょ、どうぞ」
「・・・はい」

招かれた部屋内、焚かれたオンドルの熱で暖まった床を歩く。
「ちょっと座って?」
卓を指すこの方に逆らう事なく頷いて、示された椅子へ腰を下ろす。
「あのね、ヨンア。今日はバレンタインって言ったでしょ」

腰を下ろすと同時にこの方は差し向かいの椅子へと腰を掛け、卓越しに此方へ向かって身を乗り出した。
「・・・はい」
「先の世界ではお世話になった人への贈り物もするんだけど、一番大切なのは愛してる人に、愛してる、って伝える日なの」
「はい」
「だから、これね」

この方はそう言って、小さな包みを卓の上へと乗せた。
「開けてみて?」
「はい」
指先で蓋を開けば、思った通り。其処にはあの不思議な形の菓子が並んでいる。

「イムジャ」
「ん?」
「この形は」
示した指先を眺めて、この方ははにかむように頬を染めた。
「ハート」
「はあと」
「うん。ハート。先の世界では愛を示すマークだけど、元々は心臓って意味なの」
「心臓ですか」
「そう」

この方は身を乗り出したまま、その心臓を指すこの指に細い指を絡ませた。
「私は勿論、あなたを心から愛してる。この心臓の奥の奥から、止まるまでね。
そしてあなたの主治医として、あなたの心臓を守り抜く。40年でも、50年でも。
私の心臓を、あなたにあげたい。だからあなたのハートも、私にくれる?」
「・・・俺の心の臓ですか」
「うん、あなたの心臓、あなたの心、あなたのハート」

わざわざ聞かねば判らぬのだろうか。既にあなたのものなのに。
ふと思い出し、空いた手で膝に乗せた荷を卓上へと乗せた。
「俺の心の臓は、あなたのものです」
「うん」
嬉し気に微笑むあなたに、声を重ねる。
「もう一つ、此処に俺の心が」

そう言ってその荷を、あなたの方へと少し押し出す。
「え?」
「差し上げます、いくつでも」

あなたが驚いたようにこの指に絡めた指を解き、包みを開く。
持って行って欲しい。そうしてねだって欲しい。心をくれ、心の臓をくれと。
金の輪も、花の束も、持っている全てをやるから。幾つでもやるから。

そこから出て来た花の束。
頼んだ時には知らなかった俺の心。
その心臓の真中に咲く美しい花の意味は、我儘な美人。
俺の心の臓の真中にはいつも我儘な美人がいるわけか。

「ヨンア、これどうしたの」
「・・・内緒です」
「内緒って、だってハート」
「以心伝心でしょう」

涼しい顔でそう言うと、この方の大きな瞳が潤む。
だから言わない事ではない。泣かれるのだけは本当に苦手だ。
最初に言って下されば、こんな顔をさせずに済んだのに。

美人は当たりだが、我儘は的外れだ。
これ程に俺の事だけを考える方には、今まで逢った事が無い。
泣き笑いで俺の心を指先で辿り、この方は大きく息をした。
「サプライズのつもりだったのに、あなたの方が上手だった」
「はい」
そう頷いた俺に笑うと、目尻を拭ってこの方が立ち上がる。

「帰る前に、坤成殿に寄っていい?媽媽と王様と、叔母様にお菓子をあげたいの」
「・・・まさか」
「ん?」
「心は、入っていませんね」
僅かに疑わしそうに尋ねた声に、あなたは噴き出しながら首を振る。
「私のハートは、あなただけのもの。安心して」

ああ、こういう事か。
知っているのに聞きたくなる。幾度も確かめたくなる。
俺が誓うと同じよう誓って欲しい。俺だけに下さると。
その笑顔も、涙も、心も全て。

あなたの声で、ようやく気が楽になる。
その最後の菓子の入った小さな荷を、そしてこの方が丁寧に包み直したこの心の臓を包んだ荷を持ち、この方を護るように俺は扉を抜けた。

 

 

【 甘い夜 ~ 恋風 | ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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10 件のコメント

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    さらんさん…♥
    はああ……倒れました。
    ヨンの粋なSurpriseに、自分が貰ったわけでもないのに、どさりと倒れました。
    現代では義理チョコや友チョコなどと、日ごろお世話になっている人へも重宝に使うようなイベントですが、ウンスのように「ハートの形はヨンにだけ」と、きっちりけじめをつけるのって良いなあ…と改めて感じました♥
    さらんさん♥
    ヴァレンタインデーの今日にピッタリのお話を、ありがとうございました。

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    さぷらいずには さぷらいす返しで…
    意味わからずも 用意しておいてよかったねヨン
    まさか ハートを頂戴と言われるとは…
    ウンスのハートは ヨンのモノ
    ヨンのハートはウンスのモノ…
    2人だけしか知らない 秘密のかたち♥ 
    きっと 似た形を見れば ニヤニヤ 思い出しちゃうかもね~ 
    しあわせね 二人とも( ´艸`)

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    さらん様
    ばれんたいんの甘々、ごちそうさまでした。
    ウンスも可愛いけど、それにも増して、ヨンが素敵過ぎます!
    わかってる事でも、何度でも聞きたい。
    愛する人の、その声で聞きたい(//∇//)
    はあとの花束、素敵過ぎます!
    もうヨンったら、ウンスが好き過ぎて不器用じゃなくなってますね♪
    このあと、大っ嫌いな甘いお菓子もがんばって全部食べちゃうんでしょうね。
    苦い薬湯も、それでウンスの気が済むなら「いくらでも飲み干す」ヨンですもの。
    ま、あの時は大変な(いや、結果オーライな/笑)結末でしたが。

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    2月14日の夜、「甘い夜~恋風」を届けてくださりありがとうございました。ウンスの手作りお菓子、とても素敵でした。それに負けず、大護軍ヨン、武士のヨンが、ウンスのためにハート型の花束を用意してくれるなんて、ウンスの幸せいっぱいの顔が浮かんできます!二人にとって、最高のバレンタインデーになりましたね(甘・甘・甘・・・)。昨日の夜から今夜にかけて4話の更新、大変だったと思いますが、読み手の私にとっては、心がとろけそうな程でした。
    今日はなぜか、花男のDVDを1巻から最終巻まで、途中早送り⏩しながら観ていました(一日中観ていたので、少し疲れが・・)。ヨンとは違うのですが、ヨン=ミノなので、Valentineという横文字のイメージが明るいヨン(信義ではありえないのに)を呼び寄せてしまい、つい・・。
    ケーブルカーの中に書いたいたずら書き「ジュンピョ・ジャンディ 初めて夜」が、ヨンとウンスに重なり(本当に信義ではありえないのに)、つい・・。
    サラン…さんの甘いお話、ほのぼのとしてとろけしそうです!

  • SECRET: 0
    PASS:
    お互いがお互いへの思いを確かめ合う、そんな一日となったヨンとウンス。
    バレンタイン。。いつの間にか、チョコレートを送る日になってしまったけれど、今日をヨンとウンスのように過ごせた方々は幸せ。。
    私自身はその余裕もなく現実に向き合う一日となりましたが、この短篇を読みながら心あたたまり、思わず笑顔になっていました。
    さらんさん、ありがとうございました。
    今かかえている事柄を乗り越える鍵は、やはり愛なんだろうなぁと思えた一日でした。

  • SECRET: 0
    PASS:
    甘い夜~恋風
    バレンタインデーにぴったりなあまーいお話で癒されました。
    ヨンったら花の束なんて準備しちゃって‼︎
    やるなぁ~
    差し上げます。いくつでも。
    あーステキ(≧∇≦)
    あの状況でヨンに花の束なんてもらったら私だったらどうなっちゃうだろう。妄想しただけでヨダレが…あーステキ
    無いなら、無いなりにどうしたらよいか、何かで代用できないか?
    ウンスは無い時以上のものを周りの助けも借りて作ってしまうんですよね。
    今回チョコ作りをしていて売り切れの材料があったんですがとっさにウンスなら…と考えてる自分に笑えました。さらん姉さんのシンイ効果⁈
    もちろん代用品で乗り切りましたよ‼︎

  • SECRET: 0
    PASS:
    いやもう、花の束をハートの形にと、トギに頼むシーンでにやけてしまいました!
    ハートを大切な人の心臓、心と捉えるウンス。
    意味のある形と察し、知らず識らずのうちに、自分の心臓、心を贈るヨン。そして石斛の花言葉。あぁもう‥(〃∇〃)
    心臓、心、ハート、はあと。たくさんの♡が溢れてました。
    さらんさん、
    幸せな時間のお裾分け、ありがとうございました♡

  • SECRET: 0
    PASS:
    バレンタインに甘いお話。だけど二人の一生懸命さが愛しくて、少しほっこりさせてもらえました。何度も読み返したい作品です!ところで、トクマン君が気になる私は、「婚儀の際はありがとうございました」という彼の台詞に♡を感じてます!その後の展開があったのかなあ!?って!さらんさんの体調とお時間の許す限りでお話お願いします!

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