甘い夜 ~ 恋風・中篇

 

 

厨の裏口からコムさんと一緒に荷物を抱えて入って来たタウンさんが、私に声を掛けた。

「さてウンスさま、始めましょうか」

その横でコムさんが厨の中のテーブルの上に、木の箱を静かに置いた。
「茶食盤です」
大きな手でパンの上ブタを取り上げて中を見せてくれる。
私とタウンさんは、並んで中を覗き込んだ。

なるほど、って思わず手を打ちそうになる。
木の板をくり貫いて、その上から押しブタで押さえつけるのね。
箱本体にはハート形のへこみ、フタにはハート型の出っ張りがついてる。
「形は良いですか」
「すごい。本当にありがとう、コムさん」

背の高いコムさんを振り仰いでお礼を伝えると、コムさんはタウンさんに優しい顔で頷いてから、いつもの笑顔で私に首を振った。
「ではウンスさま。始めましょうか」
夕方あの人に渡すためには、もう時間がない。
それを知ってるタウンさんが私に声をかけた。
「うん、よろしくお願いします」

タウンさんはコムさんに頷き返して、抱える荷物を厨のテーブルに順序良く置いていく。
いつもならタウンさんが調理をしてくれたり、食後には桶を置いて並んで食器を洗ったりする場所。

今日そこに並ぶ材料はすっかりバレンタイン仕様。
私が先に並べてた紙。
皇宮の繍房のオンニに譲ってもらったカラフルな端切れを細く切った手作りリボン。
その横にタウンさんが、食材を取り出して次々に並べてくれる。

ユズ、そば粉、米粉、小豆、ハチミツ、黒砂糖。そして赤茶色の粉。

「タウンさん、これ」
「紅麹の粉です。紅い色のつくものをお探しでしたので」
私の声に頷いて、タウンさんがその粉を指す。
「お作りになってみて、色味を確かめましょう」
怪訝そうな私の顔を見て、タウンさんがにっこり笑う。

ピンクになるようには見えないのよね・・・
不安な気持ちでタウンさんに頷いて、私はスプーンですくった米粉を器に入れる。
その横でタウンさんはにっこりほほ笑んだまま、ザルに入れた小豆を手桶の水で洗い始めた。

 

「コム」

厨の裏口から出て来た大きな背に、後ろから声を掛ける。
「ヨ」
驚いたように眼を瞠る奴に顎を振り、其処から庭の隅へと歩を進める。
「いつ、お戻りに」
並んだコムが小さく呟き、背後の厨の様子を窺う。
「つい今だ」

今朝の寝屋。いつもの朝だった。

朝陽の中で腕の中のこの方と共に起き、顔も口も共に漱いだ。
常ならば長閑に過ごすゆとりはない。
朝餉を搔き込み、慌ただしく共に宅を飛び出すのが精々だ。

それなのに卓向かいのこの方は、妙にゆるゆるとした仕草で朝餉を口へと運ぶ。
「イムジャ」
声を掛けると、陽の中で鳶色の瞳が俺へと上がる。

「な、あに、ヨンア?」
「食欲がないのですか」
問い掛けに首を振ると、この方は慌てたように飯を口に運んだ。

居間にたっぷりと入る朝陽の中で見る限り、常と違う事は無い。
その瞳の色も、白い頬も。
つい先刻まで抱き締めていた体が、いつもと違う熱さ冷たさだった事も。

それならこの眸が、腕が必ず何処かで気付く。自信がある。
首を傾げ、朝餉を食べ始めたこの方へと眸を当てたまま、己の飯をようやく始める。

確信に変わったのは出がけの時だ。
玄関先まで共に歩いたこの方は何故か其処で一人、ぴたりと歩を止めた。
「イムジャ、刻が」
その声には応えず、急に俺の身仕舞を整える手助けをする振りで
「あ、ヨンア」

向き合ったまま、俺の袷の胸紐を細い指先でなぞりつつ
「私、今日昼までお休みだった」
いきなりそんな風に呟いた。

この胸の中、伏せている顔は見えん。
俺の眸の高さから見えるのは亜麻色の髪が半ば隠す横顔と、小さな頭だけだ。
「イムジャ」
「だから、先に行っててね?」

明らかに口から出任せと判る言葉。
「一体何が」
「うーん、忙しくて勘違いしてた?今日、半休なの」
ようやく上げた顔に浮かぶ、明らかな作り笑い。
「お昼過ぎには典医寺に行くから、夕方迎えに来てくれる?」
「それは無論構いませんが、し」
「じゃあ行って、遅刻しちゃう!早く早く!」

しかし明らかにおかしかろう、そう問い詰める隙も与えず。
急に明るい表情になったこの方はまるで追い払うように俺の背を押し、玄関口から手を振った。

「後でね、絶対夕方、迎えに来てね!」

今日何かをするわけか。
その明るい笑顔に見送られ、玄関先から歩き出す。

ここで此方が残っていれば無為に刻だけ過ぎて行く。
それならば一旦退いて見せるのも一つの戦法だ。

そう思いつつ厩からチュホンを牽くと、何食わぬ顔で宅の門を出る。
タウンもコムもいる。余程危険な事でない限り、急場は凌げる筈だ。

それでも面白くない事は変わらない。この眸を盗んで何をする気か。
皇宮への途をチュホンの脚に任せて急ぎつつ、頭の中で計じる。

さて、どうやってあの方の鼻を明かしてやろう。

迂達赤兵舎へと顔を出すと、居並ぶ奴らから朝の挨拶の声が飛ぶ。
「あ、お早うございます」
「おはようございます!」
「お早うございます、大護軍!」
方々から掛かる声に頷いて吹抜へ飛び込み、チュンソクを眸で探す。
「チュンソク!」
声に慌てたように、奴の私室の扉が音高く開く。
「大護軍、お早うございます」

先日暖かかったとはいえ、一冬の根雪を一挙に溶かす力は無い。
鍛錬場はまだ深雪の下。鍛錬は出来ん。
王様の周囲に気掛かりも無く、そして歩哨の奴らに不備も無い。
王様の今日のご予定の中に大きな講義や軍議も無い。
そこまで判じたうえで、眸の前のチュンソクへ問う。

「暫し抜ける。問題ないか」
「勿論です。何かありましたか」

チュンソクは頷きながら、俺の顔色を見て問うた。
何かある前に知らねば遅くなる。故に抜けるのだ。
その声を咽喉元で抑えて首を振る。
「私用だ」
「・・・分かりました」

恐らく本当に、この肚を見透かしているのだろう。
チュンソクは困ったように微笑むと、訳知り顔で頷いた。

 

取って返した宅の裏。
厨から出たコムを捕まえ、目立たぬ庭隅で問う。
「あの方は何をしてる」
コムは厨の裏口を窺いつつ、大きな体を懸命に小さく丸める。
「タウンと共に、何か甘味を拵えて」
「そうか」

あの時の盗み聞きを思い出し息を吐く。
「不思議な形の茶食盤を、ヨンさんのためにとおっしゃって」
コムが小さく笑みながら、俺へと穏やかに諭す。
「とても嬉しそうです」

あの時の明るい声が耳に蘇る。
─── こういう形なんだけど、出来そう?

その形の事か。あの時からあれ程、内密に事を運んでいた。
今更無粋な俺が飛び出して、問い詰める事も無かろう。
少なくとも甘味を拵えている事、そしてタウンとコムがいる事は判った。
あの方に危険が及ばぬなら良い。
「ヨンさん」

顎で頷き踵を返そうとした俺に、コムが声を掛けた。
「おう」
「お倖せですね」
「・・・互いにな」
そう返す声に、半ば髭に隠れたコムの顔が赤くなる。

倖せだ。確かに。
その隠したものが甘味でなくば、尚のこと倖せだ。
しかしコムが言う程に、あの方が嬉しそうならば。

喰えぬものを出されるわけではない。意地でも喰う。
喰わねばまたひと悶着起こるのは、火を見るより明らかだ。

それでも。
厨へ駆け出そうとした足を止める。

此方に内密に事を運ばれるのは面白くない。
朝の出がけまで黙っていた事も。
俺達は互いに ぱあとなあでは無いのか。
忌憚なく肚裡を打ち明け合う約束では無かったのか。

こういう形なんだけど、出来そう?
不思議な形の茶食盤。
ヨンさんのためにと。

「コム」
再び足を止め振り返った俺に、コムは首を傾げた。
「はい」
「どんな形だった」

俺の問いにコムは雪の上に落ちた枝を太い指先で拾い上げ、白い雪にその先端で線を描き始めた。

 

 


 

 

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3 件のコメント

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    さらんさん❤
    お話のUPは、夜かなぁ?と
    思っていたので、嬉しいです(^-^)
    ヨンの「意地でも喰う」に
    爆笑してしまいました~~
    ヨンとウンス コムとタウン
    この二組の絡むお話が素敵で
    私、大好きです❤

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    確かにしあわせで~
    天界の習わしを 取り入れて
    一生懸命 ヨンに愛を伝えてるのよね~
    愛してる人のために 
    嘘や 隠し事がへたくそで 見え見えなのに…
    ナイショで 事をすすめて
    さぷらいず! 
    ヨンはしあわせよ~ ( ̄▽+ ̄*)

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    さらんさん♥
    まさにヴァレンタインデーの今日、甘いお話を更新いただき、ありがとうございます(#^^#)。
    タウンさん・コムさん夫妻に手伝ってもらい、おいしそうなスイーツが出来上がりそうですね♥
    でも、自分のためだと知っても、秘密にされるのが気にいらないですと?
    ヨンったら…ぷっ( ´艸`)。
    さらんさん、チョコかスイーツは送られましたか?♥

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