一服処 | 正月満月 정월 대보름・前篇

 

 

【 正月満月 정월 대보름 】

 

 

「ねえ、チェ・ヨンさん」

赤は破邪の色、魔除けの色。
確かにそう聞いた覚えがある。

ならば今目の前で赤い髪を振り立てるこの方もそうなのだろうか。
怒りを湛えた目で俺を睨んで。
これでは魔除けどころか、この方自らが魔を呼び込みそうだ。

何も言わずに首を振る。怒りの火に油を注がぬように。

取り付く島もない俺の態度に折衝を諦めたか、次にこの方は鼻息も荒く侍医へ振り向いた。

「ねえ、チャン先生」

侍医もどうして良いのか惑うた顔で、此方を伺うように見る。
俺が無言で顎だけを振って応えると、それでも取成すように
「・・・医仙、此度は」
怒るこの方にとも、不愛想にその怒りを無視し続ける俺にともつかぬ穏やかな助け舟を出す。
「隊長とて、お考えあっての事です。ですか」
「だからそのお考えっていうのを聞いてるんでしょ?」

取成しの途中に烈しい声が飛ぶ。
言い終える事すら許されず、侍医は苦笑を浮かべると
「隊長・・・」
とだけ呟いて、陽の傾き始めた窓外へ眸を遣った。

「だいたい何なの?高麗には小正月って風習はないわけ?!
年で一番大きい満月が見える夜なのに、どうして外に出ちゃいけないの?!」
「小正月はございますが・・・何分にも今は、時期が」
「キチョルがうるさいから?」
「ええ」
侍医はようやく本筋へ戻ったこの方に安堵の笑みを浮かべる。

「だから、外って言っても別に町に行かなくてもいいのよ。せめて典医寺じゃなくて、どこか別のとこ」

・・・自覚はあるものの、全く理解はしていない。
ご自身がどれ程厄介な相手に目を付けられたか。
侍医が呆気に取られた顔でこの方を見、俺の代わりに滾々と諭す。

「医仙。ご存知でしょう、徳成府院君は何処であれ出入り自由です。開京の町だけではなく、皇宮内でも」
「だからさっきから言ってるじゃない、勝手に出かけたら迷惑かけるだろうから、こうやって先に。
出かけたいから付き合ってって。無視してるのはそっちでしょ」

どうにも話が噛み合わん。
俺は態度で、侍医は言葉で、出るなと言っているのだ。
典医寺から一歩も出ずに身を隠し、大人しく息を潜めていろと。

無視しているのは付き合う気などないからだ。
満月だか何だか知らぬが、この方の気儘な散策に割く人手はない。
ご自身でたった今おっしゃった通り。
奇轍が何を企んでいるか、何処に笛男や火女を放っているか判ったものではない。

典医寺であれば人目もある。侍医が居り、トクマンも置いている。
万一此処で事が起きれば、迂達赤の援軍を遣るにも市井より易い。
そして無視しているのは其方と言われた以上、俺の返答を待っているのも判った。

何故こんな疲れる遣り取りをせねばならん。
答など判っているから敢えて口にせぬのに。
「大満月が見たければ、中秋に」
「そんな時までここにいるかどうか、分からないでしょ?」

口走った後、この方は驚いたように唇を結ぶ。
成程な。確かにそうだ。帰すなら一刻も早く。
「では、お諦め下さい」

帰れば良い。帰せばこんな気疲れも終わる。
これ以上の言い合いなど無駄だ。
言うべきことを吐き捨て踵を返した俺に、この方が叫ぶ。
「だから!」

その時侍医は何を思ったか、ふと椅子を立つと俺に頭を下げ静かに部屋を抜けて行く。
この方は二人きりで残されたのに気付いたのか気付かぬのか、俺を見たまま声を続ける。
「だから、いつまでいるか分からないから、お、もいでを」
「思い出」
「そうよ。少なくともしばらくはここにいるんだし、経験出来る事は」

思い出が何だ。命あっての物種だろう。
奇轍か、若しくは奴の放った手下に狙われれば思い出どころの話ではない。
今宵眺める小正月の満月が、今生の最期の月景色になったら如何する。
誓い通り無事で、一日も早く帰したい。
そんな此方の気持ちは通じないのか。

散々続いた無為な口論を締め括ろうと、僅かに唇を開きかけた目前。
この方は敗軍の将のような悔しげな顔で、この眸から視線を逸らし呟いた。

「出来る事は、一緒に・・・」

その一言で情けないほど心が揺らぐ。
そんな事を言われれば、何としてでも守りたくなる。
トクマンを付けるか。侍医に守らせるか。
答など判っているから敢えて口にしない。

「・・・出来るだけ早い刻に」
それだけ残し、此度こそ踵を返す。
「迎えに来てくれるの?!」
背から掛かる声に後ろ姿のまま頷き、俺は無言で部屋を出た。

待ってるから、必ず来てね!なるべく早くね!

扉を閉める寸前に掛かる、部屋からの声を最後に。

振り向けば笑って手を振る姿を見てしまうだろう。
慶昌君媽媽と並んだ、あの庵の時と同じように。

見てしまえば何かが変わるから、振り向く度胸はない。

 

*****

 

衛の厚さを講じる以上、皇宮から出るわけにはいかん。
満月台であれば大満月はよく見えるだろうが、陽が落ちれば書雲観も人気が絶える。

皇宮で月が見え、守りも厚く、いざとなればあの方を逃がせる処。
典医寺から出たいとおっしゃる以上、薬園の裏ではまた機嫌を損ねる。

何故たかが小正月の月見に、俺が頭を悩ませねばならぬのか。
そう考えつつ迂達赤兵舎に戻るや、吹抜けで姿を見つけたトルベが駆け寄った。
「お帰りなさい、隊長」
「・・・ああ」
「隊長」

不思議そうに首を傾げた後、トルベは何も言わず笑って頷いた。

 

「おい、テマナ」
隊長と一緒に帰って来た兵舎。
二階に上がった隊長の背中を確かめてたら、いきなりトルベに腕をつかまれる。
「何処に行ってた」
「ちょ、典医寺」

一回逃がしちゃったから、俺は医仙の守りにつけてもらえない。
俺だって頑張れる。トクマンと同じくらいには役に立つ。
隊長にそれを見て欲しくて、どこに行くにもくっついて行く。

今日の出先は典医寺だった。正直に伝えると
「何か良い事があったのか」
トルベはそう言って、俺と並んで階段の上を見た。

医仙の部屋に一緒に入る事はないから分からない。
正直に首を振ってから、俺は言った。
「それはし、知らない。でも、嬉しそうだから」

俺の声にトルベも大きく頷いた。
俺もトルベも、わざわざ聞いたりしない。
隊長が嬉しそうだから、それだけでいいから。
「小正月だしな。今晩は満月だろう」

トルベは思い出したように、吹抜けの天井窓を見上げる。
「・・・うん、でも」
困った俺が言うと、天井を見上げてた目が下りて来て俺を見る。
「どうした」

感じるもんは仕方ない。風が、そして雲が言うのが聞こえる。
山で聞こえたみたいに、開京でもその声は聞こえる。
「ゆ、ゆ雪が降るかも」

嘘なんか言えない。
聞こえた声をそのまんま伝えると、俺を見るトルベの目が大きくなった。

 

 

 

 

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2 件のコメント

  • テジャンの機嫌が
    手に取るように…
    感情がおもてにでない人なのに
    医仙にかかれば ちょちょいのちょい
    テジャンが好きな みんなには
    うれしいことよねぇ

  • ヨンとウンスの切ない時期のお話ですね。
    懐かしいです。
    さらんさん家のシンイの家族が素敵で大好きです~(^.^)

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