【 天泣 】
天が泣いている。
誰かの代わりに冷たい雨を降らせて。
口に出せない想いを乗せて、天が泣いている。
あなたが好きだと知った日から鬱陶しいと思う事はなかった。
凍りかけた俺を包み、溶かし、温めてくれた優しい天啓の雫。
そして今日、天は泣いている。
冷たく全身を打つ大粒の雨。
「・・・大護軍」
どれくらいそうしていたのだろう。
背後から掛かる声に、振り向かぬまま腰を上げる。
「何人だ」
膝を折り手を合わせていた目前の土饅頭は、かなりの大きさだった。
「三名です。あの烈しさでこれだけの人数で済んだのは・・・」
其処まで聞いて振り返った俺の眸を見て、国境隊長は赤い拳で口許を抑えた。
こびり付き乾いたその血は敵のものか。それとも眠る朋のものか。
拳の陰で息を整え、もう一度確りと言う。
「・・・済んだのは、大護軍のお陰です」
「誰だ」
「弓隊一名、歩兵二名です」
そうではない。訊きたいのはそんな事ではない。
雨に濡れていく掘ったばかりの土饅頭、冷たい土の中に眠る男達。
名は何だ。どんな奴だった。何処に生まれ何が好きだった。
家族は健在か。健在ならばこの訃報の連絡はしているのか。
「全員、大護軍を心から尊敬していました。共に戦える事を、誇りに思っていました」
そんな戯言はどうでも良い。命あっての物種だ。
どれ程慕った相手でも、死なせてしまえばどうしようもない。
確かに戦闘の烈しさからすれば、死者三名で済んだと言う奴もおろう。
だがそうではない。三名だろうと三千名だろうと、数ではない。
何を言おうと言い訳にしかならない。
俺が率いた此度の進軍、そして朋が死んだ。
それだけが事実。責は全て俺にある。
盛ったばかりの土饅頭の面に染みこむのは涙雨。
土中の朋にどれだけ侘びようと、声は届かない。
*********
「・・・雨」
静かな薬房の窓から聞こえる、パタパタと地面を打つ水の音。
顔を上げて外を見れば、黒い空からかなりの勢いで落ちて来る雨。
「血」
劉先生が私の声に、首を傾げて心配そうに言った。
「ああ、違います。ピじゃなくて、ビ」
韓国語の激音は慣れないと発音も聞き分けも難しい。
外国人の患者も施術したし、理屈では分かっているつもりだけど。
「雨」
「はい、先生」
激しくなり始めた雨音に、じっと耳を澄ませる。
しんとした薬房の静寂を破ったのは、雨の中を駈けて来る足音。
大きな音を立てて開かれた扉、飛び込んで来た影は入り口で上着を脱ぎながら
「かなり降りそうです」
そう言いながら頭から濡れた姿で私を、次に先生を見た。
そして先生に何かを言って、先生がそれに言葉を返す。
二言三言の会話の後に、もう一度私に振り向いたソンジンは少し首を傾げる。
「大丈夫か、ウンス」
そう聞かれて、窓の外に気を取られていた私は視線を戻す。
季節外れの表の雨は、春雨にはふさわしくない。
しっとり辺りを濡らすような優しい雨じゃない。
まるで空が泣いてるみたいな、凍えるような雨。
「この空模様では今日はもう患者も来ぬ。良ければ帰れと先生が」
ソンジンの声に先生も頷いて、心配そうに私を見る。
「ウンス、帰る。家で休む」
二人の声に促されるように、私は座っていた椅子から腰を上げた。
雨の運ぶ湿った風が、開けていた窓から薬房の中に吹き込んだ。
*********
鴨緑江沿い、今日の戦闘で奪還した故領にほど近い野営地。
既に近くに敵はない。大方を捕縛し、残りは鴨緑江を渡って元へ逃げ戻ったか、討ち死にしたか。
野営地に張られた天幕の合間、焚いた篝火がまだ落ちる雨を照らして揺れる。
厚い天幕に映る橙色の影を見る。
天幕の扉横、テマンがふと顔を上げた。
近付いてくる足音に気付いたのだろう。
足音は二つ。聞き慣れた国境隊長と副隊長のもの。
テマンが立ち上がると同時に、天幕の扉布の外で声がした。
「大護軍」
声を聞き、テマンは招き入れるべきか迷ったように振り返る。
俺が眸だけで頷くと扉布を手で払い、表の人影へ頭を下げる。
「どうぞ」
奴に礼を返しながら国境隊長、続いて副隊長が並んで天幕へ入って来る。
外の雨はまだ止む気配はない。
張った天幕の杭下から染み入り、天幕内を湿らせる。
雨中を此処まで歩いた隊長も副隊長も、重そうに濡れた外套の頭巾を脱ぐと頭を下げた。
「お休みのところ、申し訳ありません」
「兵はどうだ」
「大きな怪我人はいません」
「天幕は足りているか」
「はい。半分の兵は先に北方兵舎に戻っているので」
不幸中の幸いだ。朋を失ってこの雨の中、野晒しでは気が滅入る。
小さく頷く俺を確かめ、国境副隊長が小さく言った。
「家族に連絡がつきました。遺品を取りにすぐ此方へ向かうと」
「・・・そうか」
今宵はきっと長い夜になる。
雨の打つ音の響く天幕の天井を見上げ、胸に溜まった息を吐く。
*********
家への帰り道。
振り返れば雨の中の影。
かける言葉も見つからないから、もう一度前に向き直る。
何故そうやって。
ついて来ないでと怒りたい。守って欲しいのはあなたにじゃない。
でも寒い雨の中、濡れた人を追い払うほど残酷になり切れなくて。
後ろから守ってくれる気配が、泣きたいくらい懐かしい気がして。
あんなに好きなはずなのに、今日は悲しくて空を見上げる。
重苦しい灰色の空。まっすぐな線を描いて落ちて来る雨。
その水滴に打たれて、あっという間にびしょ濡れになる。
それでいい。あなたにあの日言ったもの。
雨が降り始める瞬間。ぽつんと落ちて来て、あれ?って。
顔中濡れてしまえば、誰にも見分けなんかつかないはず。
私の頬から、顎から、目尻から流れ落ちるのが雨か涙か。
そしてあなただけは絶対に間違えないはず。
困った顔をしてその指で拭いてくれるはず。
そうでしょ?
立ち止まって空を見上げていた視界が、前触れなく遮られた。
顔中に打ち付けてた雨が止む。目の前に大きく広げた手の平の傘。
驚いて瞬きをして、目の中の水滴を振り払う。
「・・・泣くな」
影は真後ろから、手の平で雨宿りしてる私に小さく言った。
仰向いている私の頭が、胸にくっつきそうなくらい近くで。
振り返れば思ってた以上に、近くなっていたソンジンの影。
「拭ってやれぬから、泣くな」
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雨は…ダメだわ
気が滅入っちゃう。
_(:3 」∠)_
離ればなれで過ごす日々。それぞれの苦悩がある。先の見えないトンネルの中を進む二人が切ないです。
久しぶりの名前『ソンジン』
なんだか心が揺れます
そしてヨンとウンス、離れていても心の時が重なる
心がせつなくなります
読みながら亡き父を思い出しましたφ(..)ヨンアとウンスとソンジン…離れているけど互いに思うところありね…私も優しい雨は好きです。激しい雨は憂鬱になりますよね(´д`|||)
さらん様
遅れ馳せで、今頃(しかも仕事帰りの電車の中で)読んでいましたが、どうしましょう~、涙が止まらない。
花粉症のふりして、マスクとハンカチで顔隠してます。