曼珠沙華 | 10(終)

 

 

油灯を灯した部屋の中。
風呂上りの濡れ髪を纏めながら、この方は開け放した障子の外に目を投げる。

あの時俺は閉められた障子の向こうに座り、この方の横顔の影を指で追うだけだった。
今はこうして同じ部屋、その息が聞こえる、手を伸ばせば触れられるほどの距離にいる。

「・・・帰って来たわ」
そのしみじみとした声に頷く。
「はい」
「これからは、ずっと一緒?」
「はい」
「夢みたい」
この方が瞳を閉じ、静かに呟く。

夢みたい、か。

そうだな。そんな夢を、ずっと見ていた。
幾度も季節が変わり、何時か戻ってくると信じ。
この方の姿のみ、いつも探し求めていた。

「ずっと、此処におりました」
俺はこの方の前に立った。

俺を見上げる瞳。
夢の中では聞こえなかった声。

俺の胸の中で、痞える言葉。

「イムジャが戻ってくることを、信じておりました」

その声が震えているのに気付き、この方が俺の頬に手を当てる。

「なぜあなたなのか、ずっと考えておりました」
小さな手を頬に受け、この方の瞳を見て伝える。

「天界より無理やりお連れしたせいか。
我が武士の名を懸けた約束のせいか。
それを果たせなかった責任感よりかと、そう思ったこともあります」

あなたが静かに頷く。
その瞳の中に油灯が映り込む。
暖かい焔が揺れる瞳を見つめながら、痞える言葉をようやく繋ぐ。

「あなたの我儘に、本気で呆れたこともあります。
あなたに泣かれるたびに、如何すれば良いか判らず」
この方が小さく笑う。
「そうして笑う顔を見るたびに、心から安堵し」

俺は深く息を吐いた。
「徳興君に毒を盛られたあなたが、天界に帰らず此処に残るとおっしゃった時は、本気で腹を立てました。
どこまで愚かな方なのか。
俺のために自分の命を救う道を捨てるとは、と」
「あなたのためだけじゃない」
この方がそっと首を振った。

「私が一緒にいたかった。2人の心を守るために。
私たちが2人で一緒に幸せになるために。
知ってるでしょ、私がどんなに手がかかるか。
いい加減慣れた方がいいわ」

俺を見つめる瞳が、ゆっくり三日月の形に微笑む。

俺はその言葉に頷いた。
「あの時もおっしゃった。
だが、いつまで経っても慣れません。
今まで俺の周りにそんな捨て身で我儘を通す人間は、誰一人おりませんでしたから」

この方が笑うように、ふ、と息を吐く。
その唇の形。

「俺は、皆の言う通り、病かもしれない」

それを聞いたこの方の目が、大きく開く。

「イムジャの事を考えるといつも胸の中に何かが痞え、今こうしていても、うまく言えぬ。
離れていれば、イムジャの事ばかりを考える。
こうして側にいても、もっと側にと、恋しくてならぬ。
俺とて役目があり、イムジャに寂しい思いをさせている。
判っているのにどうにもならずに、もどかしい。
そのくせ俺の代わりに守りにつく他の兵からさえあなたを隠してしまいたいと、狭量な事まで思う始末」

あなたは其処で、そっと俺に尋ねた。
「ねえ。王様か王妃媽媽から、何か聞いた?」

突然挙がった御名に、合点がいかず首を振る。

「いや、全く。
このような事、王様や王妃媽媽にお話しする事ではないでしょう」
「そう、よね・・・」
あなたはそう言って頷くと、俺の眸を覗き込んだ。

「ねえ、今、とても不思議なことを考えてる。
私ね、昔、今のあなたと同じことを、ある方に言ったことがあるの。
言葉にならないほど相手を想い、側にいるのに恋しいと思う」

あなたの微笑んだ両目から、涙の粒がはらはら落ちた。

「それが、愛です、って」

その一言が、この想いが全て詰まった天界の言葉か。

サラン、サラン。

俺はその言葉を口の中に何度も呟いた。

「俺は、イムジャを、愛しているのですね」
あなたがその声に泣きながら笑う。

「そうよ。私があなたを愛してるのと同じくらい。
でも、あなたは天界語、苦手でしょう」
半泣きの笑み声で言いながら、俺の眸を覗き込む。

「正直、慣れませんが」
告白する。心から。

「愛している、とだけ言えば。
イムジャはその気持ちの中身が、全て判りますか。

うまく眠れぬほどにあなたを慕っていることも、
時折その我儘に本気で手古摺っていることも、

ひと時もあなたから目を離したくないことも、
他の男に泣き顔も笑顔を見せるなと言いたいことも、

身も心も永遠に俺だけのものにしたいと思っていることも、
命を懸けてあなたの全てを護りたいと願っていることも、
そして傷つけるものは決して赦さぬと誓っていることも、

愛している、と一言だけ言えば、
あなたには、正しく伝わりますか」

あなたは涙を零したまま、何度も何度も頷く。

深く呼吸をし、俺は初めて、その言葉を舌にのせる。

「愛している」

この一言で、全て伝わる事のみ祈る。

「愛している」

だから泣き止んでほしいのだ。
そっとあなたの肩に手を掛ける。

「・・・愛している」
そのまま額をつけ、瞳を覗いても、この方は全く泣き止む気配がない。

「・・・伝わっておりますか」

そう静かに訊ねると
「伝わってる。泣き止んでほしいんでしょう。
余計泣かせてどうするの」
あなたは涙で顔をくしゃくしゃにして、頬に当てていた手を降ろすと、
俺の胸を優しく軽く、幾度も叩く。

「私も、愛してる」

俺の目を見つめてそう返されるだけで
あなたの心が全て、俺の胸の内に流れてくる気がするのは何故だろう。

この方の、故郷を離れた寂しさや不安のことも
それ以上に俺を想い幸せにしたいと願って下さることも
この方が泣くのはいつでも俺のためだということも
俺のためにだけ旅をしてきたことも、全てわかるのは。

「私の世界に、こんな言葉がある」
あなたが涙を拭いて俺を見る。

「ソウルメイト。ベターハーフ。いろんな言い方があるけど」
俺の胸に顔を寄せて、俺を抱き締めて。

胸に顔を隠されたせいで
今、この方の目は見えぬ。
その唇を読むこともできぬ。

それでもこの方の今の瞳を、言葉を紡ぐ唇を、
俺は鮮やかに思い出すことができる。

「魂の片割れ。昔二つに割れた魂が、もう一度一つになりたいと、ずっと探し続ける相手。
ここにいた。やっと、逢えた。一目見た瞬間、そんな気分がする人よ。
何度生まれ変わっても、必ず巡り逢える。
お互いの為に、出逢う為に、生まれた二人。

あなたが私の、その人だった」

ああ、そうだったか。

全ての疑問が腑に落ちた。
俺の無意識の底でこの方に逢えたのも。
あの時雷功が撃てたのも。

天界で初めて見た時より、この方から目が離せなかったことも。

あの雪の中、テマンが俺に言ったことも。

医仙は待ってる。大護軍を待ってる。
生きるために必要だから。

「先の世界では、私にとってのあなたを、チャギヤと呼ぶの」

その不思議な言葉に首を捻る。

「俺の事を、自分、と呼ぶのですか」
「そうよ。自分の分身ほど近い。自分の血を分けたほど愛しい。
ようやく、逢えた」

そう言って背中に回したこの方の手が
震えながら強く、優しく俺を抱き締める。

そして涙に濡れた顔を上げ、
俺の瞳を鼻が触れるほど本当に間近で覗き込み、
次の瞬間、俺の左の眉に、震える指をそっと伸ばした。

「新たな傷ではない。生まれた時からあるのです」

安心させようと告げる俺の顔を
とても大切なものを触れるように、
ゆっくりと、ゆっくりと、幾度も細い指先で撫でて。

「知ってる。あそこに、いてくれたの。
やっぱり、あなただったの。だから、あんなに」

聞かなくとも、判る気がする。

俺達は幾度でも、幾度でも巡り逢う。

春に花が咲き、夏に蝉が鳴き、
秋に葉が舞い、冬に雪が降り、
幾度季節が廻ろうと、変わらぬものがそこにある。

星の光が降るように、月の光が灯るように、
暗い夜は必ず明け、明るい朝が来るように。

たとえこの命が尽きようと、離れる気はせぬ。
たとえこの方が離れようと、失う気はせぬ。

俺の、魂の片割れ。

ようやく、逢えた。

 

 

【 曼珠沙華 ~ Fin ~】

 

 

 

 

【曼珠沙華】終了です。

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2 件のコメント

  • 愛しているという言葉をこんなにうまく表現されるさらんさんの文才は素晴らしくて
    すごいです。読みながら棟が熱くなりました。読みながら胸がドキドキして、愛という言葉の意味をこんなにもわかりやすく、そして愛しあう二人の会話にのせたお話は初めてです。もう一度噛み締めるように読みたいです。

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