2014.09.02 ■六花さらん

六花｜１

【六花】

元よりの王様の帰還の同行を終え、久々に戻った典医寺。
庭の縁台に余すところなく広げて干される数々の薬草の匂いが、私の心をこの上なく落ち着かせる。

しかし共にお連れした天の医員様は、この匂いがどうにもお気に召さないらしい。

ここにお連れした翌朝、私の顔を見るなり
「凄い匂い。おかげで全然寝られませんでした」
と、ひとしきり苦情を訴えられた。

朝の膳を運んできたトギにしてみれば、薬効の試し過ぎで己の声を失うほどに情熱を傾ける薬草の研究を、貶されたとでも思ったか。
明からさまに不機嫌な様子で膳を卓に放りだし、足音高く居所を出て行く。

どちらの気持ちも分かると苦笑し、この諍いには門外漢を決め込もうと、私は口を閉じる。

********

華陀の医術については聞いたことがある。
本当ならば是非見てみたい、習得したいと思ってきた。
医術を志すものなら当然の憧れであろう。
人の命を救いたい。己の全力で治したい。
そう思って医術を学び、施すのだから。
しかし本当に見られる時が来るとは、夢にも思ってもいなかった。

迂達赤隊長が天界の医員であるこの方を伴い、初めて深手を負った王妃媽媽の部屋に入って来た時。
そしてこの方が意味の判らぬ天界語で話しながら、隊長がその横で全て理解しているかのように的確に、天界の医術道具を手渡している時。

か弱い姿の女人が、掻き切られた跡も生々しい王妃媽媽の喉に天界の道具を差し込み、どの点穴を突いても回復は難いと私が判断した傷を、ものの見事に治療された時。

疎外された気持ちになったのは否めない。
その分天界の方が発した言葉を漏らさず聞き、その度隊長が手渡す道具の、それぞれの形状を頭に刻む。
今まで師事したどの師匠よりも確実に、短い時間で王妃媽媽の頸の深い傷を治された天界の医員。

その技。その精神力。その集中力。

私にとっては全て初めて目にするものばかりだった。
素晴らしい。凄まじいと言っても、良いかもしれない。
王妃媽媽の御体の状況からすれば許されることではないが、この胸が躍るようにときめく。天の医員から目が離せない。

そして天の医員がご自分の手で迂達赤隊長を刺した上でその血に塗れた隊長を宿に連れて戻り、あまつさえその隊長を治療するとおっしゃった時。

己で刺しておいて、何を言う。
まさかこのまま隊長を殺める気かと疑う私に、天の医員は真直ぐな眼差しでこう断言した。

「私を信じて」

ここまでくれば信ずるしかないと覚悟を決めて、私は天の医員の助手についたのだ。

先に王妃媽媽の手当てで聞き及んだ天界語で話されても、そう戸惑うことなく天界の道具を渡せた。
目に見えぬほど恐ろしく細い血脈の一本までを摘みあげ、丁寧に縫い合わせ、焼いた鍼で止血しながら天の医員は少し満足そうに微笑んで下さった。

そして隊長の傷が癒えぬままの、帰京までの強行軍の最中。

迂達赤隊長として襲撃後の敵味方の判じられぬ混沌、国境超えの緊張の中。
まして十年も故国を離れていた王様のご帰国中の護衛とあっては、体の異変を周囲に悟られることは決して許さぬのだろうと察したが。

私ならば、あの医術を目に出来る機会あらば、打診だろうが問診だろうが絶対にこの方を拒んだりせぬのに。
固い表情でいつも通り振る舞おうとする、具合の悪そうな隊長を見ながら、本心よりそう思ったものだった。

新章【六花】開始です。

楽しんで頂けた時はポチっと頂けたら嬉しいです。
今日のクリック　ありがとうございます。

SECRET: 0
PASS:
大王の時もそうですがミステリアスな雰囲気が素敵です。彼の周りだけゆっくり淡々と時が流れるようですね。楽しみです。

RECOMMENDこちらの記事も人気です。