2014.10.26 ■巴巽村さらん

巴巽村｜雨夜

「二夜待ってほしいですだ。それで最高の針を作って見せますだよ」
確約した女鍛冶屋に頷く。
「待つ」

村長の庵を出ると、いよいよ外は雨が降りだしていた。
この方の好きな雨だ。

二人で軒下で立ち止る。
「降って来た」
あなたの声に天を仰ぐ。
「今でも好きですか、雨が」
「うん、好き」
あなたは俺の横に添い、同じく空を仰ぐ。
「今はあなたと一緒に見る雨が一番好き」

その声に視線を下げると、空を見上げていたはずの瞳は俺を見ていた。
雨の中、二人の目が合う。

「大護軍、こっちだ」
大男が雨の中から俺達を呼ぶ。
俺はその声に顔を向ける。
上衣を広げこの方の体を包み、二人で雨の中に走り出る。

「空家だからな、不便は我慢しろ。飯は運ぶ」
村の一軒の庵に通された俺達に、大男はそう言って笑った。
「すまんな」
俺の声に男は首を振る。

「鍛冶のところに客が来るたびここを使ってる。客には慣れてる。客の方が不便をするようだ」
「屋根があれば十分だ」
「天下の大護軍でもそんなもんか」
「お前らと変わらん。兵だろうが」
「あんたのそういうとこが、俺は気に入ってる」

大男はようやく子供のようににこりと笑い、少しだけ優しい目でこの方を見る。
「あんたが医仙か」
この方がそう呼ばれて頷く。
「ウンスです」
「大護軍をよろしくな」
「任せて下さい！」

男の言葉に胸を張るように頷くこの方を見て、此方は苦笑するしかない。

********

雨は強まり弱まりを繰り返し、いつまでも降り続く。
その夕。俺達の庵に工房から一人の遣いが訪れた。
「大護軍、鍛冶が呼んでます。剣を持って来いと」

俺達が工房に向かうと、素早く見つけた鍛冶が
「ああ、医仙。型を取りましたですよ」

そう言って針の型らしき板をこの方に見せる。
「どうですかよ」
「良いです、この細さならばっちりです。一度型を取ってもらえば、足りなくなったらまた作ってもらえますか？」
「もちろん、作りますだよ」

鍛冶がこの方の言葉に笑って請け負う。
「良かった、ありがとうございます。こんなに早く作ってもらえるなんて」
「戦は待ってくれませんだよ」

鍛冶がこの方に言う。この方ははっとしたように口を噤む。
鍛冶はそんなこの方を安心させるように頷く。
そして俺に視線を移すと
「大護軍、鬼剣を見せてほしいですだよ」

その言葉に頷き、鬼剣を鞘ごと鍛冶に渡す。
鬼剣を受け取った鍛冶は、鞘から迷いなく剣を抜く。

「相変わらずですだ」

鬼剣を目の前に掲げ首を傾けて、左右からその刃を眺めた後。
鍛冶は己の鬢より髪を一本抜き、鬼剣の刃の前で抜いた髪に向かい、静かに小さく息を吹きかける。

その髪はふと揺れて刃に触れた刹那、二つに切れた。

「相変わらずですだよ」
鍛冶はもう一度同じ言葉を繰り返し、剣を鞘に納め直してこの手に確りと渡す。
「大切にするですだよ、大護軍」

鍛冶の目を見て俺は頷いた。

********

運ばれた飯を済ませた後。
夜の窓の外に降り続く雨を見ていた。

雨が好きだと聞いてから、幾度こうして降る雨を見上げたか。

「イムジャ」
俺が静かに呼ぶと俺の横のこの方が
「うん？」
と、そっと返答する。

「俺が生き返った時の話を、しましたか」
「･･･聞いてない」
あなたが静かに首を振る。

「雨が降ってくれたおかげです」

奇轍の氷功に撃たれ、あなたが連れ去られ、半ば凍った俺があの丘に打ち捨てられていた時。

空を見上げたままのこの左頬に、ぽつりと当たるものがあった。

見上げた空から暖かい雨が、ぽつり、ぽつりと落ちてきた。
空は決して暗くないというのに。

俺の全身を濡らすように。
俺の全身を包むように。

「あの時雨を降らせ、俺を溶かしたのはイムジャだったと、今でも信じております」

そう言う俺にこの方がそっと手を伸ばす。
頬に触れ、眉を撫で、幾度も愛おしそうに。

「あなたに逢った話をしたかな」
この方に切り出され、俺は首を振る。
「･･･いいえ」

「あなたと離れている間に、帰りたくて探してる時にあなたに逢った。
私を護ってくれた。命懸けで。だから帰って来られた。あなたが導いてくれたから」

開京に戻った夜、泣きながら俺の左眉に触れた。
あの時のこの方の、優しい指を思い出す。
そうしながら俺は己の中に湧く不思議な思いを味わう。

何だ、これは。
俺に逢ったと、この方はおっしゃっている。
それなのに俺は今、誰を相手に悋気を抱いている。

「俺、でしたか」
「え？」
この方は俺の顔に手を伸ばしたまま、不思議そうな声を上げる。
「それは、まことに俺でしたか」
「･･･うん」

それならば悋気を抱いても意味はない。
「ならば良いのです」
その声にこの方が、ふ、と笑う。

「･･･何ですか」
少しばかり臍を曲げたまま、俺はこの方に問い返した。
「あなたって、本当に･･･」

其処まで言ってこの方は腕を伸ばし、俺の首を抱くと強く引き寄せた。
そして俺の耳にその唇を近づけて、息を零しながら

･･･ほんとに、可愛い。

そう言って、耳朶を噛んだ。

ふざけるな。

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28 件のコメント

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覚えがない昔の事。その自分に嫉妬する。
可愛いですね
また来ます

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