碇草 | 肆

 

 

「申し訳ありません!」

今にも吹抜の土間に額を擦りつけそうな程に、深々と頭を下げるチュンソクの姿を見る。
「チェ尚宮殿より言伝を頂いております」
「何の」
「大護軍がいらしたら、すぐにお宅へお返しするようにと」
「言わねば知られん」
「いえ、実は」

チュンソクは尚も言い辛そうに、顔を伏せたまま繋げた。
「言伝はチェ尚宮殿よりですが、王妃媽媽の御達しです」

あの方だ。
これ程早く皇宮に、まして王妃媽媽に願いが届くなど、そうとしか考えられん。
今になってチュホンを置いてきた事を悔いる。タウンでも止められなかったという事か。

何故だ。何故誰も彼もが、あの方にこれ程甘い。
「大護軍」
委細を知らぬチュンソクが不安げに、吹抜に立ち尽くす俺へと問い掛ける。
「お帰りなら、早い方が。雪がひどくなる前に」

その声に応える気すら失せ、無言で吹抜の扉から抜ける。
歩き出した雪の中。
あの方が王妃媽媽へお願いするなら、此方は王様へ頼むかと雑念が過る。

そのまま足を止め、風花の舞い落ちる空を見上げる。
天にお願いするなど出来る訳が無い。どの面下げて願い出る。
薬を盛られ宅に戻れぬ、だから一晩王様の歩哨をとか。

咽喉の奥で低く哂う。言える訳が無い。
諦めに吐いた息は白く太く、黒い空へと流れていく。

顔を戻すと眸を眇め、暗い雪の向こうを見据えて歩き出す。
あの方が待っている。きっとこの雪の中、髪も頬も凍らせて。

 

*****

 

「ヨンア!」

思った通りだ。
門の脇の木陰、タウンに寄り添われコムの守りの横に立ち尽くす影が小さな叫び声と共に、一本道を駆けてくる。
「良かった、帰ってきた!無事?体調は?」

心配そうな声に頷き、羽織った外套を脱ぐと冷え切ったこの方を包む。
なるべくその小さな体に、この指先が触れぬように。
そしてコムらが守る門をくぐる。

「体調は問題なく」
「そうなの、良かった。心配で叔母様と媽媽にも連絡したのよ。あなたが皇宮に寄ったら、必ずまっすぐ返して下さいって」
素知らぬ顔でその声を聞く。とうに知っている、あなた方のその遣り取りは。

「イムジャ」
「なあに?」
この体を慮って下さったことは判っている。
心を痛めた事には申し訳ない。
それでも今宵共に居る訳にはいかん。
まだ歯止めが利くうちに伝えねばならん。

「今宵は、別の部屋で休みたく」
「何故?師叔に何か言われた?薬の副作用なの?脈診では特に感染するような病じゃないと思うんだけどな」
「うつる病ではなく」
「じゃあなんで?」
「何故と言われても・・・」
「心配だから、嫌。一緒にいさせて?ん?」

ああ、無意識なのだろう。だが今の俺には辛すぎる。
あなたの全てが辛すぎる。だから傍には居られない。
それでもそう伝える事も辛い。伝えればこの方との約束を破る事になる。
どんなに喧嘩をしても、一緒に眠りたい。
あの時望んだこの方に約束をした、必ずそうすると。

言葉に詰まった俺が、共に居る事を了承したと思ったのだろう。
この方が俺の腕にぶら下がるように細い腕を絡める。
「ご飯は?」
「いや、本当に・・・」
「食べる、食べない?」
「いや、今は」
「しっかり食べてほしいけど、食欲もなさそうだし。じゃあ、お酒にしよう!2人で飲もう!おつまみはあるから、ね?」

嬉しそうにこの腕に掴まり、弾むように隣に寄り添う小さな体。
眼差しがこの眸を掠め、髪の花の香が鼻先を掠め、体が腕に掠るたび、どうしようもなく肚が熱くなる。
そして冬夜の雪空よりも、この眸の前が暗くなる。
これ程黒い想いを抱いて宅へ踏み込むのは初めてだ。
この方との約束を破るか、それともこの慾に負けるか。

明日の曙光は、まだ気が遠くなるほど遥か彼方にある。

居間にはタウンとこの方の手で、すぐに酒の用意がされる。
甲斐甲斐しく立ち働く小さな背から目を逸らし、柱の木目を睨み付ける。

斬られた傷や回った毒なら気で操りも抑えもできる。
しかし調息すら出来ぬ程、こうも内気が乱れている。
この方から眸を逸らさねばと分かっていても、ふと気が付けばその姿を追い駆けている。

亜麻色の髪の流れる跡を。
鳶色の瞳の視線の先を。
紅い唇の動きのさまを。
追い出すように固く眸を閉じ、この掌で無理に覆う。
それでも瞼の裏に結ぶ残像で肚は焼ける。

無理にでも離れねば、思ってもみぬ言葉であなたを驚かせるだろう。
無理にでも追い出さねば、己自身があなたを傷つけてしまうだろう。
そうしないために今宵一晩、離れて待つしかない。

「どうしたの?」
高い声と共に急に傍に寄る暖かく柔らかい気配に、思わず半身飛び退く。
その俺に、其処へ座り込んだままでこの方の目が丸くなる。

「ど、どうしたの、そんなに離れて」
「いや、それは」
「なんだか変よ」
「いや・・・」
「急に近づかれるのが嫌?」
此方へ寄ろうとした膝を改め、この方は床の上で姿勢を正した。

「じゃあ、はい。こっちに来て?」
そう言って笑い、俺に向かい両の腕を広げるあなた。
「急には近づかないから、ね?」
其処へ近付くことも、背を向けることも出来ん。

「ああ、腕が痛くなってきたなあ」
わざとらしくこの眸を覗き、眉を顰める愛おしいあなた。
「早く、来てほしいなあ。疲れてきたわ」
口ではそう言いつつ、花のように笑う俺だけのあなた。

居間の中、外の寒さで凍った体も溶け切らぬまま、いつでもそうして俺を待ち続けるあなた。

呼び続けるわ。そこにいる?

そうだ、あなたはそうして俺だけを呼び続ける方だ。

「済まぬ」

一言詫びるとあなたに寄り、この手でそのまま伸ばされた細い両の腕を腕を強く引く。
掛け金が外れると判っていて、腕の中の細い体を折れるほど抱き締める。

抱き締めた拍子に頬に触れた髪、腕の中で撓る体、驚いて呑む息。

どうすればいい。

決して傷つけぬと決めた。
そして傷つけるものは誰であれ、決して赦さぬと。
その身も心も一生懸けて俺が護ると誓ったものを。

雪闇の中 今宵俺こそが、赦されざる者になる。

 

 

 

 

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6 件のコメント

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    雪闇の中 今宵俺こそが、赦されざる者になる
    ドキドキの、ラスト
    碇草の花言葉・・
    ヨンのこの後、勝手に妄想して、今夜は寝ます。
    明日の更新(もし、体調が良くなり、していただけるなら)、東京に向かう新幹線? 東海道線? みなとみらい線?・・・(地方から向かいます)の中で読めますか?
    ヨンにあえます、会えます、逢えます‼
    サラン…さんも、必ず元気になって、きてくださいね‼

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    さらんさん~
    あぁ~これからだと言う場面で
    まるでドラマを見ているように
    “つづく”の文字が浮かんでます(^-^;
    何度でも言わせてくださいね。
    さらんさんの言の葉が好きです❤

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    さらんさん♥
    極寒の夜だというのに、思わず、暖房を止めそうになりましたよ、私…(///∇//)。
    はああ…のぼせそうです。
    なんなら、ウンスの代わりにヨンにしなだれかかりたいくらいですが、途端にあの長い脚で蹴り飛ばされますね、きっと…。
    済まぬ…といいましたね?!
    ってことは…ええっと、ええっと…(〃∇〃)
    こんな短い、しかも全く予期せぬワードで、読者のお嬢様・お姉様方を萌えさせるなんて…。
    もしや、ヨンと同じ生薬を服用したかのようにホワ~ンと頬を赤らめておられるお嬢様方もいらっしゃるのでは…。
    ご、ごめんなさい。
    酔っ払ったオヤジのごとく、お下品なことを申しました!
    さらんさん。
    ヨンのもやもや萌え萌えを湯たんぽ替わりにして、今夜は温かく眠れそうです。
    ありがとうございます♥
    さらんさんも咽喉を大事にしておやすみくださいね。

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    いつもお話楽しみにしています。
    私もさらんさんの言の葉が大好き!
    2人はこの後どうなるのでしょ~~~
    雪が溶けるほどの熱ーいあまーい時間訪れるのかしら?(灬 ˘³˘灬)~❤️
    気になりますー(✿˘艸˘✿)

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    ウンスは薬湯の効能だと思ってないんですねσ^_^;
    もう逆らわず流れに乗りましょう❤️
    ヨンたら真面目さん❤️
    もう夫婦になったんだし気にする事ないじゃない?
    我慢し過ぎちゃダメですヨン\(//∇//)\

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